10月10日~10月14日までインディアナ州ゲーリーに行ってきました。
USスチールが運営する北米最大の製鉄所があるゲーリーという街に、10月10日から10月15日まで行ってきました。マイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソンの出身地。ミシガン湖の最南端に位置し、シカゴの中心街から50キロほどのところにあるインディアナ州の街です。US-ジャパン・リーダーシップ・プログラムで2017年に同期だった起業家のEze Redwoodが、Economic Recovery Corps(経済復興部隊)のフェローの一人として経済疲弊している街を30か月で復興させよとEconomic Development Adniministration(アメリカ合衆国商務省経済開発局)から仰せつかり、私は「音楽の効用でできることをしたい」「この国の人種や経済格差の解決策を自分なりに模索したい」という思いで訪問を決めました。出発前に予習したゲーリーの国勢調査結果などについては10月4日のブログに書きましたのでご参照ください。
行けば都:それぞれの土地に人情と美がある。
「ゴーストタウン」「平均寿命が最も低い街」「犯罪率」…ネット検索をするとそんな見出しが目立つゲーリーですが、演奏旅行初体験が18歳時のボリビアでその後も世界をドサ周りした私の信条は今回も確認されました。行ってみればそれぞれの土地に美しさと美味と人情がある。「行けば都」です。特にゲーリーは琵琶湖の86倍の面積を誇るミシガン湖の最南端に位置することもあり、美しい砂浜や水のある風景は素晴らしいです。
ゲーリーでは地域貢献者の表彰式に出席させて頂いたり、政治分断の勉強会に出席したり、地域で一番賑わうバーで夜中の1時半まで一緒に騒いだり、市役所の方々にお話しを伺ったり、子供たちに学校の様子を聞いたりしました。
音楽交流について
今回のゲーリー滞在のハイライトは、子供たちと一緒に音楽交流ができたことです。アメリカの公立学校は固定資産税で賄うので、不動産の価値が低いゲーリーの様な市町村では学校の予算が微細になります。子供たちは音楽の授業がないだけではなく、訪問演奏もなく、教科書も人数分ない、と話してくれました。私がピアノを弾くと目を輝かせてくれて、「一緒に弾こう!」と誘うとちょっと緊張しながら一生懸命弾いてくれました。親御さんや、大人の方々も色々質問をして下さったり、誉め言葉を投げかけて下さったり、長時間立ち止まってじっと聞いて下さったり、歓迎と感動を色々な形で表現してくださいました。
滞在中の音楽交流を2分弱の画像にまとめました。御覧ください。(Kawai USAに楽器をご提供頂きました。感謝しています。)
人種間交流について
冷戦終結後のネオナチはびこる旧東ドイツやハンガリーやポーランドを始め、エジプトやマケドニアやトルコなど世界各地で演奏した私ですが、ゲーリーでは久しぶりに自分が東洋人であることを強く意識しました。「東洋人がいない!」私がずっと言い続けたので、友人のEzeがわざわざ隣町に中華料理店があることを検索で見つけ、運転して連れて行ってくれたのです。でも入口にも窓にもベニヤ板…すでに廃業していました。
今までも「部屋の中で東洋人は自分ひとり」という場面は色々な国や状況で何度も体験しているのですが、全員黒人の中で自分ひとりが東洋人という状況は初めてでした。アメリカ人の中で黒人は12%。しかも私が専門にする西洋クラシック音楽に携わる黒人は更に少ないからです。西洋クラシックは楽器やレッスン代や演奏会のチケットの値段から考えても経済的に余裕がないとできない音楽でもあります。そんなクラシックを専門とする私を、皆さん本当に寛大に迎え入れてくださいました。私が孤立しないように椅子を勧め、笑顔で声をかけ、「我々は同じメラニン保有者として…」という耳馴染みのない言葉を駆使し、大歓迎してくれたのです。その心遣いが嬉しいと同時に、彼らが受けてきた差別から学んだ優しさに感じられ、「モデルマイノリティ」とされる日本人として白人社会の中で特権的扱いを受けてきた自分の生い立ちが後ろめたくも感じたのです。
