演奏

ベートーヴェンの「告別」

練習の仕方が随分変わった。 音楽の聴き方、接し方が変わったことによる当然の結果だと思う。 今、11月の日本でのリサイタル・プログラムを練習しているが、 ベートーヴェンのソナタ26番、作品81aの「告別(Les Adieux)」で今日発見が在った。 11月のプログラムは「歴史を反映する不協和音」と言う題名にして 主に第一ウィーン学派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト)から いかにして必然的に第二ウィーン学派(ショーンベルぐ、ベルグ、ヴェーバーン)に至るか、 と言うテーマのリサイタルにするつもりだ。 シューベルトのソナタ19番(ハ短調)や、モーツァルトの半音階を多く使う実験的小品を数々、 そしてベルグのソナタ、作品1番を入れるつもりだが、 先生の要請で「告別」も練習している。 しかし、この曲は少なくとも和声的にはかなり単純で、このテーマにはそぐわないような気がしていた。 ところが、タングルウッドの後初めて、遅ればせながらさらってみて、 この曲の劇的な部分、さらに言えばオペラチックな部分、が急に見えてきた。 タングルウッドで「ドン・ジョバンニ」をリハーサルの段階から何度も見学してやっとわかったと思う。 凄く嬉しかった。 今日は、やっと荷物を全部ほどき、部屋をすべて整理した。 初心を忘れずに、一年丁寧に頑張ろうと思う。

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タングルウッドでの(最後の)演奏、その10

今日はとってもいい天気だった。 まぶしいような陽気で、木の葉がきらきら光っている感じで、 風は涼しいけれど、肌は日差しにあたってちりちりする感じで、 湖まで泳ぎに行った。 メンデルスゾーンのトリオの準備中、悩みながらお散歩して偶然見つけた湖は、 実はタングルウッドでは代々研修生の遊び場になっている湖で、 私もあれからちょくちょくお散歩とかで行っていたけど、 何しろ忙しかったし、雨も多かったので泳ぐのは今日が初めてだった。 水がきれいで、魚も泳いでいるし、水草も沢山育っていて、青トンボがいっぱい飛んでいた。 何となく流れが在って、プールで泳ぐよりもずっと簡単にぐいぐい泳げた。 タングルウッドに来てから運動らしい運動は全くしていなかったので、本当に気持ちよかった。 そのあと、6時からアンドレ・プレヴィンの歌曲のコンサートが在った。 私は"Sallie Chisum Remembers Billy the Kid"と言う9分の曲を、共演した。 これでタングルウッドの演奏はすべて終わり。 皆でお祭り騒ぎをした。 今、2時半です。 明日の朝早く、名残惜しみに最後にもう一度皆で湖に泳ぎに行く約束をしているので、もう寝ます。

