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まだNYに居た頃のお話です。 小さな、親睦会の様な演奏会に呼ばれました。 ダンサーが小さな部屋で皆に囲まれた中で即興で踊る、と言う会だったのですが、 前座でその人のお友達だと言うとても高齢の女性がお話をしました。 その人は第二次世界大戦前、ソプラノ歌手として勉強中だったそうです。 そしてドイツに居たユダヤ人だったので、強制収容所に送還されてしまいました。 座るスペースも無い貨物車にすし詰めにされて何日もゆられてやっと着いた強制収容所の第一夜。 皆、不安と過労と、劣悪な環境に、眠りにつくのに苦労していました。 その時頼まれて、モーツァルトの子守歌を皆の為に歌ったそうです。 そして、皆に「一瞬、ここでは無い、別の場所に行った気持ちになれた、ありがとう」 と感謝されたそうです。 そのお話を強いドイツ訛りの英語でゆっくりタンタンと語ったあと、 もう高齢で音程が定まらない声で、 その時歌ったと言うモーツァルトの子守歌をもう一度歌ってくれました。 もう6年以上も前の思い出ですが、私はこの時の事を今でも良く思い出します。 そして、(演奏家と言うのは窓を提供する事だなあ)と思うのです。 窓の向こうに何を見るかは、受け取り手次第だと思います。 受け取り手のその時の人生状況、感情、などによって必要な物が見えるのだと思います。 それは慰めの窓でも、思い出へ直近する窓でも、あるいは何かのヒントが見えてくる窓でも、 何でも良いのだけれど、 自分の力だけでは見えない物が音楽の力と、演奏家の真意で、見えてくる窓、です。 より良い窓が提供できる演奏家になりたいなあ、と思います。
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ライスの博士課程の必修は色々在りますが、演奏の義務も在ります。 3年間の在校中に5つの演奏をしなければ卒業出来ません。 #1 2つの独奏会 #2 室内楽のコンサート #3 レクチャー・リサイタル(トピックを決め、それについて講義をし、関係ある曲の演奏をする) #4 協奏曲の演奏。 #4以外は、全て休憩をはさむ普通の長さ(約2時間)のプログラムとなります。 私はタングルウッド音楽祭の前、日本で演奏したリサイタル・プログラムで2つの独奏会のうちの一つを最初に片付けよう、と長い事計画していました。そのリサイタルが来週末の土曜日、9月25日の夜8時から、ライス大学のDuncan Hallと言う所で行われます。入場料は無料ですし、とても響きの良い美しいホールですので、知り合いにヒューストン近郊在住で、ご興味がお在りになりそうな方がいらっしゃりましたら、是非ご招待ください。 今回のテーマは「生誕記念の作曲家たち」。1710年、1810年、1910年に生まれた作曲家たち、そして2010年に完成した”Traces"と言う現代曲を並べて、西洋音楽の発展上、100年間と言う時間の単位はどう言う物なのか体験出来るプログラムです。 ライスでは全てのリサイタルに「リサイタル・コミティー」と呼ばれる、教授3人からなる審査委員が付き、合格・不合格の診断をします。そして全てのリサイタルの1~2週間前に「プレビュー」と言う物が行われます。これは、この「リサイタル・コミティー」の前でプログラムを通して弾いて、リサイタルに向けてのコメントをもらうのです。教授がこのサービスの為に金銭的な支払いを受けているかどうか私は知りませんが、これだけでかなりの仕事量なのに、今回のリサイタルの為に作曲の教授、そしてピアノの教授2人が快くこの任務を引き受けてくれ、昨日は土曜日にも関わらず、午後に私のプレビューに参加してくれました。 演奏をするとやはり疲れます。宿題は今日はお休みにして、ジムに行き、ひと汗かいた後、友達とヒューストン交響楽団を聞きに行ってきました。ヒューストンのダウンタウンはとても文化的。劇場、音楽会場、美術館などが並んでいて、建築も面白い物が多いです。ヒューストン交響楽団はハンス・グラフと言う常任指揮者の指揮で昨日はストラヴィンスキーの「ナイティンゲール組曲」と言う初期の作品、ショスタコーヴィッチの交響曲1番、そしてブロンフマンのソロでチャイコフスキーのピアノ交響曲1番が演奏されました。ハンス・グラフの指揮はとても明瞭で、分かりやすく、見ていて勉強になります。ブロンフマンはいつも通り圧巻。ヒューストン交響楽団はたまに金管の音程やアンサンブルの技術的問題が感じられた物の、全体的に熱情的で、とても好感を持ちました。ただしホールは建築70年物だそうで、音響は少しさびしい感じがします。 今シーズンのヒューストン交響楽団の宣伝の目玉は新しいコンサート・マスターです。