演奏

タングルウッドでの演奏、その6

今日はこの頃ほぼ毎日リハーサルをしていたムソルグスキーの歌曲を6時のコンサートで演奏した。 ムソルグスキーがまだ若いころ作曲した曲4つをグループにして、 「What are Words of Love to You?」、 「Jewish Song」 「The Sould Flew Quietly Through the Celestial Skies」 「Hopak」 歌曲の伴奏は楽器伴奏と随分違って、音面は楽器演奏より簡単なことが多いが、 テンポやムードの設定は、詩を考慮するために、音楽だけを考慮すればいい楽器演奏より気を使うし、 子音のあと、母音に合わせて入る、息はを配慮する、など色々大変。 イタリア語なら、日本語に似て、子音と母音の関係もタイミングもわかりやすいが、 ロシア語の場合「グズチェ」の「グズチ」に随分時間がかかって「エ」と、ともに和音を入れたりするから おっとっと、と言う感じである。 新しいことが多くて、はじめは戸惑ったけど、 今日の演奏は今までやったリハーサルやコーチングを全部超えてうまくいった。 嬉しい。 厳しく指導してくれた先生が「今日のは、本当の『共演』でした。素晴らしかった」 と褒めてくれた。 その直後、研修生のオーケストラがオール・ストラヴィンスキーのプログラムの演奏をした。 プルチネラ、ピアノ協奏曲、そして「火の鳥」である。 ピアノ協奏曲はピーター・セルキンがソロを弾いた。 彼は、たとえば公開レッスンをする時「上がってしまうので」と言う理由で、 3人しか客席に生徒を入れさせない、とか少し変わった人のようだ。 今日の演奏は何と言うか、きっと物凄く練習したことをうかがわせる、ある意味完璧な演奏だったが、 私はとても不思議な感覚で聴いていた。 何しろ、完全にオケとぴったりなのだ。 ティンパニーと同じリズムで和音を入れるところでは、 一糸乱れることなく、ティンパニーと一緒に入るので、 ティンパニーの延長線上にピアノの音が在るような感じになる。 金管と揃うときも同じである。 完璧なオケ・ピアノを聴いている感じがした。 でも、ソロではない。 期待にいつも応えたタイミングで発音がなされるので、ある意味超人的なのだが、 裏返せば、それが非人間的にも聞こえる。 物凄い演奏だったのだ。 この曲はオケがピアノを圧倒しやすい曲である。 それなのに、いつもピアノの音がはっきりと際立つ演奏だった。 私は例によって舞台から7列目の鍵盤が良く見える席に座っていたのだが、 彼は指を立て、上から落とすことでスピードをつけて和音を強く弾き、 あらゆる細かい努力を惜しまずに、熱演していた。 でも、私だったら、ああは演奏しない。 これはあくまで協奏曲なのだ。

