エドは日曜日の朝7時に亡くなった。
私が16歳の時にホームステーをさせてもらってから、
私のアメリカン・ファーザーとして色々な形や場面で支援してもらった人だ。
エドは日曜日の朝はパンケーキを焼いてくれると言う伝統を何年も続けた。
ブルーベリーが入っていたり、バナナが入っていたり、
その週によってヴァリエーションがあったが、兎に角毎週焼いていた。
常時ダイエット中の私のアメリカンマザーのジョーンは一枚を食べ切ることさえ嫌がって、
私が祝日に訪ねていたりすると、いつも半分よこしたりした。
私もバターがたっぷりのエドのパンケーキは時々(う~ん)と心の中で敬遠したりした。
でも、エドご自身はいつもご自慢でご満悦のパンケーキだった。
バターミルクを使って、ベーキングパウダーをたっぷり使うエドのパンケーキは
いっつもほわほわで、大量のバターの中で揚げるようにして焼くので、
外はカリカリ、中はホワホワ。
今から考えると、美味しかった。
ジョーンの電話は朝の8時にあった。
私に一番最初に電話してくれた。
ジョーンは泣いていたけれど、私は(エドは大往生だ)と思って、納得した。
91歳まで、基本的に健康で、好きな事を沢山して、死期も自分で決めて、
エドらしい生きざま、そして死にざまだったと思う。
電話を受けてから、すぐ買い出しに行った。
私は実はパンケーキなんて焼くのは生まれて初めてなので、
計量カップから小麦粉から、そう言うのをかき混ぜる物、メープルシロップ、
全てを買い揃えなければいけなかった。
絶対にパンケーキを焼こう、と電話を受けたときから決めていた。
でも、私は健康志向なので、バターの代わりにココナッツオイル、
そして小麦粉の代わりにそば粉やひよこ豆の粉や全粒粉や、
色々混ざった健康パンケーキミックスを買った。
フライパンでパンケーキを焼きながら、
子供の頃家族でホットプレートで食卓で焼いて食べたホットケーキや、
母がホットケーキミックスで作ってくれた揚げたてカリカリドーナッツや
エドの日曜日のパンケーキや、
そう言う食事にまつわる思い出の深さや温かさや意味合いや、色々考えた。
そうして、自分で料理を作れるようになる、と言うことは、
伝統継承、独立、思い出、色々な意味合いがあるんだなあ、と初めて思った。
女子力の弱い私だけれど、これからはもっと料理を作ろう、と思った。
パンケーキは美味しく焼けた。
我ながら、エドのよりおいしく焼けた。
そしてエドは、その事を喜んでくれた、と思う。
エドのより美味しいかどうか、論議はしたと思うけれど、
私が私好みのパンケーキを作ったと言うことについて。
Life goes on.
明日の正午は演奏会!
http://www.houstonmethodist.org/performing-arts/news-events/crain-garden-performance-series/