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色々な方に色々な形でご支援を頂いて、博士号を遂に取得いたしました! 金曜日はConvocationとか、Hooding Ceremonyと呼ばれる儀式がありました。博士課程卒業のための儀式で、お世話になった教授に博士だけが許される襷(たすき)をかけてもらうのです。音楽博士はピンクの襷です。土曜日は卒業式でした。博士課程が授与される時は、参列者全員が立って、敬意を表明してくれます。 「あなたたちはとても能力がある人達である、と言う事をこの取得によって証明しています。そして向学心と探求心を、利潤よりも大切にする、今の社会にとって本当に貴重な人材です。あなたたちはこの博士と言う称号と共に、義務をもこれから負います。社会と将来を出来るだけ良くするために、あなたたちが勉強して得た知恵を駆使する、と言う義務です。」 背筋が伸びるようなスピーチをしてくれたのは、有色人種の女性として初めて宇宙飛行士になったDr. Mae Jemison。宇宙飛行士を引退した20年ほど前から、社会的特権を受ける機会が少ない女性やマイノリティー等と言った社会層に科学教育を広める社会活動を大規模に展開している人です。 私は、これから、もっともっと現代社会に関連性がある音楽活動を通じて、色々挑戦して行きます。
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今週は盛りだくさん! 水曜日に日本から両親、そしてニュージャージーから私のアメリカンマザーが来てくれます。 木曜日の夜に、ライス大学にあるDuncan Recital Hall(at Shepherd School of Music in Alice Brown Pratt building) で、感謝の気持ちを込めてリサイタルを弾きます。日本でも演奏させていただく『天上の音楽vs。地上の英雄』と言うプログラムです。今回は特に、私が自分のゴールドベルグの録音を聞きながら撮ったfMRIの脳みそイメージを、私のゴールドベルグの分析に照らし合わせた結果、音楽の調子と脳の活動に平行が見られた、と言う事に関してCenter for Performing Arts Medicine at Houston Methodist HospitalのDr. Christof Karmonik が短いプレゼンをして始まります。心理学の教授陣なども多くご招待しています。 金曜日はHooding Ceremonyと言う、私にはいまだに良く分からない式典があります。教授が博士を取得する生徒の頭に帽子をかぶせる、と言う物です。私はその後のレセプションが楽しみです。 土曜日は卒業式!リハーサルのために朝の7時半に、あの重~い、暑~い卒業式ガウンを来て集合です。式は8時半から。時間が早いのは、ヒューストンが暑いからだと思いますが、朝でも暑い時には暑いし、大体あの卒業式ガウンはとても暑いです。10時半からキャンパス内で催されるビュッフェ形式のブランチで集まってくれた家族などと一緒にお祝いします。私の心の友、佐々木麻衣子さんはサン・アントニオに出張演奏中なのですが、前の晩の演奏を終えてから土曜日の夜の演奏まで一日空いていると言うので、わざわざ運転して参加してくださいます。 日曜日は母の日。そして家族がヒューストンに居られる最後の日なので、みんなでゆっくりおいしい物を食べれれば良いな~と思っています。 人生、色々ありますね。今私、幸せです。
