コロナ日記110:明鏡止水

  • 全米で一日の新感染者新記録またもや更新:4万8千400人。
    • テキサス州(8,000人)、ノースキャロライナ州と、テネシー州も新感染者新記録
    • 規制緩和の修正相次ぐ
      • カリフォルニア州の多くの群で再開していたバーや店内飲食、博物館などの屋内施設が禁止に逆戻り。
        • 「最低3週間は規制緩和なし」—カリフォルニア州知事
  • 今週土曜日の独立記念日:恒例の花火は80%がキャンセル。

シェークスピアのハムレットに「There is nothing either good or bad, but thinking makes it so(物事に良いも悪いもない。考え方次第だ。)というのが在ります。

コロナ渦で演奏会が全てキャンセルになった時、ライブ配信を始めることに私は物凄く躊躇しました。生演奏での時空の共体験こそ音楽のあるべき姿で真髄だと信じて活動してきたからです。機械を通した音で自分の音楽を発信する事への疑問もありました。でもやってみて、良かったことがいくつもありました。

  • 世界中の人と音楽を通じた時間を共にできる。
  • 普段着のありのままの私のありのままの音楽造りを共有できる。
  • 思いがけない方に見て頂き、思いがけない友情が芽生えたり、古い友情が蘇ったりしている。

この最後の点の一つの形が上に挙げた素晴らしい作品です。

Mさんは、私にとっては近づきがたい先輩という存在でしたが、ひょんなことから私のライブ配信の演奏を聞いてくださり、ご丁寧な心のこもった感想を送って来てくださったことから交信が始まりました。どれだけ多才で文武両道の方か、初めて具体的に知りました。そして、コロナ渦の中での音楽造りの紆余曲折に心穏やかではない私に、上の写真のご自分の作品を送ってくださったのです。

「明鏡止水」

送ってくださったこの作品では「明鏡」が「止水」を囲む〇で表現されているそうです。私はこの四文字熟語を聞いた事すらなかったのです。ググって初めて知りました。出展は荘子。

明鏡は塵埃のない澄んだ鏡、という意味。原文は《『鑑明則塵垢不止,止則不明也。久與賢人處則無過。』》。曇りなき鏡のように澄んでいる賢人(=聖人)は彼と接している人々の塵垢(過ち)も無くすことができる。

https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/sousi-toku

私はこの「塵埃」は固定観念かな、と解釈しています。そして「止水」はと言うと…

原文は《人莫鑑於流水而鑑於止水,唯止能止衆止》聖人は、止まっている水のような静かな心を持つのだが、そういった心を持つ者は静けさを求める多くの人々を惹き付ける。

https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/sousi-toku

この言葉は私が今まさに必要としていることを教えてくれているのですが、でも言葉以上にこの作品に、私はす~っと元気になれたのです。「止」と言う字が「水」と言う字をエコーしている!水が止まっているのか、止まっているのが水本来の姿なのか、もうわからない。そしてこの「明鏡」の円!「水」に向かって濃く、重力に引っ張られて、でも「止」に向かって軽く、明るく、突き抜けていっている。凄いのに、可愛い。うならせられるけれど同時に微笑ませてくれる。

この2日間、この作品とテツさんの「鉄則」を楽譜立てに立てて練習しています。

感謝、です。

明日の朝練ライブ配信はこちらでご覧いただけます。

1 thought on “コロナ日記110:明鏡止水”

  1. 小川 久男

    お疲れ様です。
    澄み切った心根は、演奏も澄明になります。
    お励みください。

    小川久男

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