10月20日(月)から毎日9時半から5時半まで8時間リハーサルをし、金・土・日・月と4つの演奏会と収録セッションを南カリフォルニアの様々な場所で行いました。1200キロ近く運転し、寝食忘れて音楽に没頭して、2021年の食中毒以来の数値まで体重が減りました。演奏中の夢の様な至福も、涙を呑む瞬間も経験しました。
私が音楽家の道を選んだ理由の一つに16歳の時に「波乱万丈」を人生の指針としたことがあります。どうせ生きるなら安定した予測可能な人生よりも激動の人生を生きようと思ったのです。幸せとか不幸せとか、満足とか不満足とか、楽とか苦というのは、主観的で相対的なものだ。そしたら絶頂の幸福を味わうためにはどん底の不幸を経験する覚悟を持とうと思ったのです。久しぶりにそんなことを思い出す10日間の競演体験を経て、備忘録を記します。
最初のきっかけ9月24日と25日
私は最近ソロ活動に専念していました。音楽による社会活動は賛同してくれる音楽家はまだ少ないし、一人の方が経費も安く、独断で身動きがとりやすい。でも一方、自分のやり方も主張も演目も定着化してきて(このままでよいのかなあ)と思っていたことも確かです。そんな時、10月に予定されていたワシントンD.C.とウェストバージニア州での演奏旅行がドタキャンになってしまいました。D.C.の不穏や不景気などが間接的な理由として挙げられましたが、私は気落ちしました。それが9月24日。その翌日の9月25日に、DC旅行が予定されていた丁度その日程で、この話しが舞い込んできたのです。予定されていたピアニストが都合がつかなくなり、ピンチヒッターを頼まれました。4週間弱で4つの新曲を譜読みから演奏まで仕上げなければいけない。その間にスタンフォードで新しく立ち上げた起業家精神コースの選考や準備もこなさなくてはいけない。本当にできるのかー不安がありました。でも、私がずっと弾きたいと思っていたシューマンの5重奏が演目に入っている。弦楽四重奏者たちはベルリンやボストンなど世界中から集まるつわものたち。久しぶりに大ホールのフルコンで室内楽を演奏できる。数日譜を読みながら考えて、受けることを決めました。この不思議なタイミングに「捨てる神あれば拾う神あり」的な縁を感じたのと、自分に挑戦したかったのです。

譜読み・練習、そしてSPICE講師との両立
やると決めてから数日間、朝から晩まで譜読みに専念しました。脳の復習能力を活用しようと思ったのです。早い時期に脳に譜や指使いを叩きこみ、10月6日~10月15日まで予定されていた起業家精神コースの選考期間までにできるだけ形を付けておこうと思ったのです。学生時代のような練習の仕方をしました。起床と共に楽譜を眺め、超ゆっくり練習や、難所に集中した練習など、作戦を立てて難しい曲やパッセージから克服していきました。パッセージを一回弾いて、一口食べる、といった食事の仕方になり、就寝中にも頭の中で指使いやフレージングなどを考えている脳みそになりました。音楽だけで頭がいっぱいー久しぶりの感覚でした。
けが予防と健康管理ー湿布と睡眠の効用
今回の現代曲の一つに、物凄い超速で連打が続くパッセージがありました。演奏しない作曲家というのはハイドンが最初とされその後どんどん主流となるのですが、こういう分業の弊害の一つとして、理不尽な要求がまかり通ってしまうことがあります。奏者と作曲家の関係性というのも、ハイドンの時代を前後に逆転します。給料や人気度なので考察すると、ハイドン(1732~1809)はキャリアの初期は宮廷雇われ作曲家で舞台に立つ奏者の脚光の陰に潜む存在なのですが、晩年になるとこれが逆転し、奏者は作曲家や譜面の意図に忠実な「再現者」となります。