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タングルウッドでの演奏、その9

今日はタングルウッド現代曲フェスティヴァルの一巻として、 研修生によるオケの現代曲コンサートが在った。 私は、Enrico Chapelaと言うメキシコ人の書いた"Inguesu"と言う交響詩のピアノ・パートを弾いた。 この曲は1999年にあった国際サッカー連盟主催の、メキシコで開かれた大会で、 メキシコ対ブラジルの試合で、当時負け知らずだったブラジルにメキシコが勝って フィーバーした事件に触発されて書かれた曲である。 作曲家によれば90分の試合が9分の曲に凝縮されていて 木管がメキシコ・ティームの選手たち、金管がブラジル、 打楽器がベンチの選手たちで、ピアノとハープがそれぞれのチームのコーチ、 そして弦が観客だそうだ。 指揮者は審判で、笛と、イエロー、及びレッド・カードを持っていて、 曲の途中で、ベース・トロンボーン奏者に笛を吹いてイエロー・カードを見せ、 曲の終盤クライマックスの前では、同じくベース・トロンボーン奏者にレッド・カードを出し、退場を命令。 ベース・トロンボーン奏者の不満げなカデンツァに続く退出の後、 曲は一気にメキシコ勝利のクライマックスへと盛り上がる。 リズムが軽快で、大変楽しい曲なのだが、私の位置は打楽器のすぐ横である。 オーケストラ・ベルが肘が当たりそうなくらい近くにあり、 それを打楽器の係の人がハンマーで向こう側からこちらに向かって思いっきり叩いたりする。 (鼓膜の危機!)と懸念し、今日のドレス・リハーサルでは耳栓をしてみることにした。 オケの奏者はよく、耳栓を利用する。 金管のマン前に座る木管の人や、打楽器の前のホルンなどは、 器用にフォルテッシモの前にサササ、と耳栓をはめ込んだりして鼓膜を守っている。 私はそんな器用なことはできないから、とりあえずベルに向いている左耳だけ耳栓をすれば 右耳からの音で、大抵大丈夫なはず、と思っていたが、大間違いだった。 ここでちょっと話をそれて、オケ・ピアノで何が大変かと説明させてもらえれば、 オケの奏者はそれぞれ自分のパートだけが書かれたパート譜から演奏する。 だから例えば50小節とか、100小節とか、ただ単に「50小節休み」とか書いてあって、 そのあとにぴろぴろっと音がかいてあり、また「20小節休み」だったりする。 普通の曲なら「このメロディーが来たら、ここで入る」とか言う記憶でかなり大丈夫だが、 現代曲の場合、何を聞いたらいいか分からないようなことが延々と続いたりするし、 「4分の4拍子で12小節休み」「そのあと8分の9拍子で3小節休み」とか、 小節の単位が変わったりするので、もう必死に 「1~、2~、3~、4~」と12回やってその次に「123456789」と3回やったりしなきゃいけない。 結構大変なのだ。 普通のオケ奏者は高校生の時からこういうパート譜を読み、オケで弾くことに慣れているが、 ピアニストはそういう経験はたいていほとんどしていない。 数え慣れていないのである。 耳栓をして始まったドレス・リハーサルでは、 オケが弾き始めた瞬間、ほとんど何も聞こえないことが判明。 パニクッた私は「1~、2~、3~、4~」とやるのをまるっきり忘れてしまったのだ。 大慌てでとりあえず耳栓を外したが、もう皆がどこを弾いているのか丸っきり分からない! パート譜のところどころに「耳頼り」の合図 (例えば、オーボエがこれを吹いたら次の小節の頭で入る、とか) が書いてあるのだが、それを頼りにやっと自分のパートを弾き始めた時、 もう9分の曲の2分くらいは経過していた。 そこからはちゃんと数えて、ちゃんと弾いて、無事に終わったのだが、 通し終わって指揮者が問題点をさらい直している時、最初のピアノ・パートの事を何も言わない。 なんでだろう、と考えて、実はピアノ・パートは全然聞こえていないことが判明した。 ピアノが弾くときは他の楽器もバンバン弾いている。 大抵打楽器と一緒だし、木管や弦と同じ旋律を弾いていることもある。 オケ・ピアノと言うのは、オケの一番後ろに配置され、大抵他の楽器の色添えで、 「ピアノが聞こえる!」と言うパートはとても少ない。 特にこの曲では金管も打楽器も最大限の音を出しまくっているので、 聞こえるわけがないのである。

