リストは神童として華々しくデビューとしてパリの寵児にのし上がった。
が、17歳の時に父を失ってからは自身と母を養うため、演奏を辞め教え始める。
毎日8時半から夜の10時まで、生徒宅へ出向いて行って教えたそうだ。
食事は生徒の家から家へ向かう道中、
帰宅すると母が用意してくれていた食事はすでに腐っていて(本当かな?)
お酒だけあおり、母を起こさないように着替えもせずに階段で眠り込んだらしい。
まあ、多少の誇張は在るかも知れないが、兎に角一杯教えたのは確からしい。
しばらくしてから演奏活動を再開し、演奏と半分
週一である女性が経営する音楽教室で教えることはかなり長い事続けていた。
レッスンノートが残っている。
それによると、リストのレッスンの対象の能力は、
ピアニストを目指す子がたまにいる、くらいだったらしい。
バッハも自ら教鞭をとるほか、街の大学生のアマチュア・アンサンブルの指導をしたりした。
モーツァルトも全然やる気の無い生徒にどのように教授するか、などの言及がある。
クララ・シューマンは神童として脚光を浴びたにも関わらず、
子供の頃から教えるための訓練も受けていて、弟のレッスンを見たりしていた。
どんなスーパースターもあらゆるレヴェルで教えていた。
そして大きな演奏会の前はサロンなどで演奏することで演奏会の宣伝をした。
要するに、今と全然変わらない。
と、言うか、私の生活にそっくり。