歌うが勝ち!

最近、カラオケをしている。
カラオケはやればいっつも凄く楽しかったのだけれど
「クラシックピアニストがカラオケなんて…」と言うイメージの問題とか、
なんでかな~、もう何年もやっていなかった。
しかし、ヒューストンの日本人社会ではカラオケが大流行!
そして、皆びっくりするくらい上手い!
「NHKのど自慢、ヒューストンに来てください!」と思うくらい。
素人とは思えない。
そして、在外何十年とか、そういう人ばかりなのに、
「なんで?」と言うくらい皆、曲を良く知っている。
始めは恥ずかしかったし、遠慮もあって、
キャンディーキャンディーとかアニメの短い歌を歌っていた。
(と言うか,キャンディーキャンディーは短いと思っていたら歌詞が3番まであった)。
でも、段々すごく楽しくなってきて
「ぎんぎら銀」とか「ルビーの指輪」とか「ギザギザハートの子守歌」とか
思い出し始めると、ぞろぞろ思い出す!
そして声もどんどん出てくる!
楽しい。歌を大声で歌うってなんて気持ちが良いんだ!
それで思い出した。
私はいっつも本に読みふけるか、歌っている子だった。
と、言うか大人になっても歌っていた。
道を歩きながら鼻歌でも、シャワーで大声でも、
一人で留守番の時なんて、家じゅうを飛び跳ねて、踊りながら歌ったりした。
お風呂に入る時はいつも妹と二重唱をした。
学校で習ってきた合唱の曲とか、そう言うのを私が妹に教えて、
それで私が下のパートを受け持つのだった。
時々音程確認とかも、ちゃんとやった。
いつ、歌うのやめちゃったんだろう?
昔の人も良く歌ったらしい。
音楽史とか読んでいるとたまに、中世とかのそういう風景の記述があったりする。
仕事しながら、道を歩きながら、子供をあやしながら、
合唱したり、一人だったり、斉唱だったり、
兎に角どこでも歌っていたらしい。
後、踊るのも。
貴族も平民も、手をつないで輪になって踊り狂ったりしたらしい。
楽しそう…
まあ、現在のアメリカではねえ。
色々な文化・宗教・言葉の人がそれぞれの歌をもっているから
電車が止まっちゃって、運転再開を待ちながらみんなが合唱なんてできないけれど。
でも、回し歌とか、したら楽しいのに。
そう言えば、ロサンジェルスの学友とは良く歌った。
台湾人と、アメリカ人と、日本人の私でハイキングした時、
中国語と日本語でそれぞれ歌を歌って、
歌詞の内容を想像してあてっこをする、と言うゲームをした。
皆でキャンプに行ったときは山道で車座になって
皆で和音を作りながら、一人ひとり音を一つずつ変えていって和声を進行させる、
そんなゲームを悪気もなく皆で大声でやっていたら
道行く人に「これは何かの儀式ですか?」と聞かれて、皆で大笑いした。
もう随分昔しの話しだが、私は合唱が趣味の弁護士さんと演奏を通じて知り合いになった。
マタイの受難曲とか、そういう古典を歌うグループに入っていらして、
とても張り切って、リハーサル風景の逸話とかを時々聞かせてくださった。
そんなある日、演奏会の一週間前に非常に優秀な女医さんでいらした奥様が
出勤途中に救急車に跳ねられて即死されてしまわれた。
噂になるくらい美男美女で、しかも二人共人望が高く、優秀で素敵なカップルだったのに。
その一週間後のマタイ受難曲の演奏会に、この弁護士さんは出演されたのだった。
「歌を歌うことは、今の自分にはセラピーなんだ」と周りが止めるのを振り切った。
確かに歌うと、雲の中に居たような自分がすっきりと晴れやかになったりする。
なんにせよ、皆で声が枯れるくらいカラオケをするようになって
頭の中は歌でいっぱい!
朝起きても、今までは練習している曲が鳴っていたのが、この頃は流行歌。
寝起き掛けに歌っちゃったりする。
次は何歌おうとか、ここの跳躍は難しいから練習しておこう、とか。
そうしていると何だか、自分の音楽性に新しい側面が芽生えてきたような気までする。
ピアノを弾くときはこの頃技巧に集中しがちだったけど、
「歌心」もまたお腹の底から湧き上がってくるような…
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損!」ってあれである。
チャンチャン♪

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