フランツ・リスト (1811-1886)
ソナタロ短調 (1853)
フランツ・リストのピアニストとしてのイメージはあまりにも強烈です。長くたなびく金髪、彫りの深い顔。「リストマニア」と言われる多数の女性ファンがコンサートでは相次いで失神し、女性とのスキャンダルが絶え間なかったそうです。さらに『魂を悪魔に売った』とまで噂されたヴァイオリンのヴィルチュオーゾ、パガニーニのピアノ版と騒がれ、現在でも超えるピアニストは居ないと言われるほどの超絶技巧の伝説的ピアニスト。その当時の圧倒的な名声が、現在のリスト像を不当に世俗的な物にしているように、私には思えます。そしてその世俗的イメージに影響された現在の一般的なソナタの解釈は私はリスト自身の意図から少し離れているのでは、と思うに至りました。この曲は超絶技巧を見せびらかす、きらびやかで劇的な曲のみでなく、ベートーヴェンのようなしっかりとした緻密な構成によって建築された曲なのではないでしょうか。
そのロックスター的イメージをひっくり返す事実は沢山あります。特に1848年ヴァイマールの宮廷楽長に就任し、強行軍的演奏旅行をやめてからは、リストは交響楽団やオペラの指揮者、評論家、名高い教師、同業者(例えばスメタナ)の理解者・支援者、そして意欲的な作曲家(優に1,400曲以上)として精力的に活躍し、さらに1866年には僧籍にも入っています(ただし下級聖職位で、典礼を司る資格はなく、結婚も自由)。作曲家としてのリストはそのミーハー的なイメージからは程遠い、知的な探索を多く行っており、一番最初の無調性の音楽を書いたのはリストだとする学者もある程です。
ベートーヴェンの愛弟子だったカール・ツェルニーに師事したリストは、11歳の時に老ベートーヴェンに絶賛されています。そしてベートーヴェンから受け継いだ物は、ピアノ奏法に限らなかったのではないでしょうか。ベートーヴェンと言えば、ちょうどヨーロッパ中の数々の革命で、王侯貴族の地位が暴落し、宗教信仰も一般に盲目的ではなくなり、代わって個人の権利や思想の価値が向上してきた啓蒙主義の時代を音楽で体現したような人物です。その孫弟子であるリストは1835年、20代の時に、音楽は宗教に取って代わって、全ての社会層の人間を慰め、向上させる物になるべきだ、と説いています。『(Now, to accomplish this, the creation of a new music is imminent; essentially religious, strong, and effective, this music, which for want of a better name we call humanitarian, will embrace within its colossal dimensions both the THEATRE and the CHURCH. It will be both dramatic and sacred, splendid and simple, pathetic and solemn, fiery and unruly, tempestuous and calm, serene and tender)その為には、‘新しい音楽’の創造が必要です;本質的に宗教的で、強い効力を持ったこの音楽…演劇と宗教の二つの要素を併せ持ったこの音楽は他にどうとも呼びようが無いから‘博愛’と呼びましょう。劇的で神聖、輝かしくも簡潔、感動的にしておごそか、熱烈で無法、激しくも平安、穏やかで優しい…(Weiss and Tarusukin ed. Music in the Western World – History in Document, P.366、平田訳)』
ちょっと誇大妄想的にも聞こえるますが、ロマン主義の時代とリストの当時の年齢を考慮すれば、許容範囲内ではないでしょうか。
こんなリストがピアニストから指揮者・作曲家へ移行をし、さらにピアノ曲の作曲家から交響詩の作曲家へと移行しようとしていた時期に書いたのが、このピアノ・ソナタです。約30分のこの大曲は、一番最初の15小節で次々と提示される3つの主題を、物語の登場人物のように曲の進行にしたがって変身させて行くこと、さらにその中間部に宗教的なコラール二つを挿入することによって展開していきます。お楽しみに。