• 段々ヒューストンでの生活も落ち着いてきて、私は(もしかしたら生まれて初めて)家庭的な楽しみ、と言うのを覚え始めている様な気がする。例えば今、私は朝食を食べながらブログを書いている。朝食は先々週大量に作って冷凍しておいたカレーを一晩かけて解凍したものと、発芽玄米、そして自然飼育の卵に、白茶である。こんなに美味しいのは、私の料理の才能のせいか、それとも全部自分で作ったと言う満足感か。。。(多分後者)。 ヒューストンに来る前に私がいた、ロサンジェルスに在る創立8年目のコルバーン音楽学校の事を生徒たちは密かに「social experiment(社会実験)」と呼んでいた。このプログラムに入学した120人の生徒たちはほぼ全て自分の生活の責任を逃れられるのである。学費は勿論、生活費も支給される。ご飯は賄い(下のカフェテリアには、スープ、魚と肉の日替わりメイン・コース、出来合いのすし、サラダ、ピザ、サンドウィッチ、何でもある)、掃除もプロがやってくれるし(自分の部屋は自分で掃除するが、掃除の為に必要なものは全てもらえる)、トイレット・ペーパー、ゴミ袋と言った生活必需品のほぼすべてが支給される。寮にはマイクロウェーブから、テレビ、ソファ、冷蔵庫、全てがそろっており、地下にはジム、ビリヤード・テーブル、洗濯の部屋、何でもある。学校から一歩も出ずに用事が全て、努力しないで賄えるのである。中間、期末の期間中は、プロのマッサージが無料で受けられる。年度末には毎年恒例のディズニーランドへの遠足が、学校の招待である。生活費の為のアルバイトの必要も無く、自活の手間も無い。朝起きて、顔さえ洗えば、登校の手間も無く、すぐ練習・勉強に一日中、何ににも煩わされずに集中できる仕組みなのだ。 この社会実験が上手くいくかどうか、と言うのはもっと時間が経ってみないと分からない。とりあえず今までの所、沢山の生徒がコンクールに勝ったり、オーケストラのポジションや大学での教職をゲットしたり、華々しい演奏のキャリアを築いたりと好調である。でも、生徒たちの予想は割と暗いのである。10代、20代の青春まっただ中の若者と言うのは案外ペシミストが多いのかも知れないが、彼らはこの環境を「バブル」と呼び、このシャボン玉の中の現実離れした生活で、現実の苦労への免疫が無い自分たちの将来を危惧している。 私はもう生活苦を経験してからコルバーンに入学したので、コルバーンへの入学が決まり、お金の心配をせずに音楽に集中できる生活を保障された時は、涙が出るくらい嬉しかった。本当に「肩の荷が落ちた」と言う実感が在った。しかし4年もこう言う環境にいて、私も少し苦労への免疫力が落ちていたのかも知れない。ヒューストンに来てからは、自炊、生活の手間にいつも予想以上に手間取って、愕然としていた。この頃やっと、段々自分の生活方針、優先順位と言う物が見えて来て、段々楽しくなってきた。私は、自分が料理がこんなに好きだなんて今まで知らなかった。そして材料の出所、そして製作の過程に全て自分が責任を持った料理を食べると言うのは、何だか安心するものである。それから掃除を完成させた時の達成感。買い物も楽しい。私は自分を家庭的と思った事は今まで一度も無かったが、こう言うのも良いなあ、と最近ニコニコしているのである。 さて、練習、練習。

  • 発芽玄米

    ライス大学に来てから、入学式から始まってクラスでもレッスンでも友達との会話でも、運動、健康的な休養、そして健康食、自然食の大切さが事あるごとに強調される。つられて私も、割高でも放し飼いで自然に育てられた鶏の卵を買ったり、無農薬の野菜を買ったりするようになって来た。 そして今日は発芽玄米造りに挑戦! この間韓国系スーパーマーケットでゲットした玄米の新米をぬるま湯に浸して、度々お湯を代える。玄米が息をし始めるのか、段々水の上に泡が浮かぶようになって来て、甘いにおいがし始め、「ぷつぷつ」と玄米が水を吸収する音が聞こえてくる。宿題に疲れるとキッチンに走って行って、玄米のお湯を変え、観測する。とても楽しい。そして本当に玄米が生きているのが実感出来て、感動。段々胚芽の所がプックリ膨らんできて、ついに芽が出始めました。ただ今炊飯中。 私の母は本当に「母は強し」の母だったなあ、と何故かヒューストンに来てから思うようになりました。例えば私が子供の時以来の自転車を購入して、ふらふらと自転車登校を転びながら始めた時、母が妹と私をそれぞれ前と後ろに取り付けた子供用シートに乗っけて狛江市じゅうを走り回ったのを思い出して、かなり感心してしまいました。それから10歳の時、私が肝臓病を患ってからは本を読んで完全無農薬、自然食を心がけ、食品添加物の入った物を避けるべく、一時期は自家製味噌、醤油、納豆、そしてうどんまで作っていた時も在りました。本当に脱帽。一食10品目、一日30品目、と言うのを毎日目指して、子供の時は食事の度に母と妹と一緒に「きゅうり、ごぼう、ごはん、ニンジン。。。」と指を折りながら食材の品目を数えていたのを懐かしく思い出します。そうやって育ててもらったから、今一人暮らしの苦学生でも、割と楽しみながらこうやって健康食に手間暇をかける事が出来るんだろうなあ、と思います。 おかあさん、ありがとう。