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今日は、今年で17年目になる私の夏での日本公演の告知をさせてください。6月17日、土曜日の13時半開演、品川きゅりあんを中心に千葉や群馬まで足を延ばし、色々なところで弾かせていただきます。 沢山の方々に応援やご支援を頂き、今年ついに音楽博士の学位を取った!その感謝の気持ちを込めて、経て来た修行と勉強の結果、今の私が一番弾きたい曲たちを集めてみました。題して「天上の音楽vs。地上の英雄」。前半「天上の音楽」ではバッハの傑作、ゴールドベルグ変奏曲を、そして後半「地上の英雄」には、音楽に於ける「英雄像」を最初に体現したベートーヴェンのソナタ1番、ショパンの英雄ポロネーズ、そしてリストのメフィストワルツ、等を弾きます。 天上の音楽と言うのは古代ギリシャの音楽に対する考え方です。動くもの全てに音がある、と考えた彼らは、星も動く、だから音がある、と考えました。天上を一番適確に反映する事が出来るのは音楽だ、と彼らが考えた理由には数学者のピタゴラスが居ます。ピタゴラスは協和音が整数の比例で表すことが出来る事を発見したのです。例えば長い弦がドの音で響いた時、その弦を半分、つまり2:1の長さにすればオクターブ上のドが出る。3:2はドからソまで、4:3ならドからファ、と言う具合です。音楽は数字の体現だ、数字は絶対的な真実だ、だから音楽は天上をも反映する…「天上の音楽」の始まりです。この天上の音楽と言う考え方はクラシックに大きな影響を及ぼしています。コペルニクスやガリレイが実際には「天上の音楽」は在り得ないと立証した後でも、バッハの時代にも、です。バッハは数字に非常なこだわりを持っていました。例えば、ゴールドベルグは冒頭に少しお聴き頂いたあの有名なアリアから始まり、30の変奏曲を経た後に、もう一度最初と全く同じアリアを演奏して終わります。つまり、32のセクションから成る訳です。そしてそれぞれの変奏曲は32小節から成っています。さらにさらに、バッハにしては珍しく生前に出版されているこの「ゴールドベルグ」、初版のページ数は…32ページ!しかもこれはファクシミリで観ると分かるのですが、無理やりそうしている感じなのです。そして今の例は全く表面的な事で、曲を分析すると、摩訶不思議な事がわんさか!人間が作ったとは思えない精巧さなのです。 地上の英雄では、啓蒙主義から始まった思想革命、フランス革命を始めとする政治革命、工業革命など結果、個人の個性や思想・感情と言ったものが非常に重要視されるようになって来ていた激動の時代、英雄崇拝がクラシック音楽を大きく影響したことを取り上げます。混沌とした運命に勇敢に立ち向かい、チャレンジを制して、勝利と歓喜を手に入れる。この構図の象徴となったのがベートーヴェンです。彼の曲風にもそういうテーマは多かったのですが、彼の難聴・失聴、その後自殺まで考えたが「作曲に生きる」と決め、天才として名を遺した、と言う人生そのものにもこの構図は当てはまります。超絶技巧のピアニストも英雄視されました。当時、ピアノは劇的に進化を進めていました。そして量産もどんどん倍増されました。ピアノと言うのは、工業革命の象徴になったのです。「機械に人間性を乗っ取られるのでは」と言う工業革命以来の不安が、ピアノを制して劇的に音楽を繰り広げるピアニストを「英雄」にしたのです。ショパンの英雄ポロネーズとリストのメフィスト・ワルツはそう言う風潮の落とし子です。 前半と後半では、ガラリと音世界が変わります。丁度、ヨーロッパがその時代、ガラリと変わったように。音楽は勿論、色々な面からお楽しみいただけるプログラムを目指して、頑張ります!是非お越しください。 チケットのお買い求めはこちらからどうぞ。 6月17日(土)13時半開演。品川きゅりあん http://makiko0617.peatix.com 6月22日(木)13時半開演。千葉美浜文化ホール http://makiko0622.peatix.com
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最近、生徒に良く言っていることある。 「練習と言うのは、犬を訓練するように自分の体を訓練する、と言うような側面がある。自分(頭)では『こうあるべきだ』と分かっているんだけれど、自分の犬(体)がそれを毎回完璧にこなせるようになるためには、ご褒美や、褒め言葉や、色々な工夫、そして何回も繰り返しをすることが必要。」 こんな事も言っている。 