人生の優先順位

美声日記1.3:お愛でとうございます。

新年明けましておめでとうございます。 おめでとうの漢字はいくつかあるようです。お芽出とうは芽が出る→努力の結果が形になる―これは分かりやすいですね。お目出とうは賽(さい)の良い目が出るということ、そしてお愛でとうは「愛でる」+「甚(いた)し」で、「とてもいとおしい」という意味なんだそうです。 私の今年の目標は「あるもの愛す」。「ないものねだり」の反対語は「あるもの探し」なんだそうです。可能性の範疇にないものをねだって嘆くより、範疇にあるものを主体性を持って探し求め実現化し、そして感謝して慈しむ、という意味の「あるもの愛す。」例えば世界平和は、個人が実現化できる範疇にはないので、願うことは他力本願のないものねだりになります。でも一方、自分の心中や人間関係の平和を積極的に探し求めて実現することは、連鎖反応によって結局、個人にも可能な世界平和への貢献になりえるのではないでしょうか。「もっともっと」と利益や寿命に数値ばかりを追い求める欲張り亡者よりも、あるものを慈しみ、どう活用するかに重点を置けるようになったのは年の功でしょうか。 かくいう私も「もっともっと」と音数や音量や演奏会や聴衆の数・大きさに囚われて、亡者になった過去を経ています。でも最近思うのです。ミスタッチというのは誇張や虚言と出所が同じなのではないか。見栄っ張りの勢い任せで指は転がり、舌は滑ります。本当に心を籠めて出す音や奏でる演奏には、ミスはあり得ない。そして心を籠めるためには時間と気持ちのゆとりが必要です。 …という訳で、「あるもの愛す」でお愛でとうございます。 皆さんは、どういう心持ちで新年をお迎えでしょうか。 昨年も大変お世話になりました。2025年もよろしくお願いいたします。

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美笑日記9.30:時の花

南カリフォルニアならではの楽しみは色々ありますが、公園や庭に鈴なりになる果実の種類の多さもその一つではないでしょうか。レモンや金柑などの柑橘類は勿論、日本では聞いた事すら無かったサボテンの実の数々や、イチジクやザクロ…鑑賞するだけでも楽しいです。 今朝庭仕事をしていたら、お隣から枝を伸ばすグアバの小さな実がいくつか転がっているのを発見。(もう今年もそんな時期か…)残暑の中の思いがけない秋の予告です。見上げると、緑色のまだ固い果実が一つ、また一つと段々見え始め、気が付くと星の数ほどもあるんです。その中で控えめな黄色に染まった数個に手を伸ばすと、引っ張ってもまだ枝にしがみつく実と、触っただけで手の中に落ちてくる実があります。 「時」という語を含むことわざは多い中、熟れた実がホロリと落ちる感触で「時の花」という言葉を思い出したのには訳があります。ミヒャエル・エンデ作「モモ」は「時間とは何か」というテーマと向き合う、スマホとAIに侵された現代人に読んでほしい作品です。そのクライマックスで時間の司祭「マイスターホラ」がモモに見せる時間とは、大きな振り子の揺れに合わせて咲いては消える壮大な花です。 「時間の芸術」と言われる音楽の道を歩む私は、よく「モモ」のこのシーンを思い出します。それぞれの音が「咲く」か否かはタイミングの問題で、それを極めるのが音楽性だと思うのです。メトロノームに合わせて弾くのはまだ枝にしがみつく実をもぎ取るのと同じです。時計やカレンダーに縛られて生きるのも同じく。 コロナまでは次の演奏会や演奏旅行までが私の時間の単位でした。でも「ステイホーム対策」で季節の移り変わりを初めて一か所で体験し、私の時間の感覚や音楽観が一皮剥けた気がします。「速く・正確に」を目指して練習を重ねたピアニストが、余韻に耳を澄ますようになりました。 この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/healing-power-of-music/3324  今日のブログは日刊サンに隔週で掲載中のコラム「ピアノの道」エントリー138(10月6日出版)を基にしています。

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美笑日記12.12:人権宣言

相手に自分を重ねて見る人間性は人類の生存をかけた性なのではないでしょうか。そういう人間性を育み慈しみ助長するのが音楽や祭りごとではないかと私は思って音楽の治癒効果を謳う「Dr.ピアニスト」の活動を続けています。

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