- 全米の政府機関で過去3か月に合計150万人が解雇。
- Center for Budget and Policy Priorities (左寄りのアメリカ有力シンクタンク):向こう3年間でアメリカの政府機関合わせて六千百五十億ドルの予算不足に直面するとの予測を6月15日(月)に発表
- 再開した飲食店の多くが、店員の感染や一般的な感染者数の増加に伴い再び閉店。
- ロサンゼルスでは店内飲食を再開した飲食店の50%が席数や店内収容人数などのソーシャルディスタンシングの規定に従っていない事が判明。
- テキサス州では6月15日(月)新感染者最高数の記録。
- テキサス州のオースティン市長は8月15日までの外出禁止令を発表。
- BLMのプロテストは全米各地で続く
- 高速道路での座り込み、デモ行進、など。
警告!この次の段落の下に読者によってはちょっとショッキングに感じられるかもしれない写真を上げます。
毎週月曜日はごみ収集の日。一週間の生ごみ、リサイクルと庭の草木のごみを3つのポリバケツに分けて道路に出しておくと、ピックアップに来てくれます。非常事態中ごみ収集が一時停止になるかもしれない事も心配だったけれど、そんなことは一週間だってなかった。感謝です。今日、ポリバケツを動かしたら、その陰に下の写真の物を見つけました。
私は自分が「死」と言うものに対して、他の人とは少し違った認識を持っているのではないかと思っています。そのずれがどこから来るのかは自分でも良く分かりません。二十歳の時に大病をして、死ぬ覚悟を決めたことも在るかも知れません。「自分はいずれは死ぬ」と言う事実に割と冷静です。友達が君悪がって逃げる中、鷹がリスを殺して食べる過程を最後まで見守ったり(20分くらいかかりました)、巣から落ちたまだ眼も開かない毛も生えていない鳥の赤ちゃんがアスファルトで蠢いているのをしゃがみ込んで不動で観察していて、散歩する人に「何かの儀式ですか?」と声をかけられたり...
そういう私なので今朝、このトカゲさんの死体を見つけて、まずこの喉と脇腹の青色の鮮やかさに驚き、そしてしゃがみ込んで、しばし考えこみました。
どうして、沢山の人が集まった儀式で何時間も嘆き悲しまれる死と、こうして打ち捨てられる死があるのだろう?
トカゲと人間を比べるのは不謹慎だ、と思われる人もいらっしゃるかもしれません。私と野の君は庭に数えきれないほど沢山居て、折ある毎にお出ましになるトカゲさんたちを皆「トカゲのとっちゃん」と呼んでそれなりに愛おしく思っているのですが…でも、トカゲと人間を比べるのが不謹慎だとしたら、人間と人間でも良い。
例えば私のヒューストンの黒人の友達(一回り年上)が幼少時、行方不明になったおじさんを親戚中で探し回ったら殴り殺されて道路わきに放置されていた話し。一人っ子政策の時代捨てられた沢山の女の赤ちゃんたち。「お嫁入する時の持参金が払えないから」と世界の貧困国で捨てられる女の赤ちゃんたち。虐待死する人たち。孤独死する人たち。法的には「物」でしかない、「持ち主」に生死を握られている奴隷たち…
ジョージ・フロイド氏は確かに悲惨な最後でした。「息ができない」と何度も言う合間に「ママ...ママ」と呼んでいた画像を思い出す度に涙が滲みます。でも、ジョージ・フロイド氏の前後にはアメリカだけで毎年平均1,000人もの警察の暴力で殺された顧みられない人達がいるのです。警察一般が悪いのではない。「いじめによる死」と呼び方を変えたら、日本にだってそういうやるせない死はありすぎるのだと思います。
忘れ去られる死が在る一方、儀式で祀られて象徴性を持つ死が在る。
5月31日と6月10日に、20代と30代の黒人男性がそれぞれ、木から首をつられた状態でロサンジェルス近郊で発見されています。それぞれの家族は二人とも自殺指向は無かったと証言しており、捜査が進められています。
人間というのは、音楽を創ったり、お互いを傷めつけたり、一人の死を何時間も何週間も何か月も嘆き悲しんだり、でもあるグループの人々の苦渋が何世紀も無視されているのには全く無感動だったり、不思議だなあ、と思います。なんだか自分が宇宙人のような気持です。
今日のヴィデオは2013年の生演奏:ショパンのワルツイ短調です。