4月15日(火)出発前夜
最近、空港でICE(Immigration and Custom Enforcement:米合衆国移民・関税執行局)エージェントがいるとの話しを読む。総領事館から「グリーンカードなどの滞在許可書の常時携帯義務の執行が強化される」との注意も来ている。でも携帯していたグリーンカードをICEエージェントにはく奪されたら何をされるか、どこに強制送還になるか分からない!そんな懸念がオンラインで飛び交っている。取り合えずグリーンカードの写真を携帯電話に収め、更にコピーを取って荷物に入れる。執筆中の本を物書き仲間に送り付け「私に何かあったら出版して!」とメールで頼む。即電話がかかってくる。「保管は良いけれど、何が心配なの?」「…強制送還…」「大丈夫だよ。日本人はまだ誰も強制送還になってないよ…安心して行っておいで。」(後日談:その後、留学生ビザをはく奪された日本人のケースがニュースになっています。)
4月16日(水)出発→ワシントンダレス国際空港→ウェストバージニア州ロスト・リヴァー
5時半起床。月・水は6時前に通勤に出かける野の君の車に便乗して、空港行きのシャトルバスの前で降ろしてもらう。ちょっと眠いし、朝も早いし、空港の警備をあっという間に通り過ぎてゲートについてから(あれ、ICEエージェントはいなかったね~。いつも通りだったね~)と昨晩の自分の懸念を滑稽に感じる。良かった。DCまでは5時間弱。窓際の席。
飛行機の中では読書と仮眠。これから6日の旅に思いを馳せる。どういう発見と出会いと思い出を経て、帰る時はどういうマキコになっているんだろう。
これから6日間の相棒APさんが空港に迎えに来てくれている。ボストン大学で哲学を、オックスフォード大学で参加型民主主義を学んだあと、ドキュメンタリー映画製作や政治活動で頑張っている韓国生まれのアメリカ人女性。大変小柄な女性だけれど、白人優勢主義者に強気でインタビューしたりする。

空港からAPさんのウェストバージニア州のAPさんのお宅まで約2時間の距離。道中色々な話しをする。APさんは2010年にティーパーティに対抗してコーヒーパーティを立ち上げた発起人でもある。
DCに拠点を置いて頑張っていたAPさんが、4年前からウェストバージニア州のロスト・リヴァーに拠点を構えている理由は、現在のアメリカが抱える分断を解決するためには、多様な人口が意図的に違う人種・社会層・政治観の区域に溶け込んでいくしかないという信念から。ロスト・リヴァーは78%がトランプに投票をした。住民の96%が白人。人口2,811人。内21.8%が貧困層。主な産業は大豆やトウモロコシの農家。

APさんはそのロスト・リヴァーに5エーカーの小さな農園を買い、84歳になられるお母さまと4匹の犬と一緒に暮らしている。APさんとお犬とお母さまが暮らしておられる母屋の周りに沢山の小さなキャビンやトレイラーがある。「好きなところに泊まってね。」

