日刊サンコラム「ピアノの道」

美笑日記11.12:世界平均幸福度を上げよう。

「疲れや貧しさに喘ぎ、自由に焦がれて岸辺に群がり、安住を拒まれて嵐にもまれる哀れなさすらい人たちを私に送れ。私はランプを掲げて黄金の扉を示す。」『移民の国』アメリカ民主主義の理想です

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美笑日記10.29:音楽の平穏

「喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しき時も、健やかの時も病める時も…」通常新郎新婦が結婚式の誓いに交わす言葉ですが、私は音楽家としてこの誓いにある様に聴き手に寄り添えるピアニストを目指しています。 不穏なご時世。(私に何ができるのだろうか)と弱気になることもあります。でも私は色々なところで様々な方々のために演奏して、世界の広さと多様性を体感しています。モンタナではその街初の演奏会を披露し、アラバマでは1000人の小学生に質問攻めにあいました。重度障碍者とそのご家族や、ホームレスの方々などにも演奏した一方、有名会社の創立者ご家族や映画業界の著名人などの豪邸で演奏させて頂いた事もあります。音楽はどんな人々の間にも橋渡しができると信じて活動しています。 音楽というのは食事と同じだと思うのです。どんなに正反対の固定観念を持っていても、どんなに生まれ育った状況や受けてきた教育が違っても、空腹時にご馳走のテーブルを一緒に囲めば笑顔になります。寒い日に暖かいシチューを振舞われれば優しい感謝が生まれます。 こんな寓話をご存知ですか?地獄に行くと細長いテーブルを挟んで人々が向かい合って座っています。それぞれの前においしそうなスープが湯気を立てていますが、みんな飢えて痩せこけています。スプーンが長すぎて自分の前のスープ皿にも自分の口にも入れられないのです。天国に行くと全く同じ状況ですが、みんな丸々と太ってニコニコしてます。違いはただ一つ。天国では長いスプーンでテーブル向かいの隣人にスープを食べさせてあげてたのです。 否が応でも我々は地球人として、運命共同体です。一人の痛みはみんなの痛み。あなたの喜びは私の喜び。自分の幸福度は周囲の幸福感に影響されるのは研究でも立証されています。最大数の人々が最大の効果を得るために、一人ひとりが今できることはなんでしょうか。 この記事は日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯140(11月3日付け)を基にしています。

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美笑日記10.16:核兵器廃絶への世界の願い

「忘れたいと思えば思うほどよみがえってくる。忘れてはいけないことなんだ、無かったことにしてはいけないんだとやっと気が付いた。」15歳の時に広島で被爆し、亡くなった下級生たちを火葬までした体験を語り続けてきた切明千枝子さん(94)の言葉です。 先日「日本原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)のノーベル平和賞受賞は被爆の悲惨を世界に訴え続けた被爆者たちへの評価であると同時に、核兵器拡散や使用はこれら被爆者の努力をないがしろにする非人道だという警告でもあります。かくいう私も被爆者を祖父に持ちながら、2023年にランド研究所の「現世の最大の危機は環境汚染よりも核兵器だ」との発表を知るまで核兵器の脅威を歴史とSFのお話と感じていました。 Doomsday Clock(終末時計)をご存知ですか?核戦争などによる人類滅亡を「午前0時」とし、滅亡までの危険性を残り時間として表現する「原子力科学者会報」の表紙絵です。第二次世界大戦中、核兵器を完成させたアメリカの「マンハッタン計画」に携わった科学者たちが自らの社会的責任の認識の体現として1947年に始めて以来、現在まで続いています。原子爆弾を上回る破壊力の水素爆弾が開発された1953年には2分前まで近づくも1991年の冷戦終結で17分前まで回復した、その時計の針は今どこだと思いますか? …90秒前なんです。 世界唯一の被爆国に生まれた日本人として我々ができること、なすべきことは何なのでしょうか。日本は被爆国であると同時に、人間の強さの象徴でもあります。原爆投下直後は「75年は草木も生えぬ」と言われた広島は、1949年には平和記念公園の整備を始め、奇跡と言われた戦後の日本高度経済成長と共に復興し、去年はG7 の主催都市にもなりました。人間は過去の過ちの反省を基に成長する知性と人道をもっています。「無かったことにしていけない」のは過去の被爆の悲惨な記憶だけではなく、未来の核爆弾による破滅の可能性も同じです。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/nikkan-san-the-way-of-the-pianist/3334  このブログエントリーは、日刊サンに隔週で掲載中のコラム「ピアノの道」のエントリー139(10月20日付け)を基にしています。

