昨日の夜、どうしてもアイスクリームが食べたくて、ホテルの外の角にあったタバコ屋さんのようなところでアイスを買った。店番は老夫婦。私が韓国語を喋れないと分かると、やさしい顔で「チャイナ?」と聞いてきた。私は一瞬迷ってしまった。かなりの高齢だ。もしかしたら日本の植民地時代を体験した世代かも知れない。こんなにやさしそうな顔をした人に意地悪をされることは想像できないけれど、でも不快感を与えるのは忍びない。アメリカ、と言ってしまおうか。でも「ジャパン」と言った。言うことに決めたのなら堂々と、目を見て言えばよかったのに、目を伏せてしまった。「おお、ジャパン!」と向こうはあくまで友好的で優しかったが、私が目を伏せてしまったので、会話はそこで途切れてしまった。
それがちょっとさびしかった翌日の朝、こんな嬉しいことがあった。今日は練習が無くて、久しぶりに朝が暇だった。東大門の前の市場は必見と発起人に進められている。行ってみよう!地下鉄に張り切って乗った。ガイドブックは片時も離さない。地下鉄の路線マップなど、いつもどうしても必要な情報が満載だからだ。地下鉄に乗り込んで東大門についてガイドブックを読んでいたら、車内アナウンスがあった。もちろん全て韓国語である。「何かなあ?」と思っていたら、隣に居た50代くらいの男性が「どこに行きますか?」と日本語で聞いてきた。「東大門まで」と言うと、「この電車は次の駅が終点になります。でも、東大門なら次の駅で乗り換え出来ます。」と教えてくれた。とても嬉しかったので、さっきから(あ、日本人だ~)と思いながら意識していた、同じ車内の二人の日本人女性にも「次が終点になるそうですよ」と教えてくれた。二人はとても慌てていた。韓国人男性は親切なことに「私も乗り換えますから、一緒に行きましょう」と誘ってくれた。とても心強い。だからその日本人女性二人も誘った。「私は1番に乗り換えますけど、この人が連れて行ってくれるそうですから良かったら一緒にどうぞ」。二人はとても喜んで、結局4人で1番線まで歩いて行くことになった。男性は口数が少なく、でもいつも角を曲がる時などは3人がちゃんと付いて来ているかさりげなく確かめてくれて、とても感じが良い。1番線のホームに行くところで、男性が二人連れに「あなた方はどこまで行くのですか?」と聞いた。すると、二人の女性が行こうとしているところは1番線では行けないことが判明。男性はとても困った顔を一瞬して、でも次の瞬間私に向かって「私はこの二人を案内して正しい電車に連れて行きますから、あなたはこの電車で東大門まで行ってください」と言って、二人をつれてさりげなく去ってしまった。この人も本当は1番線に乗るはずだったのに、なんという親切!そしてこの人はどうして私たちにこんなに親切にしてくれる気持ちになったのだろう。私は本当に、本当に嬉しい気持ちになった。
お昼は世宗文化会館の地下一階のレストランで韓国の伝統的なコースを頂いた。これでもか、これでもか、といろいろな料理が出てくる。もう終わりか、と思ってもまだまだ出てくる。とても興味を持って一応全部に箸をつけたが、とても全部食べきれる物ではない。最後にはすの葉に包まれて炊かれた雑穀米が出てきた時はその包み方の美しさ、香りの高さ、色の美しさにとても心を打たれたが、でも半分以上残してしまった。ご馳走してくださったのはこの旅の発起人のご紹介下さった、韓国の日本近代文学の権威ある教授である。彼女は「中国と同じように韓国でもおもてなしをするときは、相手が食べきれないくらい出すのが礼儀なのです。だから残して良いのですよ」とおっしゃってくださったが、でもちょっともったいなかった。
その後光科門をくぐり、その向こうにある王宮を見学した。ちょうど日本語ツアーに間に合うことが出来た。韓国の民族衣装をまとったその方はとても流暢な日本語で見事なツアーを一時間、丁寧にして下さった。本当は日本が1895年に女王を殺したり、侵略した日本軍が王宮の2棟を残した全てを破壊した、などセンシティブな歴史もある王宮なはずなのだが、そう言うことは日本語ツアーでは最小限しか触れず、どのビルがどのような役割を持っていたか、それぞれの装飾にはどういった象徴的な意味があるのか、と言った説明に始終していた。王宮に隣接している民族博物館で、韓国の歴史を垣間見た後、インサドンでいろいろな勧告伝統の工芸品を扱うお店や伝統喫茶、屋台などで買い食いしたりして楽しんだ。
屋台にはいかにも「お父さん」「お母さん」的な人たちがぐつぐつといろいろな物を焼いたり、炊いたり、揚げたりしている。私はまず、日本の焼き鳥にとても似た物を頂いた。鶏肉とねぎが交互に刺さっていて、指差すと網で焼いてくれる。その後にコッチジャンという韓国の辛みそを塗ってくれる。「スパイシー、OK?]とか、手振りで私の白いシャツにソースがたれないように気をつけろ、とかいろいろコミュニケーションしてくれる。そして焼き鳥を食べ進めるにつれ、パチン、パチンと串を短くして食べやすくしてくれる。その次に食べたのはお母さん的な人がやってる屋台。日本の二つ分はありそうな大きな餃子を一つ、注文してあげたら「あいよ!」と言う感じで、ジューっと揚げてくれる。それから太巻きを薄い卵焼きで包んだ物も頂いた。おいしかったのもそうだけれど、身振り手振りの見知らぬ韓国人との意思疎通が嬉しくて、とても元気になってしまった。
こういうのが、一人旅の醍醐味だよなあ、と思う。ホテルへの帰りの地下鉄ででいろいろな外国で私が今まで経験したこういう醍醐味を思い出した。ギリシャの港で私の隣に座り込み、ギリシャ語で語りかけてきた老人。ジャマイカの市場で、ほしい野菜や果物をたずねて次々と的確に案内してくれて、報酬などは全く要求せずに最後に手を振ってニコニコと「私のこと、ずっと覚えていてね」と言ったジャマイカの10歳くらいの可愛い女の子。トルコの屋台で小さなカリカリのワッフルみたいな物を売っていた女の子。私はどうしてもその味が知りたかったのだけれど、両替したばかりで大きなお札しか無く、そのお菓子はとても安かったのです。そしたら「いいの、明日来た時払って」と言って、私におごってくれた。そこは沢山の客船がちょっとだけ止まる港場で私は見るからに外国人。その子の真意を計りかね、私が戸惑ったら、その子はサッサとお菓子を包んで、すっと差し出してくれました。そう言う一期一会をこうして韓国の最終日に思い出していると、なんだか涙が出てくるような気持ちになります。