Musicianship

「Sportsmanship(スポーツマンシップ)」と言った場合、
スポーツマンが目指すべき態度、精神、友好関係などを指すが
「Musicianship(ミュージシャンシップ)」と言った場合
単に音楽家としての技術、音楽的な心を意味して、
それ以上の精神や仲間意識や精神に関して指すことは無い。
私は「スポーツマンシップ」的精神をミュージシャンシップにもくっつけたい、と思っている。
スポーツマンもそうだけれど、
クラシック音楽家になるためには幼少からの沢山の人の時間、指導、そして支持と
最良の訓練をするための環境、道具、場所などが必要になる。
音楽家として成人できる者は才能だけではなく、色々な外的要素に恵まれているのである。
確かに音楽を生業とするゆえのユニークな苦労もある。
でも、私は自分の音楽家としての社会の位置を本当に特権的、と思って常々感謝している。
私が何にも変えがたいと思うのは、
音楽を通じて一生真剣に自己探求をする、そしてその結果を表現する、場がある身である言うこと。
私は、音楽は私を常に浄化してきてくれた、と思っている。
そして、音楽人生を歩んできたからこそ到達できた幸せを実感している。
これを前面に打ち出して、
一番良い音楽で世界に繫栄することをゴールとして音楽家同士が一致団結できるような、
そう言う戦友と言うか、姉妹兄弟と言うか、
音楽家同士がお互いをライヴァルとしてみるのではなく、
志を共にした、お互い支えあうべき家族、と見ることができたら、と心から願う。
音楽家に限らず、舞台芸術関係者も、一般芸術も、すべて。
そうして初めて、利益追求に盲目になっている社会に、芸術が立ち向かって
バランスを取り直すように働きかけることが可能になるのでは、と思うのだ。
ナイーブに聞こえるかもしれないけれど、私はナイーブなつもりは無い。
冷静で、客観的な現状批判のつもりです。

2 thoughts on “Musicianship”

  1. 同感です。カート・ボネガットの「猫のゆりかご」をおもいだしました。ボコノンのカラースという概念に似ていますね。もし読んでないのでしたら、ご一読をお薦めします。

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