Tag: 集団ヒステリア


  • 大統領がついに国家非常事態宣言

    コロナウィルスの感染を避けるためジムのメンバーシップを一時停止しようとして、昨日やけに戸惑った。ジムのホームページの右手に一時停止のボタンが在るはずなのだが、無いのである。悪戦苦闘してホームページの色々なページを眺めるが「メンバーシップ一時停止」の選択肢が見当たらない。20分後に業を煮やしてついにカスタマーセンターに電話したら、すんなり話しが通じた。忙しそうな早口で一刻も早く電話を切りたそうな電話窓口担当の女性にちょっと聞いてみた。 「あるはずの『メンバーシップ一時停止』のアイコンがHPに見当たらないのですが、管理者が取り外してしまったのでしょうか?」 「私には分かりかねます。マネージャーにおつなぎしましょうか?」 「それには及びません。『一時停止』の電話はいつもより多いですか?」 「(ため息交じり。)...はい...」 今朝は雨も上がったし、ジムの代わりにジョギングで一回りしてみた。土曜日の8時台。いつもならジムが一番混んでいる時期。興味を持って覗いてみたら... 興味があったので近くのスーパーとドラッグストアを回ってみた。 私たちが良く行く「トレーダージョーズ」と言うスーパーでは、店内の人数をコントロールするため外に行列ができていた。店員が、店から出てきた人数だけ入る事を許すのを、人がカートと共にずらっと並んで待っている。中に入ると... まだ8時台である。この店は8時に開店する。開店前にいつも商品がきれいに棚に並ぶ。その為に店員たちは6時から働いているのである。 他の店もほぼ同じような状態だった。乾麺とか缶詰とか、そういう保存が効くものがなくなっている。昨日韓国系のスーパーに行ったら、米は残り僅かの一袋がやっとゲットでき、欲しかったキムチは完全に売り切れ。そして納豆は普段の二倍くらいの値段が付いていた。(買わなかった)。カリフォルニア州では、異常事態に於いて、普段の定価の10%以上の値上げは違法である。でもそんなことよりも需要と供給の法則の方が強いのか? 皆、何を恐れているんだろう。感染ではない気がする。ジムに人がいないのは感染をさけてだとは思うが、カフェやコーヒー店にはいつもと同じか、それ以上の人がいる。 もしかして皆が恐れているのはコロナウィルスの影響による非常な値段高騰とか、インフレとか?それともいつも考えなくこなしている日常のルーティーンを壊されて、家族や友人や自分の本心と向き合うのが怖いから、取り合えずマスヒステリアに便乗して自己直面を避けているのか? 昨日の夜、トランプ大統領がついに国家非常事態宣言をした。それと前後してアップルが中国以外のアップルストアを全て予告なしに閉店してしまった。修理に自分のコンピューターを預けてある人はどうするんだろう? 人の事を「自己直面を避けているのか?」とか偉そうに観察しているようなことを書きながら、実はそれは自分かも知れない。こういう時こそ練習を...と思う自分がいる一方、昨日は久しぶりに一度もピアノに触らなかった。自分が浮足立っている。自分は何をしたいのか?何をするべきなのか?今日・明日・この非常事態が終わるまで・そしてこの人生に於いて...う~~~~~~ん。

  • 非常時の音楽家の役割

    コロナウィルスのニュースで持ち切りですね。休校・イベント中止・株価暴落…そんな中、休校になったミラノの校長が生徒に宛てた手紙がSNSで話題になっています。17世紀にミラノを襲ったペストを描いたマンゾーニの普遍的小説「許嫁」をまず引用して、「集団パニックは、危険性が蔓延していると錯覚を起こし、周りの人間までをも敵対視させる脅威。冷静な平常心と向上心を忘れず、私たちの財産が社会と人間性であるということを念頭に合理的・文明的に物事を判断しましょう」と説いています。 疫病を始めとするさまざまな世界恐慌と音楽の関係は、最古の歴史まで遡ります。自然や病の原因も分からず、なす術もなかった時代、人々は様々な思いで音楽を奏で、声を合わせて歌い、踊ったことでしょう。古文書でその様子を垣間見ることができます。音楽は祈りとしても、恐怖心を忘れる慰みとしても、コミュニティーの結束を強め士気を高める手段としても使われました。そして、科学や医療の発展した今でも、未来や死については無知に甘んじるしかない私たちが、究極的に彼らとどう違うのか…  “Music is a bigger weapon for stopping disorder than anything on earth. (音楽は混乱に対する地上最強の武器だ)“と言ったのは、沈むタイタニック号で最後の瞬間まで演奏を続けたという8人の音楽家のリーダー、ウォレス・ハートリーです。それとはまったくスケールの違う話しですが、停電が何日も続いた時、普段はばらばらの生活をしていた同居人たちが私の弾くピアノの周りに集まってきて、いつの間にかミニコンサートとなった思い出が蘇ります。暗闇の中、ろうそくの明かりで音楽を共に体験して微笑み合った思い出は、私が自分のこれからの音楽人生を考える上で重要なものです。 コロナのニュースが落ち着いても、恐慌はさまざまな形で世界を脅かすことでしょう。私たちの生存本能は常に何かに恐慌を見出すからです。そんな中で音楽家として私たち音楽家が、社会に提供できるものは何か、どのような形で一番効果的に貢献できるのか…試行錯誤が続きます。 この記事はアメリカ西海岸の日本語新聞「日刊サン」に隔週で連載中の「ピアノの道」No. 28として3月5日2020年に発表されました。