この「作曲家が絶対」というヒエラルキーとどんな要求でも呑ませる勢いの演奏家市場の死闘の競争の中、演奏家は譜面に書いてあることをこなすことに身を粉にすることに慣れてしまう。が、現実問題、特に初演などの場合演奏不可な譜面と言うのもあります。自分の怠慢や無能ではなく、実際に譜面が非現実的と主張するのは勇気がいります。ギリギリまで頑張ろう。でも手をぶっ壊しては元も子もない。譜面に指定されるテンポに近づけるため、ちょっとずつちょっとずつテンポを上げていきながら、毎晩野の君に湿布を貼ってもらって寝る生活が続きました。そんな中シューマンを練習するのは息抜きで快楽でした。
10月20日~10月24日:朝から晩までリハーサル
リハーサル初日の前夜は不安でなかなか眠れませんでした。自己ベストは尽くしたけれど、それが果たして十分か。特に現代曲は他のパーツとの兼ね合いがうまく行くか最初のリハーサルまで不確定要素が非常に高い。また、他の奏者がどこまで仕上げてくるかでも、どれくらい共演者に対して寛容か・厳しいかでも、リハーサルの進行状況は大きく変わります。もう一つの不安要素は特殊技法でした。演奏する現代曲の一つは、曲の途中で打楽器の撥でピアノの内部を叩いたりこすったりして音を出す部分がありました。ピアノはサイズやブランドによって内部の構造が変わります。準備には限りがあるのです。肝を据えて臨みたいという理想はあっても焦燥感は否定できませんでした。
リハーサル初日:リハーサル会場は住まいからは50キロ。距離的には大したこと無いのですが、通勤ラッシュに巻き込まれると2時間以上かかります。朝6時半に出発して1時間で現地に着きました。8時前の到着になりましたが、幸い管理人さんが「明日からはこんな早朝はダメだよ~」と言いながら会場を開けてくれたので練習しながら他の奏者を待つことができました。一人、また一人と到着して来るたびに初対面の挨拶を繰り返し、緊張がほどけていきます。同業のよしみ。これから1週間を共にするという戦友の様な連帯感。「なに、あのテンポ指定!絶対無理だよね~。」素っ頓狂な声での発言に、思わず大笑いして(ああ、私だけじゃなかった~)とホッとします。最初の音出しまでにはずいぶん気持ちが楽になっていました。リハーサルが始まると、みんなうまい!弾くのは勿論ですが、リハーサル中の提案の仕方や、合図の仕方・音程の合わせ方・リズムやテンポ感の演奏中の微妙な交渉なども、するすると通じる。どんどん楽しくなってきます。(これだよ、これ!)というアンサンブルの醍醐味。ランチ休憩中、チェロは哲学で、ヴァイオリンの一人は比較文学でハーバードで学位を取っていること、ヴァイオリン二人はジュリアードで博士課程の学友で、二人とも大学で教えながらお母さんもやっていることなどが明らかになります。午後のリハーサルも順調!ヴァイオリンの一人は明らかに準備不足で仕切りに詫びますが、むしろ私は一緒にゆっくりリハーサルができるしびりっけつじゃない気楽で、感謝したいくらい。そして小さい子供の養育をしながらよく練習している!と褒めたい気持ちです。17時半にリハーサル終了して「車を持つ経済余裕がない」とぼやくLA在住若手ヴィオリスとをお家まで送ってあげて帰宅したら19時45分。ピアノにがっついてリハーサルの復習をしながら、何度か食べ物を口に運んだ記憶があります。

