正義は勝つ

美声日記1.4:ルネッサンスの年明け

4回目のルネッサンス・ウィークエンド(略してRW)は、メガRWー700~800人の参加者と言われる年越しRWでした。 政治家・裁判官・社会運動家・NGO/NPO・学者・起業家・投資家・テック産業・金融・芸術家・メディア・出版・宇宙関係・大企業のVIP...専門や背景が異なる「リーダー」達がオフレコで交流する会です。連休を利用して開かれるRWは, 1981年の創立以来40年以上の歴史を誇ります。この年越しRWにはかつてクリントン家が毎年恒例で参加していたこともあるそうです。 毎年4回開かれるRWーその開催都市はその年によって変わるのですが、年越しRWだけは毎年恒例でサウスカロライナ州にあるチャールストンで開かれます。1670年に創立された歴史ある南部のこの街は奴隷市場や南北戦争・奴隷解放運動・市民権運動など数多くのアメリカの史実の舞台でもあります。2015年にはチャールストン教会銃撃事件(白人至上主義者のディラン・ルーフがアメリカ初の黒人教会で行われていた聖書勉強会を銃撃し、9人が死亡、1人が負傷した惨劇)もありました。歴史上の重要性だけでなく、歴史的建築物や石畳などの4世紀以上の面影を残すチャールストンはアメリカでも人気の観光スポットでもあります。冬でも温厚な気候のチャールストンは多忙なワシントンD.C.の政治関係者やNYの金融・企業関係者も参加しやすいというのも理由の一つでしょう。 余りの情報量とインスピレーションの密度と量。忘れてしまうのが怖い。RWはチャタム・ハウス・ルールを起用しています。討議の内容に関して言及しても良いけれど、誰がシェアしたか、また誰が議論に参加していたかを公開してはいけません。このルールの範囲内で、備忘録をここに公開します。 一日目: 12月28日(土)  西海岸から東海岸に飛ぶ時は、時差によって3時間損をします。歓迎レセプションの始まる6時45分までに、ホテルのチェックインを済ませ、身支度をして会場入りしようと思ったら朝4時の出発はやむをえません。天気予報は荒れ模様で遅延が心配でしたが、幸い乗り継ぎも含めて全て順調。 18時: いつもにも増して分厚いプログラムと何かの罰かと思う様な大きな名札を受け取ります。会の一週間前に自分の登板セッションの日時と内容、そして大体の毎日の行程はメールで知らされていますが、他の参加者のプライヴァシーのために詳しいプログラムの内容や、プレゼンターやパネリストの名前などは到着して初めて受け取るこのプログラムで知ることになります。参加者はほぼ全員2回以上登板するので、同時進行で20以上のプレゼンがあることもあります。レセプションが始まる前に急いでプログラムを斜め読みし、絶対逃したくないセッションをマークします。が、選択肢が多すぎて目移りしてしまう… 18時45分:歓迎レセプションの食前酒カクテルの時間です。顔なじみも増えてきたこの会。笑顔で挨拶や握手を交わします。ここで2021年の私の初回からお世話になっているある哲学者と驚きの再会。私のRW初体験の直後、RWでの出会いをきっかけに実現したピアノバン大冒険の時にもご友人らを観客やパトロンとして総動員し、全面的に応援をしてくださいました。興奮のハグと近況報告の交換。 19時半:初回の食卓の周りには懐かしい顔が沢山!ある著名な人道運動家とそのシャイな奥様。そして大学教授とそのパートナー。800人が食事をする音の中で興奮で会話の声が高まります。 20時半:参加者全員の前で行われるパネルはルネッサンス・ウィークエンドの名物ミニプレゼン「Whoops!」。特にRW初回参加者を温かく迎える為の心づくし。(未知の専門家も超有名人も皆人間!)というメッセージを込めた失敗談の披露パネル。私のRW2回目までは、このパネルで会場全体を捧腹絶倒の渦に巻き込むユーモアの達人を過去に何度も目撃し、3回目は私自身が登板したこのパネル。今回は結構真面目な話しが多い。私自身も早起きして長旅した疲れか、はたまたアメリカを真っ二つにした選挙後のアメリカを見極めようと肩に力が入りすぎてか、なかなか笑えない。