時々無力感に圧倒されます。考えようによっては私を始め人類の存在そのものが自然環境にとっては負の存在でしかない。その思考回路を辿ると、どんな喜怒哀楽も社会的正義や科学的発明も、単なるお遊び・暇つぶし。私なぞ個人は居ても居なくても大差ないことになります。
でも同時に私を突き動かす抗い難い何かがあって、私は物を書き、音や声を出し、ピアノ演奏を続けています。私の意志や思考を超える何かです。こういうのを「使命感」というのかも知れないと思い至りました。ドンピシャ!感覚と妥当な言葉が繋がった時って感動ですよね。
私はそういう感動に突き動かされ続けて、2018年以来ずっと手記(英文)を書き続けています。2017年に脱稿した博士論文「暗譜の起源」の為のリサーチで明らかになった西洋音楽史に於ける文化帝国主義・白人男性優勢主義の根源とその現代に及ぶ余波を、自分の業界での体験や観察を例とした上で問題提示したいと思ったのです。昔の先生に「起訴する」と脅され、数年間途中で断筆したり、「書き終えた!」と思ってからまた構成から考え直して書き直したり、紆余曲折で今日に至っていますが、出版を視野に入れた最終段階に入ってきていると言ってよいと思います。
そんな中、今年一月にAsian American Writers Workshop(AAWW:アジア系アメリカ人作家ワークショップ)というニューヨーク拠点のグループを90年代に創設した文豪6人に文学界新参の私が招待を受けました。何冊も出版し受賞のリストが長かったり、自ら出版社を経営していたり、有名大学で文学の教鞭をとっている文学界の重鎮たちと共に、毎週日曜日にお互いの現在進行中の作品を評論しあいっこしています。すでに執筆歴が長い先輩たちの校正プロセスや、評する際の思考回路などに触れるだけでも刺激になり、更に良い原稿を読んで頂きたいという意欲に繋がります。その中で的を射た例えを思いつき、ある達成感に繋がったのです。
私はニューヨークで若手ピアニストとして業界のセクハラやパワハラやあからさまな人種差別を目撃し、体験しました。その後30代でストーカー刑事責任追及に奮闘し、周りの人々の多大な親切と協力に恵まれ、とある暴力歴が長い悪人を牢屋に入れることに成功しました。その経験を持って言えることは、違法行為に該当していなくてもより意地悪で被害甚大な悪行を働いている人は沢山いるし、私がニューヨークの音楽業界で出会ったいわゆる成功者たちの中には、犯罪歴のあるストーカーよりも悪い奴がいっぱいいた、と言うことです。
先週日曜日の評論しあいっこ会に提出した抜粋は、25歳のMakikoが「これは愛の鞭じゃなくていじめだ」と気が付く転機の部分で、本の構成上でも、私の人生に於いても重要な箇所でした。こういう内容を書くのは自称「天才バカボンのパパ」のマキコでも、ちょっと辛い。
(なんでこういう輩はセクハラ行為に走ってしまうのか。)(なぜ25歳のMakikoはこういう被害を被るに至ったのか…)
そして気が付いたのです。こういう権力保有者の多くは、興行師、マネージャー、融資者、評論家、教師、指揮者、作曲家…音楽を生業としつつも、実際には自分で音を発しない男性たちだ。無音の音楽業界関係者は、音を奏でる奏者に依存しなければいけない。不安感で、奏者をコントロールしたくなる。だからパワハラ・セクハラになるんだ!
ドンピシャ!

それでも、この内容が文豪たちにどう受け入れられるかは不安でした。ところがこの日曜日の会でみんなが物凄く賛同して、25歳のMakikoの為に興奮してくれたのです。今思い出して、涙がちょっと滲んできます。
この音楽業界の現象は、全世界に通用します。現代人の多くは衣食住などを自分の手で生み出すことに関して無能です。だから農民やお針子さんや大工さんや料理人さんなど、実際に手に職がある人達を時給や安月給や社会的ヒエラルキーで締め付けている。
価値観の大転換が必要なのではないでしょうか。
(後日談:価値観の大転換は必然的に目前に迫っているかも知れない。今年の夏、帰国中に読んだ本でフランス人人口学者のエマニュエル・トッド氏が言っていたことを思い出しました。実際の製品ではなく、お金や知識やサービスやアイディアなどでドルを稼ぐ先進国は衰退するという趣旨の主張です。)
(追記:私は、個人の言動は、歴史的背景・文化的風潮・社会状況などの潮の流れや波間を漂う小舟の様なもの、という視点からこの手記を書いています。私の本の目的はそういう風潮を自覚する事によって、みんなで帆を張ったり、艪で漕いだりして少しずつでももっと道義に沿った社会にしていこう!と主張することです。私は個人の糾弾や責任追及は社会改善という目的には無意味だと思っています。この本では加害者の名前や個人が特定できるような詳細は変えたり省いたりしています。)

Leave a Reply