「『ストーカー退治のピアニスト』と一生思われ続けてほしくない。ネームバリューを下げないでくれ。ピアニストとして正当に有名になることを目指してくれ」
「正義感は良いけれど、やっぱり囚われているからいつまでも身の危険も顧みずに色々やっているんじゃないかと心配」
「もうそろそろ練習と論文だけに専念しても良いんじゃない?これは結局はマキコさんの貴重な時間のロスじゃない?」
色々な友達が親身で色々言ってくれる。
皆、本当にありがたい。
私の事を思って言ってくれているのだと思う。
ありがとう…
デモ。。。
こういう事件があった。
マンハッタンで真夜中に帰宅途中の女性が襲われた。
女性は「Help!」と大きな声で何度も助けを求めた。
沢山の人が窓まで行って、何事かと下を見下ろした。
でも、誰も下に行かなかったし、警察に通報もしなかった(一人が一回したと言う説もある)。
女性は殺されてしまった。
この実験は大きなニュースになり、
問題視をした社会学者たちがこの事件をシミュレーションした実験を色々した。
そしてBystander Effect(傍観者効果)と言う集団心理を打ち出した。
これは、起こっている事件・非人道的な振る舞いに対して
目撃者の数が多ければ多いほど、自主的に助ける人が少なくなる、と言う実験結果だ。
私はこの事件とBystander Effectに関して読んだのは学部生の時だけれど、
その時に「私は立ち上がって助ける人になろう」と決めた。
ちょっと話しは変わるけれど、ここでMirror Neuron(ものまね細胞)の話を。
私がコップを持って口に運ぶ。
それを見ているあなたの脳のものまね細胞は
まるで実際にあなた自身がその行動を行っているかのように反応する。
このものまね細胞が音楽家の脳には平均値よりもはるかに多くあるのだそうだ。
私は音楽家だからそうなのだろうか。
周りの人が嬉しければ嬉しいし、
周りの人が痛かったり悲しかったりしたら、何とか良くなってもらおうと思う。
今回私がストーカー退治に燃えているのは、他にも沢山被害者が居るからである。
ここでは今その事があまり書けないのだが、でも皆私よりもずっとひどい被害にあっている。
別れる別れないの修羅場の時、元婚約者は私が助けを求めるのを防ぐべく
「隠しマイクが付けてある。いつどこで何を言っているか、全部聞いているぞ」と言った。
私は(そうですか、それでは)と思って
警察や社会福祉に相談に行くときは所持品を全て別部屋に置かせてもらって話しをした。
大学に属していたのが幸いだった。
大学構内に警察も社会福祉も全て揃っていたから
「レッスンがある」とか「練習に行く」とか言って、
そう言う所に通っていた。
そうしたら尾行されたりもした。
そして「お前は嘘つきだ!信用が出来ない!気違い!被害妄想!裏切者!」とののしられた。
こう言うのは、後から知ったのだけれど結構よくある虐待パターンらしい。
私がそういうのを乗り切れたのは、私の大学が全面的・積極的にサポートしてくれたのと、
私の友達と日本人コミュニティーが、それこそ自分の危険を顧みずに
私が別れられるように必死で私を説得し、引っ越し荷物を運び出し、
演奏会がある時は総出で見張ってくれたりして、
私に時間と手間と愛情をかけて応援してくれたからである。
証拠を収集する過程で昨日、そのころ相談してもらっていた友達の日記を見せてもらった。
そしたら私との会話が全て書き出されてあり
日記に手書きで延々と箇条書きしてあるのである。
そしてどのように説得して私を別れさせようかと言う作戦が書き出してあり、
こう反論したら、こう言ってみる、とか、微に入り細に入り、なのである。
私がもう投げやりになりかかっていたころ、
こんなにも私の事を一生懸命考えていてくれた…
しかもこの友人一人では無いのである。
私は本当に身に余るほど友人に恵まれている。
あの頃は携帯も壊されてしまっていたし、
見張られていると言うか、兎に角一人になりにくくて、
私は友達との連絡もあんまり取らなくなっていたのに…
でも、段々出現して来ている他の被害者は
私のように大学にも属していないし、私の日本人コミュニティーの様な協同体も無く、
いじめられればられるほど自信を失い、頼る人が彼しか居なくて、
最終的に完全に孤立してしまって
彼に捨てられてどうしようもなくなるまで利用されている。
そういう人たちと話しをすると
「自分が馬鹿なんだと思っていた。
こんな被害にあうのは自分だけだろうと思っていた。
自分のせいだと思っていた」と言うのである。
違う!悪いのは加害者です!