フランク・ホワングと言う中国出身の若い奏者ですが、私はニューヨーク時代、彼の事をソリストとして知っていました。ナウンバーグと言う大きなファウンデーションのコンクールに一位になったほか、大きなコンクールでいくつも賞をとり、一時期盛大に宣伝されたソリストです。最近、ニューヨーク・フィルハーモニックの主席チェロとか、こういうスターを主席に添える交響楽団が増えて来ていますが、同時にそれはオケの一員となる事で華々しい演奏旅行の生活より、収入や生活の安定を選ぶ音楽家が増えている、と言う時代の傾向の反映でもあります。フランクはヒューストン・交響楽団と11の時にデビューしたゆかりも在り、宣伝効果は抜群ですが、同業者としては「ブルータス、お前もか」と言う感もちょっと在ります。 それにしても木曜日のコンサートに引き続き、ヒューストンの聴衆のマナーには本当に圧倒されました。チャイコフスキーの協奏曲の一楽章は本当に派手で、タングルウッド音楽祭でも一楽章の後に大きな拍手が起こったのに、ここではシーンとしています。そして、3楽章が終わったら待ちかねたように瞬時のスタンディング・オヴェーション!凄くびっくりします。アメリカでは本当に珍しい事です。
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今朝はMind/Bodyのクラスで、ユリズミックス体験会をした。 ユリズミックスとはフランスのDelcrozeと言うピアニストが発明した音楽教授法で、音楽を身体で感じる事で、より音楽的なリズム感、拍、をつかもうと言うメソッド。私の記憶違いだろうか―「窓際のトットちゃん」でトモエ学園で生徒にユリズミックスをさせていたと思うのだが...ピアノの伴奏に合わせて、生徒を拍に合わせて歩き回らせ、その内腕は指揮、頭はリズム、とか身体の色々な部分でその曲の違った側面を反映させる。そういう訓練をすることで、音楽を頭、あるいは耳で覚えるのでは無く、身体で感じさせよう、と言う教授法。主に子供に使われるが、もともとは杓子定規に弾く音楽学生の治療法として開発された。 ライスのピアノの教授の一人がこのユリズミックスのエキスパートだそうで、今日は一日体験をした。中々楽しい。そして、中々難しい。しかしこうやって譜読みをすれば、リズムが複雑な曲になればなるほど、助けになりそう。面白かった。 夜は学校の大ホールで東京弦楽四重が演奏した。東京弦楽四重と言うのは、日本ではどれだけ評価されているのか知らないが、アメリカでは弦楽四重のトップクラスである。ただしもともとのメンバーは全員日本人だったのだが、メンバーが抜けるたびに新メンバーが白人なので、今では日本人は第二ヴァイオリンとヴィオラの方だけ。今日のプログラムはハイドンの最後の弦楽四重、バーバーの弦楽四重、そしてシューベルトの弦楽五重奏でした。ほぼ満席の聴衆が、楽章の合間にも拍手をせず、物音一つ立てないで聴き入っているのには恐れ入った。アメリカの聴衆のマナーはかなりひどく、ニューヨーク・フィルや、カーネギー・ホールのコンサートでも演奏中の聴衆の物音や無遠慮な咳が絶え間ない時も在るし、楽章間の拍手も在る。私は拍手は聴衆が感動したなら、拍手したいならすればいいと思う。でも、演奏中の無遠慮な咳や物音はやはり演奏者そして他の聴衆のの集中を妨げるから、嫌いだ。ヒューストンはその点、ニューヨークやロサンジェルスの100倍も良い(少なくとも今夜の演奏会では)。びっくりした。でも、シューベルトの3楽章の終わりはとても盛り上がって、私でさえ思わず拍手しそうになったのに、聴衆がかしこまって「シーン」としているのは、ちょっと不自然な感じがした。なんにせよ、今日の聴衆の音楽の知識レヴェルは相当高かったと思う。
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ライスの図書館は堂々とした4回の建物です。 正門からヨーロッパ風の広々とした前庭を経た所にド~ん、と建っています。 入学式の時に受けた説明によると、毎年卒業式はこの前庭で行われ、 卒業式の閉会と共に卒業生たちは正門を出て、現実の世界へと羽ばたき、 残された教授たちは、すごすごと図書館へ戻って行く、と言う象徴的な演出がされるそうです。 図書館の4階には、大きな窓からこの前庭が見渡される広々としたスペースが在ります。 ここにはお菓子やジュースを売る自動販売機が在って、飲み食いが許され、 地面にじかに置く巨大な座布団が沢山点在しています。 この座布団は身を沈めると自分の体の形に合わせて形が変わり、とても座り心地が良いです。 勉強の休憩や、読書の為にここに来る人は多くいます。 この図書館は一定の会員費を払えば一般の人も入れるのですが、 ライスの生徒に限って、月曜日から金曜日までは24時間利用可能です。 いつも沢山の人が本当に真剣に勉強しています。 この図書館の静けさは特筆ものです。 演奏会の時の静けさの様に、ぴーっと緊張感が走った静けさです。 今日は私はベル・ボトムのジーンズだったのですが、 図書館に行って急に、歩くたびに自分の立てる衣擦れの音が気になりました。 そういう音まではばかられるほどの緊張感なのです。 ここに来ると(集中して、一杯効率よく勉強しなければ)と、キリリとした気持ちになります。 今日はモーツァルトの交響曲41番「ジュピター」の4楽章と、 ベートーヴェンの交響曲7番を勉強しました。