4月17日(木):ウェストバージニア州のロスト・リヴァー

鳥の鳴き声で目が覚める。…寒い!最低気温が零下2度。先週はもっと冷え込んだそう。母屋ではAPさんがコーヒーを入れて待ってくれている。スチームされたオートミルクには沢山のスパイスが入っていて美味しい。イチゴとナッツとココナッツミルクのヨーグルト。APさんは私と同じく主に菜食。
お犬4匹を連れて近所の人工池までお散歩に行くと、釣りをしている人が沢山。「趣味じゃないのよ」とAPさん。「食料源なのーそして最近は釣り人が増えている。心配だわ…」そっか。周りには「大草原の小さな家」そっくりの家が時々ある。そしてそういう手作り感満載の山小屋の中には崩れ落ちている廃墟もある。
10時に芝刈りに来る約束だった地域住民のMさんは、一時間遅れて11時に来る。段ボール二箱の葡萄が食堂に持ち込まれる。政府との契約農家が契約を打ち切られて出荷先が無いそう。捨てるよりは配るということでトラクター一台分この街にも回されてきた、とのこと。大量の葡萄。大粒でおいしそうだけれど。とても消費しきれる量ではない。ロスト・リヴァーで作られる大豆やトウモロコシも同じ運命をたどる可能性が高い。食糧救援物資としてUSAIDなどを通じて出荷されていたものはUSAIDの解体で全て解約。中国などに輸出されていたものは関税がかかれば輸出先が無くなる可能性が大きい。
歓談後、Mさんが芝を刈りにお庭に出てから、APさんにそっと聞いてみる。「Mさん、歯が沢山無かったのに気が付いてしまったのだけれど…」どう見ても60代にはまだ手が届かない男性。痩せていらっしゃるけれど歯以外は健康そうに見える。「ああ、そうだった?ここらの人は歯が無い人が多いから私はもう気づかなくなってしまったのかも。歯科保健を持ったことが無い人が多いから、一生歯医者にかからない人が沢山いるの。そうすると結構みんな歯が抜けちゃうみたい。」…日本では学校に歯医者さんが来て歯科検診を毎年して下さった。それが当たり前だった。日本よりも経済大国のアメリカで、なぜ…?
午後は近くに住むアーティスト宅をお邪魔する。ロスト・リヴァーの住民には大きく分けて3種類あることがだんだんわかってくる。
- 代々ロストリヴァーに住んでいる人たち。主に農家。大学卒は13%。英語以外の言語を喋る人は1%以下。
- 月曜日から金曜日まではDCでお仕事をして、週末だけロスト・リヴァーの別荘に来る「ウィークエンダー」たち。コロナ中にリモートワークでロスト・リヴァーにフルタイムで移住してきた人や、最近DOGEに解雇されロストリヴァーにこれまで別荘だった家に完全移住を決めた人たちもいる。
- 1980年代AIDSの脅威を逃れてNY/DC/ボストンなどから来た芸術家たち。何十エイカーという大きな土地に素敵な家屋を建て、芸術活動に始終していらっしゃる。かなり成功されている方々。この初代ロスト・リヴァー芸術家たちに憧れてより若手の芸術家タイプがその後も少しずつこの地に移住している。
この日の午後お邪魔させて頂いたのは、かなり名のある視覚芸術家。でも本当はずっとピアニストになりたかったのだそう。バーンスタインなどの伝説的音楽家との交流もあった方。手作りのケーキと香り高いお茶をご馳走になる。ロストリヴァーで芸術談になるとは思っていなかった。
夜はAPさんの従妹夫婦とのお夕飯。従妹さんの結婚相手は政府に忠言するテロリズムや内乱の研究者で、DCの大学の教授。(去年出版され今年受賞した米内乱の歴史を辿り現状を解析する本は、日本語訳がすでに出ている!今ググって発見ーびっくり。)従妹夫婦は30年ほどずっとDCで頑張ってきていたのだけれどAPさんがロストリヴァーに移住したのを見て、別荘をここに構える流れになったそう。DCのストレスから解放され、大自然の中で前よりずっと幸せだということ。
4月18日(金) ロスト・リヴァー→D.C.にある「Woman’s National Democratic Club」での演奏→ロスト・リヴァー
6時半起床。CDやドレスを荷造りして約束していた7時に母屋に行くと、APさんが真っ青な顔をして濡れた髪を取り乱して全然準備ができていない状態。「眠れなかった。物凄い焦燥感。悪夢を見た。強制送還された人たちが心配。これから彼らは、我々はどうなるの?」二人でゆっくりとコーヒーを飲んで何とか許容時間内に出発。道中色々話す。
10時半にWoman’s National Democratic Clubに到着。
1920年に実現した女性参政権。その直後、女性参政権運動に携わった運動家たちが、勝ち取った参政権でどう投票するべきなのか、どういう政策を支持し、提案するべきなのかという勉強会を始めたのがこのクラブ創立の発端です。歴代の会員には、例えばエレノア・ルーズベルトがいます。彼女は夫、フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した1933年よりもずっと前に入会し、死ぬまで積極的に色々貢献したそうです。その時代、女性記者がホワイトハウスの記者会見への出席を許されないと知ったエレノアは、このクラブを会場に女性記者のための特別記者会見をホワイトハウスと同時に毎回自ら行ったそうです。
その他ヒラリー・クリントンやミシェル・オバマなどの歴代大統領夫人などもメンバーになったり特別講演を行っているほか、執筆家のマヤ・アンジェロなど、人権運動家や研究者も沢山招かれています。