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美笑日記9.30:時の花

南カリフォルニアならではの楽しみは色々ありますが、公園や庭に鈴なりになる果実の種類の多さもその一つではないでしょうか。レモンや金柑などの柑橘類は勿論、日本では聞いた事すら無かったサボテンの実の数々や、イチジクやザクロ…鑑賞するだけでも楽しいです。 今朝庭仕事をしていたら、お隣から枝を伸ばすグアバの小さな実がいくつか転がっているのを発見。(もう今年もそんな時期か…)残暑の中の思いがけない秋の予告です。見上げると、緑色のまだ固い果実が一つ、また一つと段々見え始め、気が付くと星の数ほどもあるんです。その中で控えめな黄色に染まった数個に手を伸ばすと、引っ張ってもまだ枝にしがみつく実と、触っただけで手の中に落ちてくる実があります。 「時」という語を含むことわざは多い中、熟れた実がホロリと落ちる感触で「時の花」という言葉を思い出したのには訳があります。ミヒャエル・エンデ作「モモ」は「時間とは何か」というテーマと向き合う、スマホとAIに侵された現代人に読んでほしい作品です。そのクライマックスで時間の司祭「マイスターホラ」がモモに見せる時間とは、大きな振り子の揺れに合わせて咲いては消える壮大な花です。 「時間の芸術」と言われる音楽の道を歩む私は、よく「モモ」のこのシーンを思い出します。それぞれの音が「咲く」か否かはタイミングの問題で、それを極めるのが音楽性だと思うのです。メトロノームに合わせて弾くのはまだ枝にしがみつく実をもぎ取るのと同じです。時計やカレンダーに縛られて生きるのも同じく。 コロナまでは次の演奏会や演奏旅行までが私の時間の単位でした。でも「ステイホーム対策」で季節の移り変わりを初めて一か所で体験し、私の時間の感覚や音楽観が一皮剥けた気がします。「速く・正確に」を目指して練習を重ねたピアニストが、余韻に耳を澄ますようになりました。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/healing-power-of-music/3324  今日のブログは日刊サンに隔週で掲載中のコラム「ピアノの道」エントリー138(10月6日出版)を基にしています。

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美笑日記9.10:111度の演奏会

猛暑が続きました。LA界隈で一番暑くなるのはサンタモニカ山地で海風が遮られる「ヒートポケット」のウッドランドヒルズ。一か月おきに私の定期演奏を主催して下さるプラット図書館のある場所です。先週土曜日の演奏の日は最高気温が華氏111度(摂氏43度)!記録更新の暑さでした。 小さな会場ですが、立ち見が出るほど地域に根付いたシリーズ。(でもこの炎天下に何人ご来場下さるかな…)私の心配は無用でした。ウォームアップのために早めに会場入りする私よりも早く、数人が中央最前列にすでに陣取っていらっしゃいます。「昔は世界中を旅行したけれど腰を骨折して…今は演奏会が楽しみなの。あなたの演奏は中でも一番の楽しみよ!」きれいにお化粧をした顔なじみが歩行器に体を預けながら楽し気に話しかけてくださいます。いつもは子供連れの夫婦などもちらほらいらっしゃる会場が、この日は高齢者のみ。子供時代から冷房やITに慣れ親しんだ世代より、うちわとラジオで育った世代の方が意外とタフなのかもしれません。 (下の写真は、前回6月の写真です。今週末はとても黒い長袖・長ズボンは無理でした。) 黒人霊歌を主題にした変奏曲やロシア系ユダヤ人のガーシュウィンの前奏曲、そして独立革命をきっかけに祖国ポーランドを去ったショパンのバラードなど、話しを交えながら弾き進めます。質疑応答も活発。世界や人生に翻弄されながらも音楽を紡ぎ続ける人間の強さに対する感動と感謝で会場に一体感が生まれました。音楽というのは圧政された声に耳を傾けるきっかけをくれます。音楽家としての私の使命です。 先月末、アフガニスタンの暫定政権タリバンの法務省は、公の場で女性が声や顔を出すことを禁じる規則を含む新たなな法律を発表しました。女性の中学校以上の教育も許されていません。音楽の演奏も「若者を迷わせる」として2023年の夏、ギターやタブラやスピーカーなどが大量に燃やされています。表現の自由も教育も差別されないことも世界人権宣言に含まれる基本的人権です。世界市民、そして音楽家として私の断固反対をここに発表します。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/concerts/3308  このブログは日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯137(9月15日付)を基にしています。

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