今回会ったAさんはこんな話しをしてくれました。「例えば自分がエレベーターを待っていると、白人の男性が二人やってきて一緒にエレベーターを待ちながら3人手持無沙汰に一緒に待ちぼうけになる。身長185センチで100キロの黒人の自分をチラチラ見てるのが分かる。一人は大げさに『忘れ物を思い出した~』という身振りをやってみせ、どこかに行ってしまう。残された一人はびくびくしている。(ああ、またか~)と思いつつ、笑顔を作って挨拶をし、相手の緊張をほぐさなくてはいけない。自分は人を殴ったことすらないのに。自分はただ静かに朝を無事に過ごしたいだけなのに。」回りの黒人男性たちが大きく頷いて共感を示す姿に(みんな似たような経験を日常的にしているんだなあ)と思います。私は在米東洋人女性として何歳になっても無知や無邪気や年少者に見られたり、性対象として扱われたりはするけれど、脅威にみられて警戒されたり、悪者みたいに敵対視されたり犯罪者扱いされたことはない。
2022年の国勢調査によるとゲーリーの住民の77%は黒人、10%がラテン系、9%が白人で、アジア人は0%+となっています。
比較検討のために、同じ2022年の国勢調査の全米平均はこうです。
ゲーリー訪問を経て、私の考察。
「政府にも、アメリカ一般にも、忘れ去られた気がする。」
政策や予算や選挙公約に自分や地域の苦労の改善が全く考慮されていない。そんな焦りが、今までの政権とできるだけ違う立候補者への投票に繋がる…それが2016年のトランプ当選に繋がった要因の一つだ、と聞いています。今回また「忘れ去られているという懸念が払拭できない」という言葉を聞きました。アメリカの主要都市100以外に住む人口は、7割以上。こんなに大きく多様な国の国民一人一人のニーズの全てに対応する政策は無理だとしても、少なくともあなたの声を聴いている、あなたの状況を気にしている、あなたに寄り添いたいと思っているという姿勢を示したい。だから大統領立候補者を始め、政治家は選挙区内を飛び回り、そこら中で笑顔を振りまき、握手やスピーチを繰り返す。でもその間の政治は誰が行っているのか。
「あなたの痛みは私の痛み。あなたの幸せは私の幸せ。」そういう連帯感を示すべきは、政治家ではなく、私のような旅芸人ではないのか。
更に今回思ったことがあります。東洋人というのは、白人と黒人の間の橋渡しができる立ち位置にいるのではないか、ということです。東洋人には大西洋奴隷貿易の歴史的罪がない。アフリカ系アメリカ人にある奴隷制の被害のトラウマもない。一方、中国人排斥法や第二次世界大戦中の日系人強制収容などの人種差別の被害者として黒人の差別の痛みに寄り添うこともできる。更に、現在のアメリカ社会に於いて、東洋人ー特に東アジア人ーは教育レヴェルでも経済状態でも平均的に比較的優位な社会的地位にある。人種でも、社会層でも、政治観でも、ここまでの敵対した分断は最終的に国家の損失。在米日本人・在米東洋人として我々はもっと積極的にできる橋渡しで社会参加・政治参加をするべきではないのか。
世界は広く、私の経験や理解はものすごく限りがあります。でも、私は私なりに一人の音楽家・一人の世界市民として、世のため人のためにできるだけのことをしたいと思っています。
(ゲーリーの美しさをフィーチャーする写真とヴィデオの撮影をしよう!ということになったのですが、海岸の強風がものすごくて大変でした。でもこの写真は何だか気に入っています。)
私のゲーリー訪問の英語のレポートはこちらでお読みいただけます。(内容は少し違います。)https://musicalmakiko.com/en/healing-power-of-music/3346
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