(私は今回のRWで何を学び、どんな啓蒙を汲み取れるのか…)ちょっと不安。 22時:バーはまだ開いているのだけれど、私は今日は早寝をします。 二日目:12月29日(日) 7時:安眠ならずの緊張の目覚め。思い切ってRWの朝のお出かけグループに参加。マラソンランナーも軽くジョギング組も居るけれど、私は歩き組。早歩き組は同じ年齢層の4人。みんな初対面だけれど、1時間ほど水辺を早歩きしてお互い打ち解けて気分すっきり。参加してよかった。 8時:お散歩中に特に気があったWさんと朝食。「私はすごく内気だし、この会の参加者には知り合いもいないし…」とこぼすWさん。でも15分後に「ここいいですか?」と着席した女性が、Wさんの過去の同僚でテーブルが嬉しい気持ちで盛り上がる。縁とか運命ってあるんだなあ。 9時:パネル討論「アーツのパワー」ーとりあえず自分と関係ありそうなトピックでどういう人がどういう話しをするのか、誰に自己紹介するべきなのか知るためにこの11人のパネリストが登板するセッションを聴きに行きました。演劇・視覚芸術・アートコレクター・アートサロンで平和対談をするNPO経営者・貧困層の学生を演劇教育で支援する活動家・絵描き・写真家・映画・アマチュア音楽家・音楽投資家などなど。PTSDや学習障害や貧困や差別/分断や病などを、いかにアーツの力で乗り越えられるか…熱く語られていました。 10時: レクチャー「Music and the Mind(音楽と意識)」小児リュウマチ学の専門家であると同時にプロ音楽家の息子で熱狂的な音楽愛好家。パンデミック中にオンラインの「音楽と意識」というコースを始めて大人気となった方の45分レクチャーを拝聴。自分も翌日「音楽とウェルネス」という45分レクチャーの担当になっているけれど限られた時間でどこに焦点を当てるか難しいなあと改めて実感。似たような題目で重複が無いようにという意味でも受講したけれど、聴衆の質問も含め非常に興味深い。人間の顔認証と声認証の知覚プロセスの相違。進化生物学で検証する音楽の(不?)必要性など。 11時:パネル討論「立ち上がる女性たち」性犯罪専門弁護士・航空宇宙工学専門家・テック開発・コンピューター工学・投資金融・法執行…30代~80代まで女性が少ない分野を開拓していった女性たちの苦労話しと武勇談。パネル登壇者10人も含め、部屋には合計30人ほど。その内男性は二人だけ。会の途中で「そして男性はこういう話しを聞いてどう思われるのでしょうか?」と司会者に振られたら顔を隠して「許してください」と笑いを取った男性。帰り際にそっと「それでどうしてあなたはこのセッションを聴講しようと思ったのですか?」と聞いたら「いや、妻がパネリストだったから…それだけです!」かわいい。 12時:レクチャー「全世界で3000万部の売り上げを誇る小説家が危惧する執筆業のこれから」現役弁護士でありながら世界的に有名な法廷スリラー作家でその小説は40か国語以上に翻訳されいくつもの映画化やミニシリーズになっているS.T氏は全米作家協会の元代表をも務めた。「作家協会の代表としてロシアに招かれた時の話しです。トルストイ・ドストエフスキーと、素晴らしいロシア文学の歴史を経ながら、現在のロシア文筆家は一人も世界的な成功を遂げていない。その理由を尋ねたところ、こういわれたのです。『ロシアでは政府容認の数人の作家だけが知的財産権によって支払いを受けることができます。容認されていない作家が出版をすることは非常な困難であることは言うまでもありませんが、それでも敢えて出版にこぎつけた場合、政府はその作品をオンラインで一斉無料公開してしまうのです。結果、その作家は何年もの渾身の作品が無報酬となるのです。それでも書き続ける物書きはいないんです。』この逸話は、AIの進出により、明日の我が身です。知的財産権を徹底的に守らなければ文学は衰退します。」が~~~~~~~ん… (後日談:例えばドストエフスキー・ゴーゴリ・プーシキンなどのロシア文豪は貧困の苦労をしているし(ギャンブルとか散財とか、まあ理由は様々ですが)、トルストイは清貧を説いている。