演奏会は共同制作—これが私の信条です。
まず時間を超越した協力があります。一緒に音楽を愛でるという人間の慣習や伝統。ピアノという楽器の発明と発展に関わった人々。作曲家を育んだ時代と音楽教育。演奏会場にある楽器の製作とメンテに携わった人々。私というピアニストの音楽観や演奏技術を育むのに関わった多くの人々やそれを可能にした社会。
次にその日その場での協力があります。全く同じ条件で同じ曲を演奏しても、お客様が違うと演奏は不思議なくらい変わります。拍手の調子やお客様の表情・息遣い・体温・匂い…そういったものの調合が音楽に反映され、会場一人ひとりの発する「気」が壇上の奏者に働きかけるのです。ライブの醍醐味です。
ライブならではの音楽を通じた交流を出来るだけ積極的に楽しんで頂きたくて、聴衆参加の工夫をいつもします。音楽に合わせて呼吸して頂いたり、曲に使われるリズムを一緒に手拍子してみたり、発声して頂いたり…質疑応答もいつも行います。
「なんでラヴェルはこの曲を書いたの?」先週の土曜日の演奏会ではお父さんのお膝に座った5歳位の子が伸びあがるように手を挙げて聞いてきました。
「なんでだろうねえ。」5歳児の世界観を想像しながら言ってみます。「例えば誰かにプレゼントをもらってすごく嬉しかったらママに言いたいでしょ。嬉しい気持ちや悲しい気持ちをシェアしたい―これはみんな感じるんだと思うな。シェアしたい気持ちが特に強い人が曲やお話や絵を書いたり、ピアノを弾いたり踊ったりするんじゃないかな。ラヴェルは背が低くてシャイだったんだって。だから言葉で言うより音楽に書いたほうが簡単にシェアできたのかもしれないね。」
「うん…そうか。分かった!」
納得と共感と(可愛い!)の笑い声がさざなみのように会場に広がります。交流の至福のひと時です。
この記事を書いていて、10年以上前のこの演奏会とこの写真を思い出しました。これは自閉症の子供たちとその家族のための演奏会での一コマです。自閉症の方々は大きな音が苦手なので拍手は無しにするとか、会場のどこで聴いてもよいとか、どんな特質を持った聴き手にも楽しんでもらえるように工夫をした企画です。
この自閉症の子はピアノの下に潜り込んでずっと下を向いて指で床をなぞりながら聴いていたのですが、曲の終わりに私の右手が高音部に行ったとき、私の方を見上げてにっこりと笑ってくれたのです。忘れません。
左に移っている背中はお母さんです。
この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/life-of-a-pianist/3234
このブログエントリーは、日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」の#127(4月21日発表)を基にしています。