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今日は、博士課程セミナーが在った。 今日のトピックは「大学で仕事を得る方法」。 音楽家が博士課程の勉強をする理由の大きな一つは、大学で教職を得たかったら博士課程は大抵必要、と言う事が在る。ライスの音楽の博士課程はそのことを念頭に、いかに大学側にとって魅力的な卒業生を作り上げるカリキュラムとなっている。博士課程に入学して最初の学期にまず、大学でのポジションをゲットする為に必要な履歴書の製作、面接に向けての訓練、大学側が何を新規採用の教授に求めているのか、大学で仕事をするという事がどういうことか、教わる。 今日のクラスではまず、大学の教授の階級から教わった。 アメリカの大学では、教師のポジションは大きく二つに分かれる。 Tenure と Non-tenureである。 Tenureと言うのは、終身雇用の事である。Tenureが付くと、余程の事が無い限り死ぬか退職するまでその教職は自分のものである。これは、仕事や収入の安定をを保障する事で、少数派・急進派の見識を、学者が自由に発表出来る事を目的に出来上がったシステムである。Non-tenureと言うのは、大抵一年ごとに契約が更新され。 Tenure と Non-tenure はさらに細かく分かれる。 Non-tenure 1) adjunct; 各学期、クラスごとあるいは自給でお金をもらう。ベネフィットは付かない。(ベネフィットと言うのは、健康保険や退職年金積立の事で、給料の平均35%の額だそう。アメリカでは健康保険が異様に高いので、これは死活問題である。)このポジションは使われ放題。経験を積むには良いが、支払いが少ないので他の収入源と掛け持ちになり、パート・タイムなのでそのポジションの為に遠くまで通わなければいけない場合が多く、本業(例えば練習)がおろそかになり、本末転倒になる危険性がある。そしてここで本末転倒になると、他の教職に応募した時余り良くない。ここで行き詰まりになってしまう可能性がある。 2)Instructor(または、Artist Teacher): 正規雇用で、給料で支払われ、ベネフィットが付くが、一年ごとに契約更新。いつ首になるか分からない。 Assistant(Tenure-track); まだtenureは付かないが、tenureにつながる可能性の強いポジション。 ベネフィットが付く。3年ごとの契約更新で、大抵6年目くらいに業績の査定が行われ、これに受かればTenureがもらえる。 Tenure 1)Associate Professor、多分日本の助教授と同じ。Tenure が付き、教授との違いは給料の額だけ。 2)full Professor、多分日本の教授と同じ。Tenureが付き、給料が高い。 ピアノの場合、最近では一つの教職に80人~200人の応募が在るそう。そしてピアノの教授と言っても、ピアノを個人レッスンするだけではない。室内楽、伴奏の技術、初見や移調のクラス、ピアノ科で無い音楽学生の副科ピアノや、音楽課程で無い一般科目専攻の生徒のピアノ・レッスンや時には自ら伴奏をすることを課す応募も在る。音楽理論や聴音を教える事を課す応募も在るし、在るいは一般科目専攻の学生の為の「音楽一般教養」や、一般教養としての音楽史を教える事を課す応募も在る。それはまだ良い方で、不景気の世の中、中にはチェロの教授の応募の中に「ダブル・ベースも教えられること」と含む応募も在るそう。 他にも面接の時のエチケットとか、履歴書の書き方、仕事をゲットした場合の給料交渉の仕方まで、今日は2時間半で耳から情報がこぼれそうなくらい、沢山の事を教わった。頭がぐるぐるしている。 今日一番びっくりしたのは、tenureと言う、学会における終身雇用のシステムが無く成るかも知れない、と聞いた事だ。学校側からすれば、終身雇用の教授と言うのは、昇級しなきゃいけないし、中々高くつく。今教育産業が不景気な中、資本主義的な考えから、儲かる学校運営と言うのが流行っているそう。そして、その流れから行くとtenureが廃止になる可能性が在るそう。しかしそうすると、学校という組織の中で教授の立場がとても弱く成る。理想的な教育という視点から言うと、恐ろしい事である。