リハーサル2日目:睡眠中も脳が勝手にリハーサルの復習を続けていて、せわしなく4時半ごろ目が覚めてしまいました。(エイや!)と思い切って起き上がり準備をして6時に出発。それでも渋滞は容赦なく、やっぱり1時間強を経て7時過ぎ会場に到着。歩いて5分の海岸で1時間ほど散歩。前日「明日は9時から練習していいからね」と管理人さんに念を押されていたので、9時ちょっと前に会場入り。でもみんなも早めに到着。時間ぴったり9時半にリハーサル開始。初日の安心はすでに蒸発。(本当に木曜日の初演までに止まらずに弾きとおせるところまで仕上がるのか…)という不安感の共有。現代曲の合わせが色々大変。シューマンを筆頭にピアノ5重奏の場合、ピアノに対する弦楽四重という構図。ピアノの責任と音の数が半端ない。みんながランチ休憩中も、私一人で練習会場に居残って復習と予習。午後は現代曲を「兎に角通す!どんな事故が起こっても最後まで止まらない!」練習。思ったよりもうまく行ってちょっとだけホッとする。17時半にリハーサル終了後は、渋滞を避けるために練習会場付近で1人で食事しながら譜面を観て復習したり、たまっているメールを片付ける。

リハーサル終了後にパチリ自撮り。
まだ会った翌日の5人なのだけれど、すでに仲良し感。
リハーサル3日目:今回の演奏のためにわざわざパリから飛んできた作曲家との顔合わせをこの日のリハーサル最後の90分に控えて、みんなで「兎に角止まらない!」を目標に試行錯誤のリハーサル。(実際演奏可能なのか?)(私の能力不足・努力不足・集中不足・疲労のせいなのか?)みんな同じ思い。励ましあいながら、ゆっくり弾いてみたり、「🎵タッタ~タタタータ…🎵」と声で一緒にリズム確認したり、兎に角一生懸命ベストを尽くす。午後の前半でシューマンの通し稽古を初めてする。この曲は長い!最後の和音を弾き終えた後、脳みそがじんじんしている。その直後作曲家との体面。通して聞かせてみる。とりあえず大きな事故は無し。作曲家は拍手してくれる。その後「素晴らしいけれど、もっと早く」「次の箇所はもっともっと早く」「ここからもっとどんどんテンポを上げて」「もっと音量を出して」「もっと爆発的な音を出して」…みんなで無言で目を合わせながら思わず含み笑い。(無理無理…)(聞き流そう…)私はちょっとだけ作曲家に腹が立ってくる。リハーサルの後は作曲家を招待してみんなで夕飯を食べる予定だったけれど、私は約束を破棄して早退させてもらう。(もう無理…)目で合図を送ると、ヴァイオリン奏者もゆっくり頷いて許してくれる。(わかってる…ゆっくり休んで…)疲労で吐き気がする感じ。とても社交できる状態ではない。渋滞で2時間かかったけれど、通し稽古の時に収録したシューマンを聴きながら無言で運転。ミスもそつも思ったより少ない。アンサンブルも悪くないー初対面からまだ3日目の割には綺麗に合っている。けれども、悲しいほど印象の薄い演奏。考えさせられる。深く反省する。私は何がしたくてピアノを弾いているんだ?このプログラムは短期間で仕上げなければいけないプレッシャーもあって兎に角「プロとして恥ずかしくない演奏」という守りの姿勢で準備をしてきたのではないか?主張がない演奏をするために音楽人生をおくっているのか?そんな演奏は、そんな生き方はする価値があるのか?ミスのリスクを冒しても、もっと色々やってみよう。決意が固まる。ここからは攻めに入るぞ!帰ると、みんなから録音に対する感想やこれからのリハーサルの計画などのメッセージが飛び交っている。夕飯は手短にしたらしい。私も「これからはもっと色々音楽的主張を固めていこう!」と意思表示。一致団結。今日は昼も夜も抜いてしまった。(ナッツなどの間食はしました。)
