缶詰で論文書いてました。

メシアンの「時の終わりのための四重奏」の演奏も無事終わり、
その後はずっと缶詰で論文を書いていました。
いろんな文献を読み、読むたびに開眼で、しかし読んで私の論文に関係あるのはごく一部。
暗譜の記述がある文献は本当に少ない。
まあ、当たり前かもしれない。
暗譜が始まったころはまだ即興演奏もとても多かった。
聴いている方には即興演奏か、暗譜演奏か区別がつかなかったらしい。
それに当時は曲も構造的にも和声的にも単純なものが多かったし、
一つの演奏会でソリストが担当する曲数も少なかった。
そして演奏会も聴衆がお互い会話をしたり、奏者もろくにリハーサルもしなかったり、
かなりカジュアルな、プレッシャーの少ない物だったらしい。
例えばパガニーニは当時非常な数の演奏をこなしていたが、
自分の作曲した20曲以外はほとんど演奏会では弾かず、
さらに一度の演奏会で演奏する曲は3曲ほどだったらしい。
(他にはオケの曲があったり、歌手が歌ったりしていた)。
同じ20曲を何十回もの演奏会でとっかえひっかえしていたら
しようと思わなくても暗譜してしまう。
それにパガニーニの曲は技巧的には難しいかもしれないが、
曲の作りは単純だ。
私が言いたいのは、暗譜の演奏がそんなにびっくりするような偉業では無かったし、
偉業と捉えられない行為をわざわざ文献に発表する批評家もいない。
と言うことで、記録が無い、のである。
業を煮やした私は作戦を変えてみた。
19世記の盲目のピアニストについて調べてみたのである。
そしたら居た!結構居たのである!
点字を発明したのは、自身も盲目のLouis Brail(1809-1852)と言うフランス人だが、
彼はオルガン奏者、そしてチェリストでもあり、
楽譜を点字にすることもしていたのである。
そのせいか、19世紀の後半から盲目の奏者が急増している。
そしてなんとイギリスでは盲目者のための音楽学校までできているのである!
Hans von Bulowと言う有名な指揮者がこの学校を訪ねている記述がある。
自分で学校の印象とか聴いた生徒の演奏の感想とかいろいろ書いているのだが、
その中で私は80人の盲目の奏者から成るオーケストラをBulowが指揮する記述を読んで
大笑いしてしまった。
自分だけでは足りず、友達にも話してまたお腹を抱えて笑った。
大指揮者だったBulowだが、
いつもの通り指揮棒を上げて演奏を始めるよう指示したら、誰も音を出さなかった。
(おお)と気が付いて、小声で「始めてください」と言った。
おかしい!
またブログを書きながら笑っている。
論文を書くのも中々楽しい。

6 thoughts on “缶詰で論文書いてました。”

  1. ペタだけじゃあれなのでコメントしますね♪私は元会社員でしたけど今は楽し人生を送ってるよっていうブログを書いてるので興味があったら読んでくださいね♪おじゃまんもすしました♪ヽ(*´∀`)ノ

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