売上を作品の質のバロメーターとすることが文学の衰退の一因となっているとは言えないか?例えばこのレクチャーをした売れっ子作家は確かに大変売れているが、この人の作品がこれから何百年も読まれるのかというと疑問。私は彼の作品を読んだり作品が元になった映画を観たことが無いので印象の話しになるけれど、今の法曹界や法執行の不正の話題が何世代もあとに共感を生むか…?サスペンス・スリラーのテンポ感が100年後に通用するか?) 13時:昼食。ビュッフェの行列がものすごく長くて、やっとご馳走の並ぶテーブルにたどり着いたと思ったらほとんど完売。係の人がお料理を持ってくるまで待ちぼうけ。でも列に並びながらもみんな列の前後の人々とお話しでにぎやか。 13時半:ミニ意見発表「思い切って進言させて頂ければ…」20人の参加者が2分内に「もしも願いが叶うなら…」みたいな直訴をする。内容もだが、その発表スタイルによってメッセージのインパクトが左右されるのが面白い。どんなに正論を述べても声や態度や存在感が控えめだと印象に残らない。また全く自分の興味や知識範囲にないことを言われても馬耳東風になってしまう。その中で非常に印象に残ったのは二人の女性。一人は国防に携わるデータ管理関係者。この人はサングラスをかけ、どすを聞かせて斜に構えた感じで「北朝鮮にポルノを広めましょう」との開口一番で笑いを取った後、現在ロシアに配属されている北朝鮮兵士たちの検索内容の分析により彼らがいかに世間知らずで堅物かが発覚した発言。性解放と民主化との相関性はすでに数多くの研究により立証済みとして最後にまた「北朝鮮にポルノを広めましょう。」二分で大笑い。そして目から鱗。そして記憶に残る強烈なメッセージ性。次に印象に残ったのは「アメリカで私立学校を違法にしましょう」と言った人。私立学校を違法にすれば金持ちや教育者が公立学校に全てを注ぐ結果となり、今アメリカが直面している政治分断・社会層分断の多くが解決される。単純明快で、そして実に論理的。素晴らしい発想。拍手喝采。 15時半:アートツアー。チャールストンで19世紀に建築された豪邸を改築し、世界の多様な文化芸術と精神性や伝統宗教との共存の仕方を問うセンターを運営しているキューレーターのツアー。チャールストンの複雑な歴史や、独特の建築美学と共に、現代社会に於ける芸術や芸術家の役割などを参加者と共に考察する充実した時間。雨上がりの素晴らしいお庭を散策するのも楽しい。 17時:合唱練習。RWの大晦日パーティーで有志が合唱する伝統があるというのは前々から聞いていた。ピアノ伴奏は他の方がしてくださるということだったけれども、私が一緒に歌ったらた少しは助力になるのではないか…と思ってリハーサルに参加したが大間違い。政治風刺の替え歌。言葉が難しくて速い!しかも楽譜なしの歌詞だけ。そしてディズニー映画メドレーや最近の有名ミュージカルなど、私のうろ覚えの歌が沢山。そうそうに退出。今夜は演奏。ホテルに戻って着替えとリラックス。メールや仕事をちょこちょこ。 19時:夕食。昼食で懲りたので、夕食は時間前から列に並ぶ。あんまりがっつく見えたくないけれど、でも今夜は演奏だし良い席を素早く確保したい。みんな同じ思い。列の前後でまた盛り上がる。アメリカで主流の中華料理がいかに中国の中華料理とは別物か、その歴史を解明することで在米東洋人の歴史を語るジャーナリストと同席になる。 20時:参加者全員の前でのパネル協議「我々が学ばなければいけないこと」。まず、ジミー・カーター元大統領の死去が発表され、RW関係者が思い出を偲ぶ。真の人道主義者だったことを彷彿とさせる逸話の数々。その後の協議は、より一層襟を正す感じ。核兵器の脅威を警告するシンクタンクのトップ。サテライトに頼り切っている現ITシステムの現状に言及する宇宙工学の専門家。現代病の経済負担を改善するために食文化の改善を説く循環器専門医(「水に二時間つけても原型を留めている食材だけを食べるようにしましょう!」) 