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タングルウッドにおける演奏、その4&その5

9;45  キャンパス到着、練習 12    レヴァインのボストン交響楽団リハーサルの見学 12;30  ウェスト・サイド・ストーリーの最終リハーサル 2;30  ピアノのアンコール曲集リサイタル(ドビュッシーの月の光) 4;30  研修生によるコンサートの譜めくりと、聴衆としての参加 6;30  ピアノ科の責任者、Alan Smithのうちでピアノ科研究生と教授群の為のパーティー 8;30  ウェスト・サイド・ストーリーの演奏会。 今、とても眠いので、簡潔に。 我を忘れる瞬間と言うものを一つでも多く探し求める人生を送りたい、 ト言うのが私の人生上の一つの指針である。 今日は、我を忘れる瞬間をたくさん持てた日だった。 タングルウッドは、今日は一日お祭りのような日だった。 通常タングルウッドは、キャンパスに入るのに入場料が要り、 その上にコンサート会場に入るのにはティケットを買わなければいけない。 コンサートのほとんどはスピーカーと映像で、外の芝生でピクニックしながら楽しめるようになっている。 しかし今日は、入場料が割安なうえ、コンサート会場へのティケットが要らない日とあり、 沢山の家族づれでにぎわった。 タングルウッドも午後を通してずっと色々な演奏会を企画していて、 その中の一つとして、ピアノの研修生が一人ずつ、5分以内の小品を弾く、 発表会のような企画もあった。 私たちは現代曲の準備や、アンサンブルのリハーサルで駆けずり回っているうえに、 一週間ほどまえにこのコンサートへの出演の要請が来て、 ちょっと文句もあったのだが、でもまあ演奏の機会だし、頑張った。 私は18番のドビュッシーの「月の光」を弾いた。 そしたら、とても受けたのだ。 そのあと一日中、いろいろな見知らぬ人に握手を求められ、おほめの言葉をいただいた。 やっぱり良い曲なんだなあ。 それから、ウェスト・サイド・ストーリーもなんとか楽しく弾き終えられた。 芝生で聴いていた友達によると私の映像が2回大きく写されたそうだ! 間違いもあったけど、2回のリハーサルの付け焼刃の割には、 沢山学べたし、みんなの演奏も素晴らしかったし、全体的によかったのでは、と思う。 やっぱり良い曲だなあ、これは偉大な傑作だなあ、 と、特にこの頃現代曲フェスティバルに向けて、現代曲のリハーサルが増えてきていて、 中には本当に楽譜にする価値のある音楽なのか疑問に感じるような曲もある中で、 つくづくと感じ入る。 そのあと、チャイコフスキーの1812年序曲が、大砲と共演して演奏され、 私たち研修生は外の芝生でござをしいて聴いていたのだが、 たまたま大砲のまじかに座っていて、大砲が鳴った時はみんなで飛び上がってしまった。 そして、最後にバンバンと花火が打ちあがり、 皆見とれて、いつもははしゃぎ合う友達がみんな静かになった。 芝生では、ワインを飲みながら音楽聴いて、花火を見たので、 今は、疲れと酔いと、また少し肩の荷を下ろした安堵で、 とっても眠い。 寝ます。  

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タングルウッドでの演奏、その2

今日の夜、8時からの歌のリサイタルに伴奏で出演した。 プエルトリコ出身のローザが自分で選んだプエルトリコの作曲家Campos-Parsiの4つの小品だ。 声楽の伴奏と言うのは、ただ単にピアノを譜面どおりに弾けば良いと言うものではなく、 歌詞を(それが何語であろうと)すべて一時一句理解して、 フレーズのどこに重要な言葉が来るか、どこに句読点が来るか、 歌手がどこで息をするか、どこで言葉の明確な発音の為に微妙に余分な時間が必要か 全てを理解し、弾かなければいけない。 本当の声楽伴奏の専門家は、ドイツ語、イタリア語、フランス語位は読み書きできるだけでなく、 きちんときれいに発音ができて、それを歌手に教えられなければいけない。 凄い人になると、その上にロシア語や、スペイン語など、他の言語もできる人もいる。 オペラのアリアの歌詞なんて言うのは、空で覚えて弾きながら歌えなければいけない。 四年前までタングルウッドのピアノのプログラムは、 単純にピアノの演奏と、他の楽器との共演を勉強するプログラムと 声楽伴奏専門のプログラムに分かれていた。 しかし、4年前からこっちタングルウッドの方針で何でもできるピアニストを育てる、 と言う風に方針が変わり、経験の有無関係なく、すべてのピアニストに 全ての役割が振り分けられるようになった。 私は11人いるピアニストの中で、もしかしたら一番声楽伴奏の経験が少ない。 イタリア語とドイツ語はすこ~しかじったが、語学の才能がないので、ほとんど覚えていない。 テープ審査を通った段階での電話面接では、その点をしつこく追及された。 「なぜ、今まで声楽家との共演が他の経験に比べて断トツにすくないのか」 「学びたい、と言う気持ちはあるのか?」 「あなたは自分の学習能力が十分に早いとおもうか」など、など。 だから、来るにあたって、自分でもその点が少し不安だった。 しかしここに来ている声楽家たちは本当に素晴らしいし、 私が自分の声楽伴奏の経験が少ないことを打ち明けると、 本当に一生懸命色々教えてくれようとする。 歌詞を一時一句説明してくれる時なんて、 みんな気持ちが入り込んで、目がきらきらして、身振りまで入ってくる。 そういう彼らに励まされて、触発されて、 先生たちにも手取り足取り教えてもらって、 段々色々感じ取れるようになってきた。 今日のコンサートは(自分で言うのもなんだが)、 一昨日足をくじいて松葉杖でステージに登場するはめになり、それでかなり上がってしまった歌手を うまくサポートして弾けたんでないか、と思う。 そういう風に他の歌手たちや、先生方に褒めてもらって、とても嬉しかった。 そして、歌手伴奏専門で来ているピアニストたちの演奏を聞いて、もっともっとうまくなりたい、と思った。