「スポーツのためにはみんな、筋トレとか、ジョギングとか、それ自体は単純でつまらない事を黙々と甘受してやるのに、ピアノになると、まるで天からのインスピレーションで急に弾けるようになると思っているみたいに全然練習しないで、でも上達をしないことに文句を言う。おかしい。ピアノだって芸術面だけでなく、技術面もあって、それは肉体的と言う意味ではスポーツと何ら変わらないのに。」 その代り「啓蒙」とか、インスピレーションとか、そんな高尚じゃない所にも、ピアノの面白さと言うのはある。複雑なパッセージの正しい音がやっと取得出来た時の嬉しさ。難所がいつの間にか難しく感じなくなっている時の嬉しさ。自分の肉体を完璧にコントロールできる、と言う嬉しさ。成果が明らかな努力と言うのは、していて楽しい。 生徒を教える自分の言葉に諭される気持ちで、最近、真面目に練習している。楽しい。 上のヴィデオは2年前にプロコフィエフの協奏曲3番をNYで演奏した時、オケのプロモーション用にYouTubeに挙がったものです。最後に私がにかっと笑っているところが気に入っています。
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3月末から私の7枚目となるアルバム「100年:ベートーヴェン初期作品2-1(1795)とブラームス晩年作品120(1894)」を私の心の友であり良きデュオ・パートナーのクラリネット奏者佐々木麻衣子さんと収録している。ベートーヴェンのピアノソナタ一番と、ブラームスのピアノとクラリネットのためのソナタ1番と2番。 自分のこれまでの6枚を含め、録音はもう二十年近くにわたり色々手がけて来たが、録音と言うのは本当に厳しい。素晴らしい試練と言えばポジティブだが、自己批判をしながら弾くと言うのは苦しい物である。 演奏中、3人の自分が居なければいけない、と言う事はピアノのレッスンなどで良く言われる。そこまでの自分の演奏を良く聴いて評価する自分、演奏に集中する自分、そして現時点以降の曲の展開を考える自分、である。録音の時にはこの最初の自分がとても大事になる。できるだけ効率よく、完璧に近い演奏を収録するためには、今進行中のテイクを続けるべきか、ここで中断して違うテイクを弾き直すべきか、常に判断しながら弾き進んでいる。 生演奏の場合、過去のミスは忘れるしかない。ミスをしたら大事なのはいかにそのミスの影響を最小限に食い止めるか、だけ。その為には演奏する自分と、現時点以降の音楽に集中する自分の方がよほど大事になる。音楽と言うのはコミュニケーションだ、と私は思っている。自分の気持ち、自分が美しいと思う物、そう言う物をシェアしたくて自然発祥すると言うのが音楽の理想的な在り方だと思う。だから生演奏では、お客さんのエネルギーと言うのが私の演奏を大きく左右する。お客さんがいっしょに乗ってくれるとワクワクする。ピーンと空気が緊張して無音の状態よりもさらなる静寂と言うのをお客さんと分かち合う、と言うのも物凄い一体感だ。この前(3月23日)にアジア・ソサイエティーで演奏した時は、リストのハンガリー狂詩曲で聴衆に参加を呼びかけたら、みんなノリノリになってくれた。 しかし録音の場合、このシェアする対象がとても抽象的なのだ。しかも色々な機械を通して変わった音を、全く違った環境で、今の私の演奏を聞く様々な人達、と言うのは想像し難い。 じゃあ、なぜ私は録音をするのか。私は2001年のラヴェル初期作品を皮切りに大体2年に一枚のペースでアルバム収録をして来た。これは自分に課した修行だ、と思っている。私の音楽人生を支援し、可能にしてくださっている沢山の方々や団体に感謝の表明と成長の報告、と言う意味もある。自分の成長の記録と言う意味もある。しかし、収録の作業と言うのは自己反省の、物凄い勉強なのである。練習中でも中々到達できない自己批判のレヴェルが、セッション中ずっと続くのである。これは非常に疲れるが、同時に自分が上達している実感も伴う。 そんな収録が続く中、明日は何度もすでにお世話になっているCrain Garden 演奏シリーズで正午にベートーヴェンのソナタとショパンの英雄ポロネーズ、リストのメフィストワルツを演奏させていただく。ご褒美みたい。とっても楽しみである。