22時:真希子の出番!30分のピアノ独奏会。800人が食事をした後の果てしなく広がるホテルの宴会場。床はふかふかの絨毯。他にも吸音処置が沢山。残響ゼロの最低の音響。背に腹は代えられずアンプ使用。でも人々はピアノの周りを囲んで座り、一生懸命私の方を見て(ピアノの音はスピーカーから出ているのだけれど)、目と閉じて聞き入り、私の話しに笑顔で頷き、フレーズに合わせて呼吸をシンクさせてうっとりと気持ちよさそうに音楽に身を委ねてくださる。「音楽の効果の歴史的な例や科学的研究についてへのあなたの造詣の深さに感銘を受けますが、あなた個人の人生に於いての音楽の効用はなんでしょうか。」との質問に、一瞬考えた後「こう見えて私の人生にも色々ありました。同じ体験でトラウマに感じる方もあろうことも。20歳の時には病気で死にかけたし、ストーカーの刑事責任追及に奔走した経験もあります。でも、私は自分でも思うのですが非常に楽観的で幸せなのです。時々(これが音楽の効用なのかなあ)と思います。」演奏後、人々が音楽の力の体験談を交換しあって止まらない。私はストーカーに関する言及は本当に一文章しかしなかったのだが「言ってくれてありがとう。性犯罪被害者の社会的イメージに囚われることなく前向きに人生を歩む女性像は本当に大切です」と手を握ってなかなか放してくれなかったある有名大学の公共衛生の家庭内暴力専門家を始め、世界平和に音楽が果たせる役割を語り始めた戦争研究家。全くの初対面なのに共通の友人がいることが発覚して歓声を上げあった大学教授夫婦。私抜きでも、沢山の会話のグループがずっと話し続けている。にぎやかにいろいろな方々と話し合って気が付いたら深夜を回っていた。ホテルに戻ってバタンキューの午前様。 三日目:12月30日(月) 8時過ぎ:朝食。10時からの自分のレクチャーのパワポの復習などで、朝食に少し遅刻して到着。チーズをまいてブルーベリーソースをかけたブリンツがとっても美味しそう。(これは水に2時間漬けたら確実に原型を留めていないなあ)と思いつつ、お皿に取ってしまう。食べない後悔も健康に良くない! 9時:パネル協議「総合大学の挑戦」大学教授・大学学部長・世界最大の奨学金分配機関の管理職・大学認定機関のトップなどの大人に加え、様々な大学で現大学生をする若者(RWは家族参加が奨励されていて託児所などもあり、孫を連れて参加する祖父母や、『胎児のときから来ていて、伴侶はRWで会いました!』という人もいる。)も加わった10人のパネルが、ガザの人権問題などのキャンパス・プロテストの現状や、高騰する授業料問題、言論と報道の自由と性嗜好・人種などのヘイトクライム防犯の問題、次期政権の高等教育に関する批判的態度や移民政策によって脅かされる留学生たちの渡航ビザなどに関して語り合う。45分ではとても語りつくせない。が、大学生たちが物怖じせず達者に学生としての視点からみんなが興味ある情報提供をしてくれて頼もしく、そこに将来への希望を見出す。そして概して一致する点は「報道されているよりは、大学構内での現実は冷静沈着。向学心のある学生とそれを真剣にサポートする大学側」という構図。政治やメディアの思惑とは独立したところで、健全な態度があることに安心。 10時:真希子の出番!レクチャー「脳神経科学と音楽」一人で45分のレクチャーを、しかも「脳神経科学と音楽」という(脳神経科学が音楽よりも前に来る)題目でする依頼を受けた時は「せめてタイトルを『音楽とウェルネス』に変えてくださいと頼んだのです。私はあくまで科学に言及する(こともある)音楽家—専門は音楽なのですし。でもプログラムはそのまま。しかも会場には昨日演奏会で盛り上がってくれた人々に交じって、腕を組んでしかめっ面した(様に私には見える)心臓外科医とか、バイオテックの投資家の顔も…最初はちょっと緊張しましたが、でも音楽の治癒効果はすごい!パワポを見せながら色々な事例を紹介していくと、どんどん高じて楽しくなってきます。そして質問も沢山!タイムキーパーに「時間です!」