  • 予告編

    私はヒューストンに移住する前、4年間ロサンジェルスにいたのだが、そこの日本人・日系人コミュニティーに思いがけないほどの手厚い支援を受けた。ロサンジェルスの日本人・日系人と言うのはニューヨークのそれとはまったく異なって、アメリカにしっかり根をおろして、ロスを故郷と思っている人達が多い。ニューヨークの日本人がいかにも日本から来て日本に帰って行く一時滞在者たちなのとは正反対である。そのせいか、結束も強い。そして日本語新聞、日本人・日系人用サービス、イベントなども数多く、ロスで放映する日本語テレビチャンネルは何と2つもあるのである。 そのうちの一つ、NTB(Newfield Television Broadcasting)と言うチャンネルに私は特にひいきにして頂いた。2009年の12月13日には私と私のロスでの学校コルバーンを取り上げた特別番組まで放映してくださったほどである。(ご興味がお在りの方はこちらのURLをご覧ください。http://www.soto-ntb.com/program/program-2009-12-13/ 私の出番は30分の番組の16分20秒からです。)そしてロスを去る直前、社長から「5分くらいずつの番組で、短い曲の演奏と音楽に関するシリーズを作ってみないか」と言うお話を頂いたのである。私は恥ずかしいほどの機械音痴なので、有難いお話しにも関わらず躊躇していたのだが、ライスの素晴らしいディジタル・メディア・センター(録音・録画機械の無料レンタルや、使い方のサポートなどを行っている)の存在を知って、やってみる気持ちになった。さらに「何でも良いから自分のキャリア促進の為のプロジェクトを一つやって発表する」と言う今学期最後の博士課程の自由研究の締め切りが迫るにあたり、今週末とりあえず一、二本、製作してみるつもりである。 学校に提出する、と言う事もあるし、Youtube にも載せたい、と思っているので、日本語と英語で同じ内容の物をそれぞれ二本づつ作って行きたい、と思っている。そうすればより多くの人々に見てもらえるのではないか、と言う狙いである。例えば英語を学びたい日本人、日本語を学びたい英語人。それから国際結婚や、移民の家族などでバイリンガルの家族にも一緒に楽しんで頂けるのでは。。。と願っている。 最初のエピソードは「音楽の生態」。脈=拍、息=フレーズと言うのを実際に弾いてデモンストレーション。 お楽しみに!

  • 秋の匂い

    昨日、携帯が壊れてしまいました。 私の電話はロサンジェルスに移住した2006年、友達の古くなった携帯を譲り受けたものです。 だからもう8年以上経っている携帯で、傷も多く、今まで持ったのが不思議なくらいです。 でも携帯無しでは色々大変なので、色々用事は立て込んでいましたが、一念発起して近くのAT&Tへ。 唯一、プロモーションで無料でもらえる携帯のモデルが在庫切れ。 さらに自転車を漕いで遠いAT&Tへ。 購入して、学校に戻ってきたらパッケージの中に当の携帯が入っていない! もう一度遠いAT&Tに自転車で。。。 そうこうしているうちにどっぷり日が暮れてしまいました。 でも新しい電話を購入して嬉しい。ピカピカだし。 そしてそれから図書館で勉強、そして学校でリハーサル、それから夜遅くまで自分の練習。 トやってやっと帰途に着くため学校のビルを出たら、秋の匂いがしました。 「小さい秋」を大きな声で歌いながら、自転車を漕いで帰りました。 ちなみに遠いAT&Tに行く時は景気づけに「イザ行けよ、仲間たち」を歌っていました。 「みんなのうた」からのセレクションです。 私はつくづく日本人だなあ、と思います。

  • 演奏の前後

    演奏と言うのは極限状態になるものです。 ちょっと下ネタになってしまうが、演奏直前に吐く、あるいは下す人はとても多いらしい。 私は演奏まじかに吐いた記憶は一度しか無いし、これは車酔いとも、食べ過ぎとも言える状態であったので実際に「演奏の直前に緊張で吐いた」と言うのとはちょっと違う気もする。しかし下す方はもう当たり前だった時期も在った。全米ツアーで毎日、日中車移動、夜は演奏と言う生活を送っていた時は、もう儀式の様に演奏10分くらい前は自然に下っていた。下らない日は何だか変な気持ちがする位だったのである。今ではそう言う事もほとんど無くなったが、それでもやはり演奏前、中、そして後の身体の状態と言うのは、つくづく普通では無い。 これは前にも少し書いた事があるが、物の本によると、演奏の際の緊張と言うのを身体は「命の危険状態」と勘違いするらしい。心拍数が上がるのも、発汗するのも、「いざという時に逃げる瞬発力を出すため」だそうだし、指先やつま先が冷たくなるのは、「身体の先っぽに傷を負っても最小限の出血で済むように」、そしてつばが出なくなり、口の中が渇くのも、普段消化に使っているエネルギーを瞬発力に回すため、だそうだ。この状態、と言うのは五感が非常に敏感になって、まるで超能力者になったようである。一秒が普段の倍以上の長さに感じられ、気配などを感じ取る力が普段の数十倍、小さな音、動きを見分ける力もグ~ンと高まる。 そうして演奏した後、状態は様々である。非常にお腹がすく時は健康な時である。脳みそが充血したように重く感じられたり、頭痛がしたりする時もある。やたらとハイテンションになって喋りまくったり笑いまくっている時もある。逆に息をするのもおっくうなほど疲れてしまって呆然自失、と言う時もある。 昨日の演奏は私は指揮で、しかも普段は2時間弾きっぱなしだったりするけれど、昨日は30分の曲を振っただけで、こう言う状態になるとは余り予測していなかったけれど、今日の私はほとんど使い物にならず。今夜の8時ですが、すでに睡魔と闘っている状態。過労を感情的なものと誤解してしまう前に今日はもう寝てしまおうと思います。 宿題は明日の朝! 練習も明日! 明日は明日の風が吹く!