12時から昼食会。「何週間も先まで予約が取れなかった人気レストランから、最近割引や特別メニューの招待メールが沢山来るの。」「そういえば私の大好きだったXXX飲食店も閉まってしまったわ…」ランチの会話も不安要素が多い。DCは住民の43.3%が連邦政府に雇用される街。DOGEに解雇されたり、いつ解雇されるか首をすくめて待っている人たちは外食はしない。WNDCは、最近DOGEに解雇された人たちは4か月間会費無料と宣伝している。
14時開演。まず「聴く」ということ。音波を通じて人と人が繋がるということをお話し、ピアノでト長調の和音を「ジャーン」と鳴らして、和音が完全に消え入るまで目を閉じて聞き入ってもらう。それからゆっくりとト長調のゴールドベルグ変奏曲のアリアを弾く。空気の緊張感が溶けていくのが分かる。皆の吐息が肌に暖かい様な気持ちになってくる。それからモンポ―の「鐘と泉」と「一滴の水について」、ショパンの「雨だれ」と「革命」、シューベルトの即興曲作品90‐3、マーガレット・ボンヅの黒人霊歌を編曲した「Troubled Water」と弾き進む。沢山の困難を生き延びてきた先祖がいるから、今の我々がある。コメントや質問が曲の間に沢山出る。皆さんが聞き入ってくださっているのが分かる。最後のアンコールにガーシュウィンの前奏曲を弾くと、皆さん総立ちになって拍手をしてくださる。演奏後の会話で涙ぐまれる方がいらっしゃる。CDが売り切れてしまう。


