自叙伝

書評:Famous Father Girl: A Memoir of Growing Up Bernstein, Jamie Bernstein著

世界的な指揮者として小澤征爾や五嶋みどりを起用して応援したり、ウェストサイド物語の作曲を手掛けたり、教育者としてハーヴァードでの講義をシリーズで手掛けたり...レナード・バーンスタインは一世を風靡した奇才でした。カリスマ性に富み、人権問題を始めとするさまざまな世論にもその作品や個人としての発言で影響を及ぼし、またNYフィル主催でシリーズで行った「ヤング・ピープルズ・コンサート」では子供にわかりやすくクラシックを説明すると言う当時は画期的な試みを大成功させ、一世代の音楽ファンを急増させました。 今年で100年目の生誕記念と言うこともあり、各地でバーンスタインを中心としたプログラムが行われ、バーンスタイン関連の出版も多く出ています。そんな中、バーンスタインの長女の自叙伝がこの夏出版され、多くの話題を呼んでいます。バーンスタインの本を来年出版予定のAmerican Studiesの教授吉原真里さんを始め、私も数多くの友達にこの本を多いに勧められて、昨日読破。読み始めたら一気に読み上げてしまいました。 なぜこんなに面白く読めてしまったのか。レナードバーンスタインは音楽史、特に第二次世界大戦直後から20世紀を通じてアメリカ東海岸に於ける音楽史に非常な影響力を持った音楽家です。他の作曲家や芸術家との交流、共同製作、ライバル関係など、音楽関連の興味も多いに在りました。さらに本人の作曲のプロセス(結構行き当たりばったり?)、生みの苦しみ(かなり苦しむ)、演奏会本番の日常のルーティーンや(あまりなし)、練習時間(皆無?)、集中の方法(薬とアルコール?)なども興味の対象でした。 しかしバーンスタインの個性的人生、家族人としてのエピソード、大金持ちセレブとしての私的生活、そして政治背景なども非常に面白いのも事実です。私の世代の音楽に興味がある人ならバーンスタインがゲイだったことを知らない人はいないと思います。でもそのバーンスタインの妻が才色兼備のピアニスト兼女優。しかも夫の同性愛を承知の上で結婚。2人は3人も子供を設けます。さらにそんな状況の中でもバーンスタインが真面目に父親と家庭人としての役割を重要視ししていたのは、本当に意外でした。ただし、尋常ならざるエネルギーの持ち主で睡眠時間をほとんど必要とせず、周りがへとへとになるまで自分の大騒ぎに付き合わせる。これは日本の同業者のエッセーを読んで知っていましたが、家族にもそれを強要したようです。更に自分の兄弟や住み込みのお手伝いさんもすべて含めて本当にいつもいつも人に囲まれて、人から敬愛されていないと、満足できない...アウトプットが多い人はインプットも多く必要とするのでしょうか?家族としては本当に有難迷惑と言うような苦笑の文体の所と、親の七光りからなんとか独立して自分を確立しようともがく場面と、Jamie自身の人生にも、バーンスタインの伝記と同じくらい興味を持って読めました。 音楽マニアが多い日本ですから、この本は近い将来きっと翻訳が出るのでしょう。あまりネタバレをしないように書きましたが、面白く読みました。