と言われた時にはまだパワポが数ページ残っていて、みんなが「あああ~」と残念そうな声を上げる感じ。壇上から降りる私に近づいてきて色々質問を続けて来てくださる方々の間でハッと気が付きます。あ!11時も出番‼ 11時:真希子の出番!パネル協議「曇りのち…環境危機?」多分世界で一番有名な新聞の環境問題担当者が司会を務める環境パネル。パネリストは全部で10人。再生可能エネルギー専門家。前の前の…米政権の緊急事態管理庁のトップを務めた経験を持つ自然災害被害を最小限に食い止めるための予防対策専門家。「省エネや脱炭素を模索する先進国はさておき、まだまだ工業化が必要なアフリカは世界で唯一高齢化問題が深刻化しない投資に値する大陸ー世界の支援が必要!」と説くアフリカ専門家。工業型農業の環境破壊を世に知らしめ、環境再生型農業を広める専門家。皆政府や国際レヴェルで活躍する経験豊富で役職も立派な人たちばかり。でもみんなちっちゃな声でモゴモゴと専門用語を連発して後ろから何度も「聴こえませ~ん」クレームが。そんな中、私はトリを務める羽目に。「世界を救うノーハウも、聴こえなければ役立ちません!」と大声張り上げて笑いを取って、「私はかぶりつきで皆さんの素晴らしい取り組みを拝聴する幸運に恵まれました。舞台芸術を通じて表現に人生を費やしてきた音楽家として、通訳やスピーカーを務めさせていただければ光栄です。私の様な人間とコラボすることもお考え下さい」と、何とかうまく締めくくれる。後から「あなたの発言が一番良かった」と言って下さる人が数人…いやいや皆さん、演技と本質を間違えてはいけませんよ。 12時:対談「なぜ宇宙がアメリカの安全保障に必須か。」私は知らなかった…GPSがアメリカの衛星の管理下に在ったことを。ベトナム戦争中ミサイルが標的を何マイル単位で外すことが当たり前だったのに、GPSの導入により「どのビル」だけでなく「どのビルのどの窓」まで百発百中になったことを。そのために余分なミサイルが必要となくなったことを。そして衛星に頼り切るようになった今、その衛生を破壊されたら世界は大混乱に陥ることを…なんてこった! 13時:昼食。メキシコ料理。(あんまり美味しくない…という声があちこち。私も内心正直そう思っている。結構みんな疲れている感じ。) 13時45分:パネル協議「活躍する夫婦」著名な研究家夫婦の子育ての秘密(オペアという住み込み子育てお手伝いをしながらホームステイをして現地の学校に通うという制度)と苦労話しなど。桁違いですごかったのがアフガニスタンの政府関係者夫婦。2021年8月のアメリカ撤退・タリバン攻勢・復権の時に新婚で乳幼児を抱えた政府のトップにいた二人は逃亡を余儀なくされる。その劇的転回とアメリカでのその後。色々考えさせられる。国際政治やイデオロギーというのは個人や家庭の幸せに犠牲を強いる価値があるものなのか… 15時:パネル協議「みんなの共通項」政治や社会層や人種や学歴や宗教…色々な条件によって分断や孤立化が進むこの国で、どのように共通の社会参加や福祉の精神を培えるのか。慈善事業・地方の政治参加・社会福祉事業・参加型環境運動…みんな熱い! 16時:パネル協議「今必要なリーダーシップ」州知事、アメリカ主要都市の市長、議員、政治コメンテーター…様々な立場から過去や現在の政治にかかわった経験を持つ7人が語る政治とは…?残念ながら全く記憶がありません。 17時:とっても疲れている。ホテルに帰ってメール。仮眠を試みるも変な興奮の仕方で寝付かれず。 19時:夕食は自由行動。お腹は空いていないけれど、そして疲れてはいるけれど、せっかく誘われたのでレストランで合流。NASAの宇宙開発担当者・数学者・教育者・人権運動家・金融データ分析専門家、など。気が付けば私だけ有色人種の人文系。色々お勉強させて頂く。 21時:食事の後にバーに誘われるけれど、今日はもう早寝! 4日目:12月31日(火) 9時:二つのミニプレゼン。精神科医が説く健康とは?(=愛し働ける状態)そしてアメリカで主流の中華料理から読み解くアジア系移民の歴史。 