本番まで後6日。
今の私の世界観・音楽観の一部は、長年の舞台恐怖症克服の過程で培われた。
何度かここでも書いたが、舞台恐怖症は死の恐怖に匹敵する。鼓動が早くなる・手足が冷たくなる・口が渇く・吐く・下す...これらは全て肉体が『命の危険』を察知して、生存に必要な機能に血流やエネルギーを全て回す為に起こる生体反応である。そして理性的には命の危険には及ばないと分かっている演奏会なのに、恐怖症は併発するのだ。
何故かー一因には、コミュニティーを追放される事がそのまま死を意味した原始時代の本能が喚起されるからだ。だから、逆に言えば親でも友人でも、無条件で絶対的な信頼関係を人生に持っている奏者は強い。私が舞台恐怖症を克服できた理由は沢山あるが、一つにはヒューストンでの日本人コミュニティーに絶大な支援をしてもらえたこと、そして何があっても絶対ぶれない野の君と一緒になったことがある。
今回の本番で私がびびっていたのは、本番の大きさだけではない。野の君が明日から出張で不在になるから、ということも大きい。どっしりとした私の錨・安定剤の野の君がいなくても私は平常心で演奏できるか。
昨日、SOSメールを発信した。最近私が執筆中の回想録を読んでくれ「これは絶対世に出してほしい」とすごく励ましてくれている友達だ。コルバーンのピアノ同窓生。コルバーンが今昔の卒業生と教授陣全体に向けてこの演奏会をすごくPRしている事をプレッシャーに感じている事。そして野の君がいなくなること。「応援して欲しいの。」私は電話で愚痴を聞いてもらう位のつもりだった。
夜、電話が来た。「来て。同窓会を開こう。コルバーン仲間の前で、本番前の通し稽古をすればよいよ。家に泊まって、したいだけ練習して。そして一杯お話ししよう。」
ご招待は嬉しいけれど、でもあなた方は飛行機で行き来する距離に居るんですけど...
「飛行機代は私たちが皆で割り勘で払うから。お願い、来て。みんな待ってるから。」
野の君も言ってくれる。「行ってきなよ。お金は使うべき時には使う物だよ。」
胸がわくわく・ドキドキしてくる。急いで飛行機代を調べると、悪くない。行きたい。皆に会いたい。話し合いたい。演奏も考えている事も、全部聞いてもらいたい。皆の考えも演奏も聴きたい。...行こう!
・・・という訳で、明日の夕方から月曜日の夕方まで、ちょっとひとっとび、行ってきます。私は、気がつけば、何と素晴らしい友情に恵まれた人生を送っているんだ...無心で弾くために必要なのは、頑張らなくても、大げさにアピールしなくても発信すれば共鳴してくれる人が居るという信頼だ。
お疲れ様です。
「音楽に選ばれた音楽家」とは、昨日観た映画「マチネの終わり」の台詞にありました。
選ばれてしまったから、音楽に殉ずるしかありません。
繊細で壊れそうなアーティストをこの世で支える人の幸せが感じられます。
小川久男