- アメリカ政府、国連に2021年7月6日付けでアメリカはWHOから脱退するとの正式通告を提出
- 脱退は規制により一年間の猶予が必要。
- 議会の承認無くして、大統領の一任で脱退できるか検証が必要。(ワシントンポスト)
- ジョーバイデン大統領候補:「大統領になり次第WHOに再加入する。」
- 脱退は規制により一年間の猶予が必要。
- WHO:「COVID-19は空気感染する可能性が浮上。通気の悪い屋内は要注意」
- アメリカの感染者300万人を超える。(ニューヨークタイムズ統計)
ゴルトベルグ変奏曲を毎朝ライブ配信しています。もう10年も弾いている曲なのに、毎回改めて圧倒されます。言葉や時間や肉体や意識や感覚…そう言ったのもを全て超越する凄さがあります。それに接しているだけでワクワクします。
何がどれくらい凄いのか、一言で説明するのは難しいので何回かに分けて書きます。まず、ゴルトベルグ変奏曲を起用した映画をいくつかご紹介させてください。
一番有名なのは「羊たちの沈黙」(1991)でしょう。
精神科医でありながら連続殺人鬼のハンニバル・レクター博士を主人公としたこの心理ホラー映画で、レクターはゴルトベルグを好んで聴きます。特にゴルトベルグが重要なこのシーンで、監獄の中のレクターは絵も描き、音楽の嗜好もバッハ、言葉遣いも礼儀正しく、そしてインテリとして描かれています。一方殺される二人の警備員は言葉は荒く、教養もなく、文化への理解も少なく(レクターの食事を絵の上に直接置こうとする)、常識的に言ったらエリートではない人種として描かれています。しかし、ゴルトベルグを聞きながら、この二人の警備員を惨殺するのは、レクターです。
(警告:これは凄い流血の殺人シーンです)
これは実は、第二次世界大戦とナチスの残虐さのトラウマから「なぜこんなに文化的・哲学的に優れていたドイツが、この様な非人道を成し遂げられたんだ?」と言う一つの20世紀の大きなテーマに基づいている、と私は思っています。非常な創造性をも非常な破壊力をも持つ人間。美学は道徳を超えるのか?
もう一つはゴルトベルグなどの傑作にみられるバッハの数学的な完璧さが人間や、人間性をも超越した絶対性を持っていて、それが畏怖の念を起こさせる、ということもあると思います。
ドキュメンタリー映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」
この予告編でのゴルトベルグ変奏曲の起用の仕方はまさにドンピシャ!この世界有数の公共施設の威風堂々とした圧倒的な表向きの顔を見せる最初の30秒ほどにゴルトベルグのアリアを流し、「しかし現実の舞台裏では…」というところで、アリアがすっと消える。ゴルトベルグは畏敬の念を起こさせる、理解しようなんて恐れ多くて思いもしない…的存在なのです。
最後にイングリッシュペイシェント(1996)
この映画は第二次世界大戦中のイタリアが舞台となっています。主人公は全身やけどを覆った記憶喪失で自分の名前も思い出せない男。イギリス英語を喋るので「イングリッシュ・ペイシェント」です。彼の世話をする看護婦が、地雷撤去チームのインド人と出会うシーンです。
ここで起用されているのは変奏曲第一番です。攻撃で破壊された建物にピアノを見つけて、バッハを弾いて日常性を取り戻そうとする看護婦。ここではバッハが敵国の出身者と言うことは関係ありません。そこに「ドイツ人はよくピアノに地雷を埋め込んだ」という知識を持ったインド人が駆けつけます。彼も、爆破されて崩壊し、もうほとんど残っていない壁でも壁は壁としか見れず、まだ鍵のかかったドアを何とか開けて入って来ようとする日常性へのこだわりがあります。彼がピアノの中に在るはずの地雷を探す間、二人は「私はあなたを見かけたことがある」「え?本当ですか?」という、まあナンパで日常的な会話をします。
ここで看護婦が弾く曲がなぜゴルトベルグで無ければいけなかったのか?ゴルトベルグが日常・非日常をも、生死をも、さらには時代をも超えた「世界の共通語」の象徴だからだ、と私は思っています。
…本当にそんなにゴルトベルグは凄いのか…凄いんです!
続きはまた明日。
明日のライブ配信はこちらでご覧いただけます。最近は英語と日本語の行ったり来たりも段々慣れて忘れなくなりました。
お疲れ様です。
ゴルトベルグ変奏曲と映画の紹介有難うございます。
映画好きにとっては、有難いことです。
興味のある文章は読みやすいです。
小川 久男
小川さん
楽しく読んでいただけたようで嬉しいです。
楽しくなきゃ、長続きしませんね。
真希子
Pingback: コロナ日記118:ゴルトベルグ変奏曲と「3」と「2」。 - "Dr. Pianist" 平田真希子 DMA