10時:七つのミニプレゼン「私が手掛ける社会貢献」コロナ後遺症により日常生活すら困難になり車いすでRWに参加した小児科医の「感謝」。芸術の民主化運動の先頭を不治の病で退かざるを得なくなったキャリアウーマンが生きがいを見出した「毎日一つの初体験」チャレンジ。教育格差の縮小のカギは家庭における早期幼児教育にある!と国際的に訴えるNPOのトップ。毎年350万人の22歳以下の若者がホームレスとなるアメリカでデータに基づいた現実的で長期的にできる手助けを提供するNPO。 (後日談:この最後の22歳以下のホームレスの話しをした人が「若者のホームレスの多くは原因が精神疾患など本人に起因があるよりも家族との不和などの状況的なケースが多いことが大人のホームレスと違います。またホームレスになっても路上生活をするのは少数で、大抵は友達の家を転々と居候したり、雨風をしのぐために性行為をしたりします。その為にAIDSを始めとする、大人のホームレスとは違った危険要素に晒される結果となります。」私自身や交友関係に身に覚えがある話しで、寝不足や疲れもあり、私はちょっと動揺してしまいました。) 11時:三つ違うセッションをはしごしました。1つ目:2024年の世界的政治不穏と武装奮闘。アフリカ・中東・南米などの問題を軍・政治・経済・NGO・人権などの専門家が色々な視点から述べる会。人々の声や感情が高まり、ストレスを感じて退室してしまいました。2つ目:クラシック音楽に聴く自然。ベートーヴェンの「田園交響曲」の自然描写。あまりにも私が知り尽くした話題なので、同業者に敬意を表するために10分ほど顔出しして中座。3つ目:私の幸せ。色々な立場の人が自分の幸せに大事な日課や態度について話すパネル。立ち見が出る人気のセッション。きっとみんなホッとしたかったのだと思います。 12時:インタビュー形式「ちょっと気になっていること」「98%のVCが男性起業家に行くのはなぜか!」と息巻いた今年80代の伝説的ビジネスウーマン。「人々の自信過剰が気になっています。自分の限界をもっとみんな見極めればより協力と共生の姿勢が社会に育まれるのではないでしょうかと発言した環境運動家。宇宙ステーションから9.11とその後のアメリカ軍のアフガニスタン進出を見守った宇宙飛行士の「世界は一つを忘れるな」というメッセージ。「Patriotism(愛国)」の語源はギリシャ語の「父の土地」ーつまり土地を愛する気持ちと解釈できます。 13時半:故人を偲ぶ映画鑑賞「おしえて!ドクター・ルース」大晦日のRWに毎年恒例で四半世紀以上参加し続け、去年の7月に亡くなったセレブ・セックスセラピスト、ドクター・ルース。彼女を偲んで遺族と共に彼女のドキュメンタリー鑑賞会が近所の映画館で開かれました。予告編をコピペします。 15時半:昨日私が行った「音楽による環境運動」トークに感銘を受けてくださった参加者の女性がある大学の環境教育でのトークの可能性を持ちかけてくださって、お散歩をしながら色々お話を伺う。彼女は建築スタイルや南部の歴史にも詳しくて、共同プロジェクトの話しの合間に色々ツアーガイドさんみたいなお話しを挿入して下さって、したくてもできていなかった運動や観光が一挙にできているような充実感!そしてこういう出会いが将来のプロジェクトに繋がるのはとっても勇気づけられる。 17時:お祈り集会。宗教や宗派を問わず、色々な宗教リーダーたちがそれぞれお話しをして下さり、その後みんなでアメージンググレースの斉唱。 18時:部屋に戻ってシャワー。2024年も終わるんだなあと感慨深い。大晦日のパーティーは正装。私もコンサート用のロングドレス着用。久しぶりにちょっとだけ化粧して髪の毛もちょっとまとめる。 19時:大晦日パーティー。氷の彫刻の上に山盛りになったエビとカニ。ロブスタービスク。サラダの数々。リゾット。パスタ。シーフード…ご馳走よりもすごいのが皆さんお召しの衣装。ひとしきり歓談とご馳走のひと時を過ごした後は全員で今年最後のパネル協議拝聴。 20時:合唱ーこの日のために練習を重ねて有志合唱団員たちが声を合わせて歌う風刺替え歌はRWの名物。見事。皆お腹を抱えて笑っている。「笑う門には福来る」ってそういえばあったなあ。 […]

