今だから笑えること


博士課程一年目が終わって、何だかとっても気持ちにゆとりができた。

昨日は朝一でジムに行って、いつものルーティーンどおりのせわしないエクササイズでは無く

運動用着に着替えて、そのまま表を散歩することにした。

ライスのキャンパスの周り一周は美しい並木道になっていて

ジョギングや散歩の人が目立つ。

私はまだ一度も一周したことが無かったし、外はあまりにも完璧な天気で

室内でいつもどおりの運動するのには忍びなかったのだ。

歩いていると、この一年の学校生活の事が色々思い出されてきて、

反省点などと共にそのときは余裕が無かったけど、

今思い出すと笑いがこみ上げてくる場面がいくつも頭に浮かぶ。

例えば。

学期最後の週。

みんなペーパーなどの追い込みで目の色が変わっていて、

図書館も深夜を過ぎてもかなり混んでいた。

コンピューターのキーボードを打つ音だけがチャカチャカと鳴り響いている。

そんな中、疑いの余地無く、はっきりと誰かが「ぷーーー」とおならをした。

でも、誰も笑わない。

私も(誰かおならしたなー)と無関心の極みである。

今思い出すと、どうしても何度も笑ってしまう。

その全体的な無関心と、その割と高めのおならの音のコンビネーションがとっても可笑しい。

それから。

ちょうど中間のころ。

みんなが急ぎ足でキャンパス内を行きかっている中。

芝生の上でリスが下の足を投げ出して、

幼児がするような「えんこ」の形で一心不乱に木の実を食べているのを見た。

私はそんなに無防備で無邪気なリスの姿は見たことが無い。

今でも思い出すから、ある程度心に残ったのだと思うけれど、その時は無感動だった。

今やっとキャンパスがいかに小動物にとっても安全な、のどかな環境であるか、思いが及ぶ。

私はこの一年、

自分でも「今、自分は目が三角になっているなあ」とはっきり自覚するほど

余裕の無い日々が続いた。

小さな思いやりや工夫さえもケチって毎日を過ごしていたと思う。

でも、余裕と言うのは気持ちの持ちよう、そして人生観だと思う。

私がしているのは音楽の勉強であって、一秒一刻がかかわる人命救助では、無い。

それに、私が音楽を勉強しているのは、音楽が人間を人間たらしめる

余裕や、ゆとりや、お互いへの共感、そう言った物を強調できると信じているからではないか?

その私自身が、音楽の勉強のために、そういうゆとりをなくしてしまったら、まったく本末転倒である。

来年は、もっと笑おう。

来年はもっと、自分の周りを気遣ろう。

来年は音楽魂を忘れることなく、もっと喜んで勉強しよう。