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タングルウッドでの演奏、その8

7;30 身支度、朝食、キャンパスに移動 9   練習、リハーサル、 10   研修生による現代曲フェスティバル演奏会で、演奏 1   お友達と芝生でピクニック 2;30 ボストン交響楽団(ショスタコーヴィッチ・チェロ協奏曲、ヨーヨー・マ独奏、J.Kuerti指揮) 4   お友達と芝生でワイン 5;30  寮で夕飯 8    研修生による現代曲フェスティバル演奏会。 今日は、キューバ出身の女流作曲家Tania Leonの"Singing Sepia"の演奏が在った。 ソプラノ、クラリネット、ヴァイオリン、とピアノ4手の為の曲で、 詩はRita Doveの奴隷制度に虐げられた女性の視点から書かれたもの5点を取り上げている。 私はこの曲の楽譜を見た時から、「指揮者がいなくちゃ出来ない!」と思い、 この曲用の指揮者が割り当てられていないことを知ってからは、 リハーサルが始まる前から私は「指揮者が要ります、指揮者なしでは弾けません」と騒いでいた。 例えば、 一人の奏者がカデンツァの様な非常に速い、拍を数えるのが不可能な自由なパッセージを弾いている間 残りの奏者は一つのパターンを繰り返し、 その「カデンツァ」が終わったところでみんな一斉に次のセクションを始める、とか それぞれのパートを熟知するだけの時間と、リハーサルがあれば指揮者なしでも良いかも知れないが、 タングルウッドの限られたスケジュールの中では、指揮者がいた方がずっと簡単に楽譜を実現できる、 そういう曲だったのだ。 私が大騒ぎしたにも関わらず、最後の二回のリハーサルまで指揮者がいなかったのは、 作曲家自身が「この曲は指揮者無しで」と要望したからだが、 最終的に私と、アンサンブル皆の要望が受け入れられて、Stephen Druryが指揮をすることになった。 しかし、それまで指揮者が無くても なんとか一緒に、少なくともそれぞれの楽章を一緒に始めて終われるように それなりに合図とか、いろいろ考慮してリハーサルして来ていたので、 突然指揮者が登場して、大抵のところはずっと簡単になったもののかなりの調整が必要で、 最終リハーサルでは「今日のリハーサルの出来次第では、この曲は見送りにします」 と、リハーサルの始めに宣言されるまでに至った。 私の4手のパートナーのピアニストが全く現代曲の経験がなかったことも困難の一つの原因だった。 この曲は本当に本番が終わるまで、どうなる事やら開けてびっくり、と言う感じだった。 しかし、うまく行ったのだ。 ドレス・リハーサルと本番を聴いてくれた作曲家も満足してくれていた。 完璧とは言い難かったが、最終的には的確さよりも、 詩と、詩からくる感情、雰囲気を大事に演奏しよう、と皆で頑張って 今までのどのリハーサルよりも皆で団結して、上手く弾けた。 良かった、良かった。 お客さんも喜んでくれたし。

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タングルウッドでの演奏、その7

7;30  起床、身支度、朝食、キャンパスに移動 9;40  練習、図書館で総譜の勉強、 10;30 オケのリハーサル 11;30 練習、昼食、演奏会に向けて昼寝・瞑想、ウォーム・アップ 3  会場入り、演奏、聴衆との歓談、 5  寮に戻る、夕食、そしてまたキャンパスに戻る 7  練習、ドレス・リハーサル(Singing Sepia) 9  ボストン交響楽団の演奏会後半を聴く(カルミナ・ブラーナ) Festival of Contemporary Music at Tanglewood、二日目。 今日はJudd Greenstein (ジャッド・グリーンスタイン)作曲の、ピアノ独奏曲"Boulez is Alive"を演奏した。 物議をかもしたBoulezの有名なエッセー「Shoenberg is Dead」 をもじった題名を持ったこの曲は 作曲家によるとBoulezのピアノ・ソナタ2番に着想を得ているそうだが、 かなりはっきりと嬰ハ短調で、ジャズっぽく、 Boulezよりもずっと聴きやすい。 初めて聞いた時私は、この曲に当たったことが嬉しかった。 しかし楽譜を見た瞬間、あまりのリズムの複雑さにげんなりした。 難しさは、1を「初見可能」で10を「ほとんど不可能」とすると、まあ8か、8.5位。 リズムを取得さえすれば、弾くのは簡単では無いが、まあ無理でもない。 でも、譜読みがやたらと面倒くさい。 忙しいスケジュールの中で、譜読みが遅遅として進まず、私は時に曲の意義に疑問を感じてしまった。 その上「リズムも、ペダルもなるたけ楽譜の指示に従って下さい」、と言う作曲家からのメールでの要望に 私はかなりすねてしまった。 私の芸術性、自己表現、思考の居場所はどこ? へそを曲げて、わざと作曲家のメールには返信しなかった。 でも、昨日の夜のドレス・リハーサルで作曲家に会って、べた褒めしてもらい、 ついでに私のメールから受け取った印象をすべて打ち消して謝ってもらってから、 私は完全に機嫌が直ってしまった。 今日の演奏は、自分では完全に満足とは言えないけれど、聴衆も作曲家もとても喜んでくれたし、 とりあえず、無事に終わって良かったことにしたいと思う。 もっといろいろ書きたいけれど、明日の朝10時の演奏会でまた弾くので、 今日はもう寝ます。

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