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美笑日記11.12:世界平均幸福度を上げよう。

「疲れや貧しさに喘ぎ、自由に焦がれて岸辺に群がり、安住を拒まれて嵐にもまれる哀れなさすらい人たちを私に送れ。私はランプを掲げて黄金の扉を示す。」『移民の国』アメリカ民主主義の理想です

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美笑日記10.29:音楽の平穏

「喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しき時も、健やかの時も病める時も…」通常新郎新婦が結婚式の誓いに交わす言葉ですが、私は音楽家としてこの誓いにある様に聴き手に寄り添えるピアニストを目指しています。 不穏なご時世。(私に何ができるのだろうか)と弱気になることもあります。でも私は色々なところで様々な方々のために演奏して、世界の広さと多様性を体感しています。モンタナではその街初の演奏会を披露し、アラバマでは1000人の小学生に質問攻めにあいました。重度障碍者とそのご家族や、ホームレスの方々などにも演奏した一方、有名会社の創立者ご家族や映画業界の著名人などの豪邸で演奏させて頂いた事もあります。音楽はどんな人々の間にも橋渡しができると信じて活動しています。 音楽というのは食事と同じだと思うのです。どんなに正反対の固定観念を持っていても、どんなに生まれ育った状況や受けてきた教育が違っても、空腹時にご馳走のテーブルを一緒に囲めば笑顔になります。寒い日に暖かいシチューを振舞われれば優しい感謝が生まれます。 こんな寓話をご存知ですか?地獄に行くと細長いテーブルを挟んで人々が向かい合って座っています。それぞれの前においしそうなスープが湯気を立てていますが、みんな飢えて痩せこけています。スプーンが長すぎて自分の前のスープ皿にも自分の口にも入れられないのです。天国に行くと全く同じ状況ですが、みんな丸々と太ってニコニコしてます。違いはただ一つ。天国では長いスプーンでテーブル向かいの隣人にスープを食べさせてあげてたのです。 否が応でも我々は地球人として、運命共同体です。一人の痛みはみんなの痛み。あなたの喜びは私の喜び。自分の幸福度は周囲の幸福感に影響されるのは研究でも立証されています。最大数の人々が最大の効果を得るために、一人ひとりが今できることはなんでしょうか。 この記事は日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯140(11月3日付け)を基にしています。

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美笑日記10.16:核兵器廃絶への世界の願い

「忘れたいと思えば思うほどよみがえってくる。忘れてはいけないことなんだ、無かったことにしてはいけないんだとやっと気が付いた。」15歳の時に広島で被爆し、亡くなった下級生たちを火葬までした体験を語り続けてきた切明千枝子さん(94)の言葉です。 先日「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)のノーベル平和賞受賞は被爆の悲惨を世界に訴え続けた被爆者たちへの評価であると同時に、核兵器拡散や使用はこれら被爆者の努力をないがしろにする非人道だという警告でもあります。かくいう私も被爆者を祖父に持ちながら、2023年にランド研究所の「現世の最大の危機は環境汚染よりも核兵器だ」との発表を知るまで核兵器の脅威を歴史とSFのお話と感じていました。 Doomsday Clock(終末時計)をご存知ですか?核戦争などによる人類滅亡を「午前0時」とし、滅亡までの危険性を残り時間として表現する「原子力科学者会報」の表紙絵です。