明日の朝、サンフランシスコに向かって運転します。
私は出不精で引っ込み思案でシャイな子供でした。しなくて良い事は出来るだけ避けたい、危険は出来るだけ回避したい、そんな子でした。一時期通っていた水泳教室も毎週ぐずって休みたがるような子でした。でも行ったらいつも楽しかった。ある日母が言ってくれました。
「次に『スイミング行きたくないな~』とか『新しい事やりたくないな~』って思ったら、『でも思い切って行ったら(やってみたら)楽しかった!』って思い出してみなよ。」
今、その時の母の言葉を一生懸命思い出して、自分に言い聞かせています。
サンフランシスコまでは片道約6時間の運転です。途中2時間の地点で友達の家に少しお邪魔して朝ごはんをしますが、こんな長距離ドライブは自己新記録です。でもこれは序の口!来週は私は人から借りたピアノバンを、しかもサンフランシスコという全くの未知の都市で、乗り回して演奏するのです!そんな目立つことして、後をつけられ悪漢にアタックされたら私の武器は悲鳴だけです。悪漢の被害に逢わなくとも事故に逢うかも知れない。バンなんて運転したのは引っ越しの時だけだし。
もっと心配な事があります。私は実は全く勘違いをしていたのではないか。音楽の治癒効果を見過ごされがちな人々にピアノバンで届ける!という大義名分は聞こえは良いけれど、実はそれはかなりの傲慢ではないか。彼らの人生や日常の生活苦を全く知らない私の様な人間が、たかが数時間一緒に音楽時空を共有して彼らに何をして差し上げられるというのだ?失礼ではないか?
そんな時、私の不安を代弁するように、私の安全を気遣うメールが来ました。「ピアノを乗せたバンは重いです。急停止が出来ないし、風に煽られる。くれぐれも事故を起こさないように。」
その方への返信を作成中に、私は自分の指がタイプする言葉に励まされました。「何をするのにもリスクはあります。でも何をしない事にもリスクはあると思うのです。」あれと同じですね!♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン♪
私は今回のピアノバンは武者修行のつもりです。私がピアノ道を歩んでくる過程で今まで余りご縁が無かったような方々に色々お話しをお伺いし、音楽時空を共有し、数時間でもご一緒させて頂くことで、色々新しい視点や方向性が見えてくるのではないか、と漠然と期待します。
明日から始まるピアノバン大冒険を企画する上で40近いNPOの関係者とメールやズームのやり取りをしました。それだけでもすでに色々新しい事を学びました。
- ホームレスの人々の中には夏に公園などで開催される野外コンサートの演目などを細かくチェックし楽しみにしている人が沢山いる。
- 気候さえ良ければ野外で暮らす方が自由きままだと考える人は多い。
- そういう人たちを善意で自分たちの常識の枠組みに押し込めようとするのは迷惑がられる。
- テント村では持ちつ持たれつの密な人間関係が築かれている。特にコロナ禍で無理やり住居を宛がわれた人たちはそういう人間関係を失ってとても寂しい思いをしている。
- ホームレス・貧困層・移民など、それぞれの個人にそれぞれの音楽観と音楽がある。特に「声なき人々」の立場を強要されている彼らに対して、聴いて頂くのと同じくらい、音楽であれ身の上話であれ聴かせて頂く、という態度が必要。
- ホームレスや極貧に追い込まれる人や家族の多くは、努力して中産階級の生活を保ってきたけれど癌の宣告や車の事故や移民法に触れてしまった、などちょっとしたきっかけで借金や破産に追い込まれた人たち。
- コロナ禍の非常時では、ホームレスや極貧層や身障者たちもだが、NPOのスタッフも非常な心労を負いながら何とかやりくりしている状況
- 『ホームレス』『移民家族』『母子家庭』などのカテゴリーの陰に隠れて、慈善事業や社会保障政策の対象に成りにくい静かな被害者が高齢者たち。特にコロナ禍で高齢者の生活苦が深まった。
何が起こるのか、私に一体何ができるのか、分かりません。でも最善を尽くす事をお約束します。応援してください。
最後に「作曲と演奏と視聴の三つの行為が音楽を成立させる。その関係性にヒエルアーキ―はありえない」というヴィデオを制作したので、ご覧ください。これは今回のピアノバン冒険に向けての自分に対する戒めのつもりで創りました。
お疲れ様です。
出陣の時がきました。
戦いは人の殺し合いとなりますが、ビアノバンは、アイデンティティの戦いです。
聴き手の心持はわかりませんが、演奏者には、心意気があります。
正真正銘の真紀子ソングを奏でてください。
小川久男