今回の演奏を企画して下さったWNDCメンバーのNさんのお宅にお邪魔する。APさんが歓談中に突然「大変失礼なのですが、横にならせて頂いてもよいでしょうか。」と言った先に、案内されたベッドに倒れこんでしまう。よほど疲れていたらしい。「ゆっくり寝かせてあげましょう。起きてこないようなら今夜お二人で泊ってくださっても良いんですよ。」Nさんのお申し出が染みる。とても素敵な高層アパート。そしてAPさんは多分ずっとすごくストレスを感じていたのだと思う。Nさんとチーズとワインで色々お話しをする。女性としての苦労。現政権に関する不安。このまま朝まで眠っているかと思ったAPさんが起きてくる。顔色がずいぶんよくなっている。3人でインド料理のお夕飯を済ませてから、宿泊を進めてくださるNさんをお断りして、APさんが「犬とお母さんが心配だから」と2時間運転してロスト・リヴァーまで帰る。22時ごろ到着。すぐに就寝。
4月19日(土) ロスト・リヴァー
6時半ごろ目が覚める。 昨日とは打って変わって暖かい。(APさんは今日は寝坊するだろう。)一念発起して走りに出る。外は牛の鳴き声と匂い。鳥の鳴き声が賑やか。春と言うより初夏。5キロほど歩く。朽ち果てた山小屋が道中多いのが気になる。でも自然は気持ちよい!水が豊富な、美しい大自然。紅葉の季節は素晴らしいんだろうなあ。
帰ってくるとAPさんがずいぶん元気になっている。コーヒーと朝食を庭が見えるポーチでゆっくり一緒に頂く。「昨日は本当に素晴らしかった。」APさんは手放しで喜んでくれる。「マキコは皆を幸せにするけれど、マキコがいないところではみんないつもはそんなに幸せじゃない。でもそれをマキコは知らない。マキコとマキコの音楽は皆を幸せにしている。」そんなに褒められるとちょっと恥ずかしい。
10時。ヨガのクラスにAPさんと一緒に参加する。APさんは自分の敷地内にヨガ・スタジオを開設している。そこでヨガを教えるのは、最近DOGEに首になった元・政府職員のHさん。ヨガを教え、パンを焼いてオンライン販売をしながら、これからの身の振り方を考えているそう。でも解雇に至るまでのDOGEからの毎日の沢山のメールで少しノイローゼ気味になり、自信喪失しているそう。その話しを聞いていたからそう思うのか。ヨガのクラス中にしきりと「あれ?左側のストレッチはもうやりましたっけ?あららら、私はなんてヨガインストラクター失格なのかしら…」自虐的に笑いを取ろうとするHさんがちょっとかわいそうになる。でも久しぶりにヨガのクラスで思いっきりストレッチして、とても気持ちが良い。
11時。APさんと4匹の犬と近くの公演にお散歩に行く。まだ2歳のペニーという犬はとっても元気。ペニーと走ると私も楽しくて足取りが軽くなる。ペニーとならフルマラソンだって走れそう!私もちょっとだけ犬が欲しくなる。
12時半。今度は私が睡魔に襲われる。圧倒的。今夜はAPさんのお家で持ち寄りパーティーと演奏会。お料理を手伝うつもりだったけれど、どうしても眠い。
16時。昼寝から目覚め、今夜教えるオンラインクラスの準備を終えて母屋に戻ると、お母さんとAPさんがくるくるとお料理をしている。手伝おうと思ってもにわかに入りきれないチームワーク。韓国語が忙しく飛び交う。APさんは毎月一回こうやって持ち寄りパーティーを開いて、地域の中で政治の話がしやすくなるように皆で努力をしようと呼び掛けている。11月の選挙以降、毎月やって約半年目。「みんなだんだんと打ち解けてきていると思う。」今夜はそこに私の演奏会を添える、と言う企画。韓国風お好み焼き、ポテトサラダ、海藻サラダ、卵焼き、オクラとエビのシチュー…次から次へとお料理が出てくる。凄い。お客さんもどんどん到着してくる。手作りパン。地中海サラダ。ひよこ豆のコロッケ。カボチャと玉ねぎのロースト。菜食中心の凄いご馳走。お野菜は皆さんのお庭で取れたものが多い。とても嬉しい!美味しい!最終的に25人ほど集まる。
18時。お食事が終わったタイミングでテーブルを片付け、椅子をピアノの周りに並べて演奏開始。ヨガインストラクターのHさん。政治運動家のRさん。テロリズム研究家のBさん。アーティストのRさん。皆物凄く一生懸命聞いてくださる。


演奏の後、21時から23時半までオンライン授業を教える。これは強行軍!ポカをしないか心配だったけれど、生徒ちゃん達やゲストの講師の方々やTeaching AssistantのNさんのフォローで楽しく授業を終えられる。良かった!でもさすがに疲れてバタンキュー。
4月20日(日) ロスト・リヴァー→DCで復活祭のミサと演奏
疲れているけれど、牛のモーモーと鳥のちゅんちゅんで、田舎の朝はどうしても起きずにはいられない。LAのランニング仲間にも「出張中も走る!」宣言をした手前、頑張って5キロ。走っているとだんだん体が軽くなる。帰ってAPさんとコーヒー。不思議。4日目にしてすでに生活のリズムができている。ポーチでお庭を見ながら犬をなでながらゆっくりゆっくりコーヒーを飲む。
9時半。毎週日曜日はヨガスタジオで瞑想のクラスがあるらしい。ベトナム出身の有名な禅僧で平和活動家、ティク・ナット・ハンの元弟子で、ロスト・リヴァーで芸術活動をしていらっしゃるAさんがリードする。集まった10人はたまたま旅行中だった一人を除いて全員、前夜の私の演奏会に出席してくださった方々。みんなニコニコとして感謝や感動の言葉をかけて下さり、和やか中で瞑想が始まる。静かに目を閉じて呼吸に集中して座っていると、色々な邪念がほろほろと落ちていく。
11時。荷造りをして、APさんのお母さんが準備して下さったお食事でお昼を済ませて、これでロスト・リヴァーとはお別れ。感慨深い。
16時。同性愛者にして共和党―エイズ恐慌の際、保守的共和党員をアフリカに引率してエイズの脅威を知ってもらい、民主党と共和党の協力の元にエイズに対する政策を実行することに一役買ったという特殊な経歴を持つ牧師さんの教会で、復活祭のミサの後に演奏会をする。ここでもUSAIDを通じて行っていたコンゴ共和国での活動を志半ばで辞めさせられ、これからの人生を考え直すことを強要されている人などに出会う。宗派も宗教すらも問わない、皆ウェルカムな教会。と言うことで、ユダヤ人もイスラム教徒も同性愛者も参列するミサ。若い人が多い。聖書にある復活祭の逸話は、中断された道が新しい可能性を指示している、と言う風にも解釈できる。お話しを聞きながら、何だかむくむくと勇気が湧いてくる。私は今、いるべくしてここにいる。為すべき使命がある、と言う気持ち。その気持ちで演奏すると、参加者が響くように反応してくれているのが手に取るようにわかる。後からズームを通じて参加してくれていた人たちが手放しで泣いていた、と聞かされる。演奏の後、皆さんと復活祭のお食事。メキシコ料理。話題が尽きない。