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本が形になってきました。祝:独立記念日

月曜日・火曜日と缶詰になって6000文字ほど書きました。寝入りばな、起き掛け、トイレ、シャワー、料理中、練習中...ありとあらゆる時間に新しいアイディアが沸いてきて、その度にコンピューターに呼び戻され、結局なんだかんだで一日中書いています。構造が出来上がって、最初と中途と最後がもう書けているので、あとはどんどん骨組みに肉付けをしていくだけ。今までは暗中模索で書き進めていましたが、ここからは一気に書き上げます。 こうして日本語でブログを書いていると、英語でずっと書いていた脳みそが何となくバランスが取れてくる感じ。 ちょっと日本語で、骨組みを書いてみます。仮に題して「ベートーヴェンは裸だ!」 イントロ:大きな概念の紹介(音楽は喜びでなくてはならない。19世紀ロマン派の「音楽=苦しんで到達するもの」は多大な影響を持つが、これは裸の王様。私は「王様は裸だ!」と叫ぶ子供になりたい) 第一章:「きっかけ:ハンガリーでの暗譜忘れ」 2001年協奏曲の演奏途中で頓挫。それをきっかけにそれまで直視を避けてきた自分の舞台恐怖症と向かい合うことになる。15年と言う歳月を要したが、私はどうやって舞台恐怖症を克服したのか。 (曲:ショパンの協奏曲2番) 第二章:「数日後の成功、ノースカロライナ州:(方法論1.Power Pose。はったり)」 ハンガリーでのトラウマの後5日目。同じハンガリーのオーケストラとの再共演で、舞台恐怖症を制覇して成功を収める。なぜそういう事が可能だったのか。 (曲:ショパン「24の前奏曲」、ベートーヴェンの協奏曲五番「皇帝」) 第三章:「有名と無名のはざまで:(原因1.セクハラと孤独)」 舞台恐怖症になってしまった理由は複雑。一つには、世界に於ける自分の場所についてどう考えたら良いか分からず、不安定になったことがある。独奏者としてスポットライトと満場の拍手喝采を受ける。翌日伴奏者として、自分と目も合わさない生徒たちを伴奏して生活の糧を稼ぐ。そのギャップ。更に、演奏の機会をくれ、評価してくれているかの様に見えた教師やマネージャーに、口説かれてしまう。評価されていたのは自分の音楽ではなかったのか?自分の音楽に価値はあるのか?20代にして自信が無くなる。 第四章:「ツアー:(方法論2.Exposure Theory:場数を踏む、方法論3.過度な練習を辞める。方法論4.イメージトレーニング)」 セクハラ交渉の土壇場で、ツアーする羽目に。恐怖で肉体的症状を発するが、共演者の励ましを得て場数をこなすうちに、毎晩同じ曲で本番を迎えるツアーが実は最高のセラピーだと気が付き始める。 第五章:「マネージャー:(原因2.セクハラとパワハラ)(方法論5:自分に正直になる)」 マネージャーから演奏会のキャンセル、ビザ剥奪、契約破棄などを脅迫され悩む。その過程で、本当に大事なのは自分が自分をどう見ているかと言うことだけだ、と気が付く。自分と自分が提供している音楽が完全に正直であれば、周りにどう評価されようと堂々としていられる。 第六章:「音楽を理解する:(方法論6.音楽を分析する)」 ツアーで共演した指揮者に舞台恐怖症を告白する。すると次の日から毎日バス移動中に音楽の分析法を教えてくれる。それまで我武者羅に繰り返す練習を重ね、考えなくても反射神経で弾けるようになることばかりを目指して恐怖に打ち勝とうとしていたが、音楽を理解することによって色々明白になると言う事実に目覚める。 (曲:ショパンの協奏曲2番) 七章目:「反知性主義(原因3.何故私は反知性主義になったのか」 時間をさかのぼって、なぜ自分が反知性主義にここまで染まったかを再考。13歳でジュリアードに受かり、急に技術性の高い曲で他の生徒と競争する立場に。理解する余裕も無く音を正確に弾きこなすことだけに必死になる。周りも似たように「質より量」の練習に追われている。音楽学校では実技が重要視。授業は最小限。誰も勉強しない。次第に演奏家はサル芸になってくる。英語のハンディもあり、私はまさにこの歯車に巻き込まれていた。 (曲:ラフマニノフの協奏曲2番) 八章目:「反知性主義(原因4:音楽史に於ける反知性主義ー白人男性優勢主義)」 反知性主義に打ち勝ち、自分の音楽に自信を持つために学校に戻る。博士論文のリサーチを進める中、反知性主義には歴史的背景があることを知る。カント・へ―ゲル・ショーペンハウアーなどのドイツ理想主義者たちが音楽に課した理想は抽象的。禅の『悟り』な様な、到達が非常に難しいとされる域へのゲートウェイとしての交響曲・弦楽四重・そしてピアノ・ソナタと言った抽象的な器楽曲。これらは歌詞も無く、舞踏曲でもない。観念的な「美」を追求するための社会的目的を持たない美術である。「分かればエリート、分からなければ...」まさに裸の王様の様な試金石。そしてその延長線上で、劣勢人種ー例えば女性や有色人種ーには音楽は理解できない、できるのは霊媒者の様に自分には理解しえない音楽に仕えるだけ、と言うメッセージが、意識下でクラシックの業界に今日に至って蔓延していた。急に自分の葛藤や、受けてきたセクハラが、理解できる。 (曲:ベートーヴェン「ハンマークラヴィア」、メシアン「Colors of the Celestial City」) 九章目:「白人男性優勢主義に片を付ける。(方法論4:命の危険にさらされる。方法論5:コミュニティーを実感する。)」 オンラインで出会ったハンサムで体格の良い白人男性。彼は実は連続結婚詐欺師だった。精神的虐待とストーカー行為を受けて離別した後、コミュニティーの多大な支援を受けながら刑事責任追及。逮捕に成功して自信と勇気を取り戻す。同時に自分がいかに「白人男性に救われたい」と言う偏見とステレオタイプに惑わされていたか、気が付く。私を親身になって助けてくれた人はほとんどが有色人種か女性か両方だった。人と言うのは助け・助けられることが一番幸せだと思う。白人男性優勢主義者たちの「美」や「崇高」のために音楽を追求するではなく、人のために音楽を役立てたいと思う。 (曲:シューベルト作曲リスト編曲『糸紡ぎのグレットヒェン』、ショパン『幻想即興曲』) 十章目:「ヒーラーとしての音楽活動(方法論7:はっきりとした目的意識)」 音楽の脳神経学的効果と言うのをデータ化する研究に携わる。音楽には治癒効果がある。生態学的にはもちろん、社会的効果も高い。音楽を通じて一体感を味わうのは、時空を共有すると言う実感、共感すると言う快感を社会にもたらしてくれる。私は音楽を使った社会運動家となるべく、これからも正直にわが道を信念を持って歩み続ける。 (曲:リスト『愛の夢』) 月・火と缶詰で書き続けた後、水曜日はアメリカは祝日でした。独立記念日、Independence Dayです。 ハイキングに行きました。アメリカは広い!海も山も近所にあります。             そして3年前の独立記念日は野の君と出会った日。もう一つの記念日でもあります。   夜は2人で山の上から花火を見ました。 それぞれの繁華街がポンポンポンポン景気よく花火を上げているのを高台から見まわしながら、アメリカと言う国と理想、その「独立記念日」の意味、そしてその理想の影で抑圧にあえいで来た人たち、理想と現実のギャップを縮めるために日々努力を続ける人達などに、思いを馳せました。夕焼けの中で始まった花火はいたるところで何時間も上がり続け、これは誇示か虚勢か、何なのか…(花火って一発いくらだったっけ?毎秒いくら、今花火に消えているんだろう?)とちょっとへそ曲がりな事も考えました。 気が付いたら一日で16キロほど歩き回っていました。  