リハーサル4日目:「みんなちょっと腱鞘炎気味だし、今日は10時半からリハーサル開始にして、弾きすぎないようにしよう」合意の元、朝は軽く走って、シャワーを浴びて、朝食を食べてから練習会場入り。道中、私の好きなシューマン5重奏の録音をいくつか聞く。バーンスタインがピアノでジュリアードカルテットと共演した録音。エレーヌ・グリモー(ピアノ)とパリ交響楽団奏者の共演。それぞれに色と音世界とこだわりとメッセージ性がある。解釈とは何か。音楽性とは何か。演奏は、演奏会とは、何の目的で行うのか。私はこのシューマン5重奏という曲のどこに価値を見出すのか。この曲のこれからの4回の演奏で、何を成し遂げたいと思っているのか。色々自問自答。会場入りするとみんな結構疲れてグロッキーな感じ。本当に今日がリハーサル最終日?でも、まな板の上の鯉。この日はちゃんとランチをみんなと一緒に外で食べ、午後のリハーサルで兎に角できるだけのことをする。プロの意地と底力と面の皮の厚さ。
本番1日目:初演は午後15時半からリハーサルの時間が取ってある。午前中は久しぶりに家でゆっくり…したいと思っていたけれど、軽く走って、ヨガと瞑想して、メールして、食べて…としていたらあっという間。12時半出発。会場は家から85キロ。途中でヴィオラ奏者を拾っていく。14時半現地に早めに到着。タイ料理を食べながら楽譜の確認。会場に到着してびっくり。仰々しい会場の名前からは想像もできないこじんまりとした会場。更に広報ミスで予定されている客入りが十数人。むしろプレッシャーが少ない状態で初演を迎えられてありがたい。
でも観客がいかに少なくても、本番は本番。それなりの緊張感だけど、私も含めてみんな、「火事場の馬鹿力」の本番活用法をよく心得ているプロ。場数を踏んできている強み。何があってもフォローしてくれる共演者たち。途中で私は一度打楽器の撥を床に落としてしまうという事故があったのだけれど、みんな動じずに同じ個所をループで弾いて私が体制を整えるのを待ち、一瞬のうちに軌道修正を手伝ってくれる。心強い。「アスリートなどのタレントスカウトは、ミスをするかしないかではなく、ミスした後どれだけ素早く普段の自分のプレーに戻れるかでポテンシャルを決める」と聞いた事があるのを思い出す。そういう意味でこのグループは満点。そして何度かアクシデントから素早く回復する度に、お互いへの信頼感と結束と自信が高まっていく。後半のシューマンの葬送行進曲で、息がぴったり合ってくる。もう見上げて合図を確認しなくても、お互いの発する『気』の感覚だけでピッタリとタイミングも音色も合う。すごい!この感覚、久しぶり!少ないけれど集まってくれたお客さんたちはみんな熱狂的に反応してくれる。初めて全演目を通して演奏してみて、思ったよりも全然疲れていない。まだまだいける。これなら大丈夫!月曜日の本番ビデオ収録をピークに迎えられるように持っていける!ビオラ奏者とチェロ奏者を車で送り届けて帰宅したらほぼ午前様。バタンキュー。でも、頭の中の復習・フラッシュバックが激しくて、夜中に何度か目が覚める。この緊張感とハイテンションが月曜日まで続くのか⁉
本番2日目:会場が家から10分のスタインウェギャラリー。久しぶりに野の君とおしゃべりしながら食料買い出しの青空市。その後起業家精神のコースの準備。遅れを取り戻そうと一生懸命になって我を忘れる。演奏会のこともしばらく忘れる。野の君がもやしやキャベツ他野菜たっぷりの「健康オートミールお好み焼き」腕を振るって作ってくれる。「ジャガイモをフードプロセッサーで砕いてお好み焼きに入れたからカロリーもあるよ。力が付くよ。」野の君は本当に優しい。温かさがお腹を落ち着かせてくれるけれど、三口も食べると気がそぞろ。そして頭の中ではすでに練習と、今夜の本番の一人作戦会議が始まっている。野の君ごめん!そしてありがとう。「まだ早くない?」という野の君の声を背中に急いで着替え、会場に向けていざ出発!
