私は音楽を演奏することで世界平和を祈願します。
11月13日のパリでの多発テロは、私たちのメシアンの最初のリハーサルの前日だった。
129人が殺され、352人が負傷。
4月に起こったケニヤでの147人の死者を出すISISの暴行も、
パリと照らし合わせて再び注目を浴びている。
メシアンの「時の終わりのための四重奏」がインスピレーションとしている
新約聖書の黙示録も、急進派と読めなくもない。
異教徒を世界から残酷なやり方で抹殺する、と言う内容の描写が延々と続く。
人を人類愛にもたらすためには、究極的には手段は何でも良いと思う。
理想的にはどの宗教だって人類愛を目指しているのだと思う。
でも多様な宗教観がお互いに相いれなかった時点で、
相手を抹殺と言う思考に走るのは歴史的に何度も、何度もあった訳で、
そういう危険性もあるんだと思う。
宗教以外に人を人類愛に導いてくれるものとして、私が考え付くのは:
家族の絆、母性、文字通りの隣人愛、『恕』とか同情する気持ち…
私は、少なくとも私の人間形成に於いて、
音楽と言うのはこの最後の「恕」とか同情心をいつも助けてくれている、と思っている。
練習して作曲家の歴史的背景、人生状況、作曲家に影響を与えた人々に思いを馳せる。
初演を聞いたであろう聴衆の反応に思いを馳せる。
演奏の度に、私の発する音波が空気を通じて、
聴いてくださる方々の鼓膜だけでなく体全体に通じるんだと言うことを肝に命じて
自分の一番純粋な気持ちを鍵盤に伝えるように心がけている。
毎日の練習を始める度に、自分がなぜ音をコミュニケーション手段に選んだのか、
音楽に自分を託すのか、考えながら最初の一音を出すようにしている。
私にとって、音楽は個人的な宗教の様なものである。
そして私がそう言う教育を受けられ、ここまで来られたのは、
色々な人の「愛」(敢えて愛と言うぞ)があったからだと信じる。
私の音楽は私個人の願いだけでなく、
私の音楽に思いを託して養育してくれた皆の『愛』がこもっている。
今週末、誕生日を祝っていただいた。
ヒューストンのお友達が集まって、盛大にごちそうを食べて、
手作り黒ゴマプリンにロウソクを立ててもらって吹いたりもした。
その愛も受け止めたぞ!
今日の練習、これからの演奏に、しかと受け止めた愛をこめて、発信するぞ!
非常に、非常に間接的だけれども、
音楽を発信し続けることで、皆が音楽に気持ちを託せる平和な世の中になることを、
毎日祈ります。
誕生日に私が頂いた愛のごく一部。
あれから毎日見て、ニコニコしています。
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