昨晩、ハリウッドで映画の上映会に出席しました。歴代スターの手形・足形を見下ろすグローマンズチャイニーズシアターでのワールドプレミア試写イベントに招待されるのは二度目。前回はアジアで最大の短編映画祭の一つとされるショート・ショーツ映画祭の上映会でした。今回はIYMS(International Youth Media Summit:国際青年メディアサミット、以下「IYMS」)の上映会です。
IYMSは2006年に創立。メディアの影響力を使って世界の価値観・習性・日常を変えるための学習と探求の合宿です。この18年間で世界中76か国から1500人の卒業した2週間のプログラムは毎年7つの課題を扱った7つの短編映画を製作します。
- 7つの課題(2006年第一期生によって制定)
- 差別の廃止
- 環境保護
- 健康
- 貧困撲滅
- 暴力の根絶
- 女性の権利
- 若者のエンパワーメント(能力開花・自律性促進)
上映会で映画を10本ほど拝見して(なるほど)と思いました。2分から8分ほどの短編映画は台詞はなく、ストーリーもメッセージも簡単で直行型です。予算も時間も経験もない人たちが作った短編映画は「映画」と思って観ると物足りなく感じたりもしますが、貧困国や紛争地も含む世界各地から集まって言葉の壁を乗り越えた初対面の若者たちが共同制作した動画だと思うと、SNSに上がる動画とは比べ物にならない価値と重みが見出せます。スマホとSNSの発展で短編映画は確かに「声なき者」に声を与える手段になったのかもしれない。
例えば「若者エンパワーメント」の題材で作られたこの3分の動画をご覧ください。
1990年代、ニュージャージー州の私の高校の同級生にベトナム戦争で両親を亡くし、アメリカ人女性に養子として引き取られて渡米してきていた男の子がいました。大学時代にはチベットから避難民としてニューヨークに移住してきていたチベットのお坊さんたちとも仲良くしていただきました。中国がチベットへの併合の試みを実践し始めたのは1950年。ベトナムでの紛争にアメリカが介入したのが1955年。当時、この様な国際紛争のとばっちりを食らう子供や貧困層や平和主義者たちには世界に向けて発信する術はほとんどありませんでした。
でも今は違う。何年にも及ぶ強制収容を耐え忍んだウイグル人の生存者が。侵攻してきたロシア兵に訴えかけるウクライナ人女性が。「毎晩爆弾が落ちてきてお家が震えるのーお家がゆっくりゆっくり倒れていくみたいなの」と訴えるガザ居住区の女の子が。タリバンによって教育の権利を奪われても12歳の時から女性の権利を訴え続けたパキスタン人のマララが。環境活動に貢献する子供たちが。皆が動画を発信することで声を上げています。映画やメディアをうまく利用する教育は、声の平等化につながる。もしかして今の時代に一番直結した民主主義活動なのかもしれない。
声も音楽も動画も、道具でしかない。悪用もできる。例えば独裁者のプロパガンダで音楽は重要な役割を果たした。少年兵たちは映画「ランボー」を見せられてから戦地に送られると聞いた。でもその影響力と使用法を正しく理解するための教育は、発信者のためだけではなく、世界中の正しい情報伝達や意見交換に繋がるのではないか。
何のために声を上げるのか?何を主張するべきなのか?
世界情勢は悩ましい。環境問題・経済格差・移民問題・差別・貧困・虐待・教育格差など長期的な問題が根底にある中で、時事ニュースも賑わしい。
- 今アメリカを中心に世界の大学キャンパスでガザへの攻撃を辞めるよう求める学生運動が展開し、警察の介入がニュースになっています。
- 米大統領選に向けていろいろな選挙運動が行われる中、トランプ元大統領は数多くの裁判にかけられています。
- 性暴力の被害を受けたとして100人以上が名乗り出ている歴代映画プロデューサー、ハーヴェイー・ワインスタイン(76)の訴訟は#MeToo運動のきっかけとなり、映画「She Said(邦題:シー・セッドその名を暴け)」にもなりましたが、2020年に下った23年間の実刑の判決が今日覆されました。
市民権運動の末暗殺されたマーチン・ルーサー・キング牧師の有名な言葉にこんなのがあります。「In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends. (結局、我々は敵の言葉ではなく友人の沈黙を覚えているものなのだ。)」
でも、何を誰に向けてどう言うのか…それを考察する時間はあるのか。
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