このスタインウェイギャラリーでは3週間前に独奏会も行っていて、その時もスタインウェイがショールームに置く自慢のフルコンで弾く気持ちよさを感じていたはずなのだけれど…弦と音が素直に混じる!思い通りのフレージングが自然にできる!音色の広がりが、奥行きが、もっともっとと探求心を掻き立てて、新しい歌いまわしや呼吸がどんどん開発されていく。調律が終わったのが18時半。開場が19時15分。一人でピアノに慣れている時間が全くなかったけれど、本番中に夢心地の気持ちよさ。(ああ、いつもこんなピアノで演奏できたら私はどんなにピアニストとしての奥行が深まるのだろう…ああ、毎日こんなピアノで練習出来たら私はどんなに…)本番二日目にしてここまで気持ちよくなってしまってよいのか?まだまだ先は長いぞ、まきこ!私の感動は他の奏者にも伝わっている。「Oh wow, Makiko…」みんなが褒めてくれる。
会場にはラニングクラブの仲間や野の君の学生さんが沢山来てくれている。精一杯おしゃれをして、髪の毛もきっちりとなでつけた野の君がいっぱい写真を撮ってくれる。嬉しい。兎に角嬉しい。

本番3日目:月曜日から木曜日までリハーサル会場だったサンタモニカの教会での本番。昨日のスタインウェイが余りにも素晴らしかったので「昨日の私を今日は期待しないでね」と通告してあるが、実際は昨日のイメージのふくらみで、今日はサンタモニカのちょっとガタが来ているセミコン(フルコンサートグランドより一回り小さいピアノ)の最高を引き出せる。タイミング、呼吸や、フレーズの方向性や形で、音色の固さの大部分が補えている。マキコ、やっぱりもっとフルコンで演奏しよう!みんなお互いにどんどん馴染んできている。ちょっとしたしぐさや呼吸や目線で呼吸がぴったり合う。音がハモる。音色が共鳴する。一週間前には他人だった5人が一つになっている。これが音楽のパワー。

(写真:向かって左の作曲家のSam Wu氏と、奏者の皆と一緒に演奏終了後)
最終日:一泊する準備も含めてあわただしい朝だったけれど、野の君が作ってくれたパスタスープに卵ととろけるチーズを落として蛋白質と野菜たっぷりの温かい朝ごはんをお腹に詰め込んでから10時に出発。ヴィオラ奏者を途中で拾って一緒に170キロ車を転がす。サンタバーバラのMusic Academy of the Westは知る人ぞ知る音楽のメッカ。そのハンホールで午後の収録と夜の演奏。

生演奏と録音は全くの別物。生演奏ではエネルギッシュで好ましく思える演奏でも録音では粗削りに聞こえたり、逆に生演奏では大人しく聞こえる演奏でも録音だと洗練されて聴こえたりする。我々5人はの最大目標は、この月曜日の収録でいつまでも誇りに思える演奏を残すことでした。この夜の演奏会は動画を録音に残され、あとから編集されます。午後の収録は、夜の本番収録で大きなミスや事故があった場合、あるいはベストが出せないセクションがあった場合、部分的に編集で補うためのバックアップ用です。ネット上に発表された動画は半永久的に残り、どのようなシェアのされ方や評の対象になるかコントロールする事が難しくなります。勿論、ネット上が玉石混合の様々な動画で溢れかえる中、私たちの今回の演奏動画が物凄い注目を浴びる可能性は少ないのですが、それでも5人それぞれがプロとしての誇りを持ってベストを尽くしたいと思うのは当然のことです。
会場入り直後、私は兎に角新しいピアノに慣れようと必死で秒単位で色々なピアノの音色や音域を様々な曲風や奏法で試すことに懸命になりました。会場スタッフに音響パネルを動かしてもらったり、ピアノの位置や角度をちょっとずつを変えたり…立派なフルコンではあるけれど、音の輪郭がぼんやりしていたピアノの音色が私の工夫で少しずつ立体感を増し、発音がはっきりしてきます。でも限りある時間。ヴァイオリン奏者がテンポの打ち合わせをしに私に話しかけてきます。進行係が、誰がどの曲を紹介するのか質問してきます。収録チームがカメラの位置の確認をホールの後方と前方で大きな掛け声でやり取りします。これはチーム・プロジェクト。ピアノ独奏のプロジェクトではない。それは分かっているのですが、ピアノは、弦楽カルテットと対等=弦4人分と同じ重要性を音楽的に担っています。ピアノが気持ちよく響けば、それは私の演奏をよりよくし、そして私の演奏が良くなれば、アンサンブルとしての演奏も全体的によくなります。
「みんな、少し静かにして!5分で良いから動かないで!音を出さないで!」
全員がちょっとびっくりした顔をしてこちらを見た後、気まずそうにもじもじと後退します。でも、静寂は一分と続きません。みんなどうして分からないんだ。ピアノを最高の状態にするのは、最終的にみんなのためなのに…でも、みんなで気持ちよく演奏するためには、私はあまり我を通すわけには行きません。弦楽奏者たちはお互いの事情や要求を理解しやすい。同情もしやすい。でもピアノは結局いつも孤立無援だなあ。私はにわかにとても悲しくなってしまいました。涙が喉に引っかかって、目が熱くなって、呼吸が胸に迫っています。私が白人だったらもう少し理解しようと努力してもらえるのか?私がもっと知名度が高かったら?もっと美人だったら…?