加害者になり得る可能性を持つ人と交流することを選んだ心理、
と言うのは多少は被害者にもあるかもしれない。
でも、私の元婚約者は甘いお面で甘い事言って、映画の様なロマンスを演出した。
私は、幸せになれる、と思った。
下層心理までは責任が持てないが、
私は自分が幸せになることで家族にも安心してほしかったし、
良かれと思って彼を選んだのだ。
他の被害者もそうだと思う。
被害者がこんなに多いのは、彼はその道一筋の極悪だったからなのだ。
(ちなみに、私のケースに似た被害に現在あっている方、あるいはその様な方をご存知な方のためにここで書きますが、これは明らかにサイコパスのパターンです。http://www.psy-nd.info/)
捨て置けない。
私は多少の被害にはあったが、取返しのつかない被害には全然あっていない。
肉体的にも精神的にも元気だし、
友達に囲まれて好きな音楽と論文を突き詰められて、
大学に元気に通って、演奏活動も続け、論文も軌道に乗ってきている。
そういう元気な私と会話をすると、
始め打ちのめされていた被害者たちも段々元気になってくる。
それが手に取るように分かると、私ももっと勇気が出る。
エーリッヒ・フロムだったと思うけれど、悪を
「社会に属するみんながその行動を取ったら社会が機能しなくなる行為」とする。
勿論、私のストーカーの行為は『悪』なのだが
でも犯罪を見て見ぬふりをする、と言うのも「悪」になると思う。
警察も検事もお役所仕事で、何でも一々時間がかかるとか
法廷の行程も信じられないほど悠長とか、
通報一つにしたって「これは犯罪を増長している」と思うほど
善意の一市民の負担になるのだが、
でも悪い事は悪いし、悪い事を面倒くさいからとやり過ごすのも結果的には同じくらい悪い。
音楽を言い訳にするのは、それは音楽に申し訳無い。
私はこの事で演奏の質も論文のリサーチも自分の幸福感も生活も友達も犠牲にはしない。
でも、自分が正しいと思う事もする!
子育てしながら介護をしていらっしゃる方とか、
病気や身体障碍をかかえていらっしゃる方とか、
家庭が円満でないとか、
皆それぞれのチャレンジがあるんだと思う。
そのどれが一番大変だとか、そんな事は全然言えないし、比べる必要もない。
皆大変なチャレンジなんだ。
私のはたまたま珍しい、劇的なチャレンジになってしまったけれど、
でも私が前向きに取り組んで、こうして公開することで
誰かの勇気の素になればよいな~、と夢見ている。
人間は強い。
人間は自己治癒力を持っている。
取返しのつかないダメージと言うのはそうそうあるものじゃない。
態度しだいで治る傷と言うのは、本当に多いと思う。
私は、私の経験を公開することで一人でも多くの人が被害を回避し、
あるいは過去の被害を理性的に理解することで自己治癒能力を発揮し、
一人でも多くの人が傍観者から救助者へと変身し、
出来るだけ多くの人が元気で幸せな社会になってくれれば良いな、と思います。
そう思って行動することが、私の自己治癒のプロセスなのです。
先ほど記事よみました?最近始めて他の人のブログ色々見てました☆日常の記事でも書き方によって共感しやすくなりますね。まだまだアメブロ歴は浅いですが今後ともよろしくお願いします(。・ω・)ノ゙★おじゃましました。
>600257473さん
コメントありがとうございます。また遊びに来てください。クエスチョンマークの使い方がユニークですね。