マンザナー強制収容所史跡に足を運びました。11万人以上の日系アメリカ人および日本人が第二次世界大戦中収容されたマンザナーは10あった強制収容所の中でも最もよく知られています。収容者の一人、宮武東洋という写真家が収容所内の現実を隠し撮りして記録を残したことが理由の一つに挙げられます。


何を記録し、記憶して、そして何を忘れるのか。個人も時代も文明も、結局これに尽きるといっても過言ではないかもしれません。マンザナーの写真には明るいものも多いのです。夕食後、食堂は映画館やダンスホールに変身したそうです。将来の不安を一時忘れて笑顔で踊る若者たちが映っています。

3月27日に発表された大統領令は「Restoring Truth and Sanity to American History(アメリカ史に真実と正気の復刻)」と名うたれ、米内務省管轄内にある記念碑・記念館などは「アメリカの偉大さや美しさなどを反映し、アメリカの過去や人々を不適切にけなすような内容を含まない」ことを確かめるために行動をとるとしました。これを受けこれらの記念館は来館者に「不適切な内容」を報告するように要請するサインを提示することが義務付けられました。
音楽は識字率が低い時代から備忘録の役割を担ってきました。歌詞は覚えやすい。音楽は印象付けやすい。また検閲や圧政の目を潜って権力者や悪政の批判をしたり、人々の感情を代弁したのも歌や器楽曲です。ずっと里帰りが叶わない宮廷音楽家たちがユーモアを交えて雇用人にお休みを直訴するためにハイドンが書いた交響曲「告別」では、奏者たちは一人ずつ最後の音を弾き終え退場するという最終楽章になっています。
飽食の日本に生まれ落ち「平和ボケ」と言われる私たちは、この頃のニュースに戦々恐々と激動の兆しを見出しています。でも常に客観性を心がけ、現状を受けて自分ができる一番効果的な社会貢献は何か冷静に自問し続けないと、感情だけが先走りしてしまいます。写真を撮り続ける沈着実行も、笑顔でダンスをすることも、音楽を絶やさず人間本来のあるべき姿を忘れずにいることも、それぞれ必要だと思います。
このブログは、日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯154(6月1日付)を基にしています。