4月21日(月) D.C.での一日:最終日
朝は、APさんと一緒にスミソニアン博物館を訪れる。トランプ政権に「反米イデオロギー」と批判され、抑圧の脅威にさらされている特に国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館をまず訪れる。地下の奴隷貿易の展示は、訪れる人が多すぎて身動きもできないほど。白人も黒人も子供も高齢者も、一生懸命学ぼう・考えようとしている。
息苦しい地下から昇ってくるとContemplative Courtの「ここで一息ついてください」というサインが目について、入ってみる。美しい。
「…work and fight until justice rains down like water (…正義が雨のように降り注ぐまで努力し、戦え…)」というマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉や「I cherish my own freedom dearly, but I care even more for your freedom (自分の自由を愛おしく思うと同時に、それ以上にあなたの自由を渇望する)」というネルソン・マンデラの言葉が壁に刻まれる部屋の中央には大きな噴水が水を注ぎこみます。
周りには遠足で来たらしい子供たちが無邪気に大興奮していて、私はそれを見ながら思わず涙してしまいました。今、アメリカ政権は有色人種や同性愛者・トランスの人々の歴史や科学や軍などにおける貢献を全て消そうと色々行っています。また自閉症の人々には特別な登録をさせるという計画をつい先日RFK Jrが発表して物議をかもしています。この子たちが自由にのびのびと暮らせる未来を実現するために私ができることはなんなのか。」

午後はLittle LightsというDCの貧困層の子供たちのための放課後プログラムを提供するNPOで演奏しました。一生懸命聞いて、参加してくれました。演奏後、私をハグしてくれた後、ピアノをハグしたのにはびっくりしてしまいました。


夕方にはAPさんが始めたTable Kitchen Allianceの定期ズームミーティングに参加しました。「今アメリカに3分間物申すとしたら何を言いますか?」というAPさんのプロンプトに参加者が色々発表しました。「政治や選挙にお金を絡むシステムを撤回しなくてはいけない」「恐怖政治は何も生まない」声を詰まらせる人もいました。最後に私が短い曲を演奏したら、涙を流して感謝して下さった参加者の方がいらっしゃいました。
4月22日 出発日D.C. →帰宅
私には何ができるのか。何をすべきなのか。暗中模索ですが、でも模索を辞めない!できることをする!一歩一歩進む!
今回の旅では、沢山の初対面の人が声を詰まらせたり、涙したり、嗚咽したりする場面に出会いました。皆不安で焦燥感を抱えている。でも、これは好機ともいえる。皆がここまで正直に、変化の必要性を同時に感じるということは、稀だと思う。こういう時こそ、根本的な改善が可能なのではないか。復活祭という時期も重なり、私は何か啓示を受けたような気持ちがしました。
決意新たにD.C.を後にしました。