明日の締め切りに向けて書き始める前に最後に読んだ記事。
Dana Gooley著 ”The Battle Aginst Instrumental Virtuosity” in Franz Liszt and His World, ed. by Gibbs and Gooley, Princeton University Press, 2006
ま、またまた新しくて非常に面白い見解をいくつも学んでしまった…
まず、人々がなぜ19世紀の初頭からヴィルチュオーゾにそこまで魅了されたのか。
社会学者Richard SennetteのThe Fall of Public Man(1974)を受け…
最初に18世紀から中産階級の人々は啓蒙主義を受け、「内面」と言う物に目覚める。
この「内面」のモデルを、人々は演劇の中の登場人物などに見出した。観客はこれらのモデルが「非現実的」と言う事は認識していたが、必ずしも「偽り」だとは思っていなかった。
19世紀初頭の都市化でプライヴァシーの問題が浮上した。
人々は自分たちの「本当の内面」を隠したい、でもそれに常に本当でありたいと言う気持ちと、社会的外面が偽りではないかと言う気持ちとの間の交渉に悩んだ。
1830年と40年に絶大な人気を誇ったヴィルチュオーゾは、強力な個性の誇示を持って「内面を公開」する方法、しても良いと言う勇気、そしてヴィルチュオーゾの個性に反応して観客として感情表現をする場所を提供してくれた。
次に歴史家Peter GayのThe Naked Heart(1995)に基づいた「内面」に関する観察と、それがなぜヴィルチュオーゾへの敵対心と言う結果になるのか。
19世紀半ばの中産階級は「内面」を熟考することを好んだ。
まず、「内面」と言う物を自分の中にあるスペースと言う風にイメージ化。そしてそこにロマン派の詩人や小説家の作品を自身の反映として詰め込んでいく。さらに、自分も手紙・日記・自伝・伝記と言ったものを執筆し、ひそかにそれを公開したいと思っている。
内面と外面の間の摩擦が起こる。
ヴィルチュオーゾが「偽りの空虚な内面」を見世物にしてもてはやされている、と思う。
この敵対心が一番強く表明されたのがドイツだった理由はドイツの中産階級が一番強く自分の内面性を音楽活動に見出していたからかも知れない。
さらにこの本は、ヴィルチュオーゾへの敵対心と言うのは、少なくともドイツに於いては1802年から発表されていたんですよ~、と言うとんでもない情報をくれる。(ふつう、ヴィルチュオーゾの全盛期は1820年代から48年の革命まで、とされ、ヴィルチュオーゾへの敵対心もヴィルチュオーゾの繁栄への反応、と言う風に理解される)。
ヴィルチュオーゾと言えばパガニーニ(1782-1840、ただし演奏旅行の全盛期は1820年以降、それまではイタリアからあまり出ていない)とリスト(1811-1886神童としてデビュー、1832年にパガニーニの演奏会を聴いて一念発起してパガニーニ級のヴィルチュオーゾを目指す)だ。両方とも1820年代から活動し、リストは47年で演奏旅行からは引退している。その結果、ヴィルチュオーゾの全盛期が1820年代から48年の革命で旅行が困難になるまで、とされるのだが…
でも放浪旅芸人と言うのは実はどの世にもいた。そして1802年にはこう言う人達はすでに「ヴィルチュオーゾ」だった。(このイタリア語はもともとは音楽に長ける人と言う意味でむしろ作曲家や音楽理論家に使われていた。)Farinelli (1705-1782),は歌手。 そしてご存知Mozart (1756-1791) も良くヴィルチュオーゾと呼ばれた。ヴァイオリニストのヴィルチュオーゾは数多い(ピアノはまだ発展途上の楽器でそれ程の超絶技巧に堪え得なかった);Arcangelo Corelli (1633-1713), Giovanni Battista Somis (1686-1763), Francesco Geminiani (1687-1762), Giuseppe Tartini (1692-1770) Antonio Vivaldi (1678-1741), Pietro Locatelli (1695-1764), Gaetano Pugnani (1731-1798) and Giovanni Battista Viotti (1755-1824).
Wilhelm Triestesと言う人が1802年に「On the Travelig Virutoso(旅芸人について)」と言う長いエッセイを出版している。
まず、「本当の音楽家」と言うのは楽器が弾けるだけでなく音楽の一般教養(特に対位法)全てに長けており、そしてそれを街の道徳教育の模範として使える人である、と定義する。それに対して「偽りの音楽家」と言うのは、自分の楽器以外の作曲をしたことが無く、音楽の理論を知らず、ただただ楽器を弾く事を町から街へと見せびらかして歩く人。その音楽に対する無知は、プロよりもアマチュアに近い。そしてこの根無しの旅生活のため道徳的に退廃していることが多く、フランスやイタリアなどと違い、小さな町が沢山分散しているドイツでは人口の少なさとヴィルチュオーゾがそれぞれの村人に与える影響力は反比例して大きくなる。さらに目新しさからヴィルチュオーゾは観客を集め、そこで長年実直な仕事をして来た音楽家よりも数倍のお金を短期間で集め、去って行ってしまう。困る。
ここに原点を見出すヴィルチュオーソ敵対心は、でも19世紀を通じてどんどん加熱して行く。
さらにヘーゲルの「無私の状態で集団意識につながる」と言う理想を反映した音楽創りと言うのがまさにアンチ・ヴィルチュオーゾ的な交響曲や合唱となる。ソロで演奏する場合は奏者は無私の状態で作品や作曲家に融合し、そして聴衆と自分の精神向上を図らなければいけない。
よし!もう読むのはここまで!
まだまだ私が未知の見解も沢山あると思うけれど、もう時間切れ。
今日から明日の2時まで29時間。書くぞ~~~~!!!
音楽人生、万歳!!