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タングルウッドでの演奏, その1

毎週日曜日、朝の10時に研究生たちによる演奏会がある。 朝10時なんて変な時間だが、もっと時間が遅くなると暑くなってきついので、と言うことらしい。 7月上旬の今はまだ、涼しくて日中も快適なんだけど。 そのコンサートで今日、私はルーカス・フォスの「スケルツォ・リッチェルカーレ」と言う独奏曲と 今まで何回もブログで触れてきた、メンデルスゾーンと三重奏2番を演奏した。 金曜日のドレス・リハーサルを自分で録音して、残響の多いオザワ・ホールで、 しかも結構癖のあるニューヨーク・スタインウェイで、どう効果的に弾くか 結構頭をひねって、友達にもいろいろ意見してもらって以下のことを決めた。 #1 ペダルは最小限。 #2 ベースをしっかり響かせ、チェロをサポートする。 #3 左手がリズム・セクションのところはスタッカートでショスタコの様に弾く #4 セクションの変わり目のところでは、残響を聞いて、隙間を与え、メリハリをつける。 それから、今年の春一緒にフォーレの四重奏を演奏したコルバーンのヴィオラの教授、 ポール・コレティ氏にリハーサル中に言われたことを、もう一度反芻した。 「リヒャルト・ストラウスは晩年、 オーケストラ奏者の技術が自分の若い時に比べて向上してきて、 自分の超絶技巧のトーン・ポーエムの音を全て正確に弾こうと言う野心を持ち始めた時、怒ったんだよ。なぜだかわかる?ストラウスは、弾けない、という前提でああいう難しいパッセージを書いたんだ。弦楽奏者が弾こうとして、バラバラに崩れる、その音が欲しかったんだよ。君は指が良く動くし、それは良いことだけれども、音をすべてクリーンに弾いて得意になっているのは、無意味だよ。音の意図、音楽の中でのそれぞれの音の意図、と言うのは、あるいはそんなに明瞭に一つ一つの音を弾いてのけない方がより効果的に伝わることだってあるんだよ。」 そうして昨日の夜、今朝とヴァイオリンとチェロの子と色々話し合って、ゆっくりさらって 今日の演奏会を迎えた。 演奏を自分で描写するのは難しい。 言えるのは、今まで行ったどのリハーサルでよりも、目線を多くかわして、 楽章間でにっこり励まし合って、そして聴きあって弾けた、と言うことだけだ。 研究生仲間や、もう何十年も研究生たちを支援するボランティアを続けている人達、 教授群や、遠くから演奏を聴きにわざわざ来てくれた友達、いろいろな人に喜んでもらえた。 あとでキャンパスを歩いていたら、見知らぬ人から、握手を求められた。 一通りの、おめでとうと褒め言葉に続いて、こんなことを言われた。 「プログラムを見て気がついたんだけど、 君は日本人で、ヴァイオリンは中国人で、チェロは韓国人だったんだね。 プログラム後半でベートーヴェンの晩年の四重奏を演奏したグループも ドイツ人とイスラエル人とアメリカ人のミックスだったし、 世の中は進歩しているんだね。」 そうかもしれない。 戦後、64年。 確かに私の祖父母には、自分の孫がアメリカで、 中国人や韓国人と共にピアノを奏でることになるとは、 想像できない時代もあっただろう。 音楽と言う言葉を「音が楽しい」と読んで、「音学ではありません」、 とか言うのが一時期はやったが、 私は「楽しむ音」とも読めるんじゃないか、と思う。 人生を精一杯生きている音、社会を一所懸命反映している音、 そういうのが音楽ではないか。 そして、社会が病んでいる時は、音楽は抑圧されてしまう。 逆に健全な社会を奨励する、と言う意味で少々苦しい逆境にあっても 音楽活動を続ける、と言うのはありだろうか? 今世界中が不況で、演奏会を興行してもらうのが心苦しくなるときがある。 自主的に辞退するべきだろうか、と悩む時もある。 それでも、演奏活動を続けるのが、私の使命なのか? それとも、そういうときは冬眠して、 みんながもっと余裕がある時にまた音楽を提供できるようしこしこ練習して 力とレパートリーを蓄えた方がいいのだろうか?

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