第二次世界大戦中、核兵器を完成させたアメリカの「マンハッタン計画」に携わった科学者たちが自らの社会的責任の認識の体現として1947年に始めて以来、現在まで続いています。原子爆弾を上回る破壊力の水素爆弾が開発された1953年には2分前まで近づくも1991年の冷戦終結で17分前まで回復した、その時計の針は今どこだと思いますか? …90秒前なんです。 世界唯一の被爆国に生まれた日本人として我々ができること、なすべきことは何なのでしょうか。日本は被爆国であると同時に、人間の強さの象徴でもあります。原爆投下直後は「75年は草木も生えぬ」と言われた広島は、1949年には平和記念公園の整備を始め、奇跡と言われた戦後の日本高度経済成長と共に復興し、去年はG7 の主催都市にもなりました。人間は過去の過ちの反省を基に成長する知性と人道をもっています。「無かったことにしていけない」のは過去の被爆の悲惨な記憶だけではなく、未来の核爆弾による破滅の可能性も同じです。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/nikkan-san-the-way-of-the-pianist/3334  このブログエントリーは、日刊サンに隔週で掲載中のコラム「ピアノの道」のエントリー139(10月20日付け)を基にしています。

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美笑日記9.10:111度の演奏会

猛暑が続きました。LA界隈で一番暑くなるのはサンタモニカ山地で海風が遮られる「ヒートポケット」のウッドランドヒルズ。一か月おきに私の定期演奏を主催して下さるプラット図書館のある場所です。先週土曜日の演奏の日は最高気温が華氏111度(摂氏43度)!記録更新の暑さでした。 小さな会場ですが、立ち見が出るほど地域に根付いたシリーズ。(でもこの炎天下に何人ご来場下さるかな…)私の心配は無用でした。ウォームアップのために早めに会場入りする私よりも早く、数人が中央最前列にすでに陣取っていらっしゃいます。「昔は世界中を旅行したけれど腰を骨折して…今は演奏会が楽しみなの。あなたの演奏は中でも一番の楽しみよ!」きれいにお化粧をした顔なじみが歩行器に体を預けながら楽し気に話しかけてくださいます。いつもは子供連れの夫婦などもちらほらいらっしゃる会場が、この日は高齢者のみ。子供時代から冷房やITに慣れ親しんだ世代より、うちわとラジオで育った世代の方が意外とタフなのかもしれません。 (下の写真は、前回6月の写真です。今週末はとても黒い長袖・長ズボンは無理でした。) 黒人霊歌を主題にした変奏曲やロシア系ユダヤ人のガーシュウィンの前奏曲、そして独立革命をきっかけに祖国ポーランドを去ったショパンのバラードなど、話しを交えながら弾き進めます。質疑応答も活発。世界や人生に翻弄されながらも音楽を紡ぎ続ける人間の強さに対する感動と感謝で会場に一体感が生まれました。音楽というのは圧政された声に耳を傾けるきっかけをくれます。音楽家としての私の使命です。 先月末、アフガニスタンの暫定政権タリバンの法務省は、公の場で女性が声や顔を出すことを禁じる規則を含む新たなな法律を発表しました。女性の中学校以上の教育も許されていません。音楽の演奏も「若者を迷わせる」として2023年の夏、ギターやタブラやスピーカーなどが大量に燃やされています。表現の自由も教育も差別されないことも世界人権宣言に含まれる基本的人権です。世界市民、そして音楽家として私の断固反対をここに発表します。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/concerts/3308  このブログは日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯137(9月15日付)を基にしています。

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