学校とは何なのでしょうか。
ネット検索で欲しい情報が瞬時に見られる時代です。個人の学習スピードやスタイルに合わせたAI家庭教師の方が教室よりも学習効果が高い…そんな研究結果が去年発表されました。知識や技術の習得には学校は必要ないようです。
でも私は一緒に学び・考え・感じる時空―例えば学校や音楽会場―は必要だと思っています。
「自分がしてほしいことを周りの人にもしてあげましょう。」我々はそう教わり、教えますよね。それが黄金律といって何千年も前から様々な文明や宗教で同じように言い伝えられていることを知ったのはずいぶん最近です。これぞ人間性ではないか。そしてこれを一緒に体得していくのが学校や音楽会や儀式やお祭りや共同プロジェクトではないか。微力ながら次世代の教育に携わり、生徒ちゃんたちと一緒に人類の未来を想う中、そう考えるようになったんです。

「自分がしてほしいこと」ってなんですか?考えれば考えるほど深い質問です。
「周りの人」って誰ですか?家族?友人?知人?人間だけ?他の生物は含むべきでしょうか?何を、どれだけ、どのようにしてあげればよいのでしょうか?
知識や技術は「誰のために」「何を」「どうして」がはっきりとしなければ方向性への迷いや未来への危険を伴います。でも黄金律をとことん突き詰めると自然と目的意識と信念が重なり、探求心や向上心に熱情が加わると思うのです。
小学校にあがって一番最初の作文は「先生あのね」でした。発見の興奮も富の安心も美しい感動も、分かち合って初めて意味を成し、満足と実感と思い出になる―これは社会的動物としての人間の性なんだと思います。この人間性と矛盾するのが、周りを脅威とみる野性的な生存本能です。生存本能任せにすると、幼稚園児の様に差別や弱いものいじめや、発見や富や感動の独り占めが横行します。だから「自分がしてほしいことを周りにもしてあげる」喜びや方法や意味を知るために学校が必要だと思うのです。手を繋いで踊ったり、声を合わせて歌ったり、一緒に共同制作や感動の思い出をつくるのは人間性の土台だと思うのです。
このブログエントリーは日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯170(2月1日付)を基にしています。

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