でも今は時間がない。気持ちの整理よりも、まずプロ根性。聴く余裕が無い相手に正論を主張しても何も解決しない。そのまま収録に滑り込みます。皆3時間という限られた時間枠の中で、何をどう何回収録しておけば、今夜のミスの可能性の保険の安心が増すのか、それぞれの立場から計算します。ピアノの難所は弦には簡単なところが多い。逆に弦に簡単な場所はピアノは難所なのです。でも言い争う暇はありません。私はとりあえずみんなの立場と意見を尊重し、寄り添うことに徹すると腹をくくりました。多勢に無勢というのもありますが、結局大事なのはみんなが仲良く気持ちよく収録し、今夜の演奏を最高のものにすることだと思ったのです。午後の収録はあくまでバックアップ。本番は夜の演奏会です。まだまだ長丁場。
収録が終わった後、ヴァイオリニストが済まなそうに近づいてきます。「ちょっと緊張して気が立ってしまって…我儘を言ってしまったかしら…でもとてもうまく行ったと思う。今夜の本番はもう安心ね。どうもありがとう。」またちょっと涙が出そうになります。あなたのパートは収録でカヴァーできたかも知れないけれど、私のパートはカヴァーしきれていない。私の本番のプレッシャーはまだある。
またもや私の頭は根本的な自問自答を始めます。何のための、誰のための音楽なのか。私はどういう目的でピアニストをしているのか。今夜は何を目標にどういう意図で、どう弾きたいのか。
ミスが何だ!私がこういう時に思い出す録音があります。
ラフマニノフ作曲・主演のパガニーニの主題のよる狂詩曲の変奏曲18番、1941年の収録。フィラデルフィア交響楽団をストコフスキーが指揮しています。この時代の録音はみんなそうですが、超絶技巧のラフマニノフも平気で音をかすったりミスしたりしている。オケは音程も音の弾き始めもそろっていないところが多い。そういう意味では現代当たり前になっている正確さが欠如しています。それなのに奏者一人ひとりの曲に対する熱い思いがひしひしと痛いほど伝わってくる。皆が全身全霊で曲に向き合っている。オケも指揮者もラフマニノフも曲を通じて一体となっている。ミスが何だ。正確さが何だ。音楽の魂というのはそういうところにあるんじゃない。私は正確さや速度を競うために音楽をやっているんじゃない。私は赤の他人と心を一つに重ねる機会を増やすために音楽をやっているんだ。
もしかしたらみんなそういう私の心の中の葛藤や自問自答をうすうすとでも感じ取ったり理解してくれていたのかもしれない。本番中のアイコンタクト、私のパートへの耳の澄ませ方、音の合わせ方、全てがまじりあって、最高の演奏を創り上げることができました。観客もそれを感じ取ってくれたのでしょうか。全員総立ちのスタンディングオベーション。

(写真:作曲家のFabien Waksman氏と奏者の皆とHahnホールの前で演奏終了後に)
近くの音楽愛好家の家に一晩泊めて頂いて、帰宅したのが昨日の午後。ギリギリの挑戦を経て、自分の伸びしろにまだまだ開拓の余地があることを再確認しました。私はもっともっとできる。挑戦したい。成長したい。貢献したい。探求したい。しよう。するぞ。
さあ、これから起業家精神コースの11月1日の開始に向けての準備と、今週日曜日からシアトルで行う音楽とチームビルディングのパワポ作成、さらにシアトルで行う「AIと教育の将来協議会」の下準備。そして次の演奏会は11月14日(金)と15日(土)。ベートーヴェンの「悲愴」を弾きますよ~。


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