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書評:森下典子著「日日是好日」

私の妹の送ってくれた小包がちょうどクリスマスイブに届いた。 妹は本当に私の心を暖かくしてくれる名人だ。 「こだわりました!」と言う感じのお餅やあんこ、 そして「あやが好きなの!」と言う感じのお菓子や飴と一緒に スペシャル包装に包まれてきたのが、この本「日日是好日」。 「なんか爽やかな気持ちになれるの~」と言う感想付き。 茶道の本だった。 いや、違うな、これは茶道に反映させた、奥ゆかしい自叙伝だ。 何と言うか、茶道を20何年やっていくことで、だんだんと磨かれてくる感性に素直に感動して、 そして卒業、就活、失恋、などと言った人生のビッグイベントに照らし合わせて どんどんと茶道を心の拠り所にすることを生きる術にしていく様が描かれている。 利休とか、私にはよく分からないお道具の固有名詞とかも出てくることは出てくるけれど、 大事なことは、茶道を通じて筆者の森下典子さんが、五感の全てで世界に向き合うことを学ぶ、 その過程なんだと思う。 そう言う風に一般的にまとめると、私が今書こうとしている本もまったく同じかも。 自分が舞台恐怖症を克服する過程で勝ち得た人生観と自信について書こうとしているのだけれど、 でも、苦しい。私は苦しんでいる。 森下典子さんも、例えばお父さんの急死の事や、結婚を2か月に控えたタイミングでの破談など、 そう言う絶対個人的には苦しい話しを、茶道の話しをするのに必要な逸話の様に書いているのだけれど、 自分の胸をえぐるようなエピソードを詳細を一切割愛して小出しにするとき、 自分の中に残るえぐいダシガラの様なものをどう処理して良いか、分からない。 誰かに分かち合ってほしい。 森下典子さんや、Black Boxの伊東詩織さんや、みんなどうやったんだろう。 どうやって気持ちに片を付けたんだろう。 知りたい。 この本には慰められた。 もう一度最初から、今度は音読してみよう。   あや、ありがとう。  

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