指揮!
指揮はどうしてこんなに楽しいのだろう。 明日は夜9時半から11時半まで初リハーサルが在る。 その下準備で今日、独奏者のモリーにソロの部分を弾いてもらって鏡の前で振ってみた。 モリーから「凄い!弾きやすい!一人で弾くよりずっと楽!凄く明確!」 と、一杯褒めてもらって、モリモリ勇気が湧いてきた。 出来る! これなら明日は大丈夫。 もう11時過ぎ。 今週末は過酷なスケジュールなので、安眠第一。 お休みなさい。
指揮はどうしてこんなに楽しいのだろう。 明日は夜9時半から11時半まで初リハーサルが在る。 その下準備で今日、独奏者のモリーにソロの部分を弾いてもらって鏡の前で振ってみた。 モリーから「凄い!弾きやすい!一人で弾くよりずっと楽!凄く明確!」 と、一杯褒めてもらって、モリモリ勇気が湧いてきた。 出来る! これなら明日は大丈夫。 もう11時過ぎ。 今週末は過酷なスケジュールなので、安眠第一。 お休みなさい。
今週末土曜日、日曜日と続けて「白鳥を焼く男」のリハーサルが在る。 それぞれ2時間ずつ、丸々使わせてもらえて、実に、実に贅沢な設定だ。 今日は私の尊敬するLarry Rachleffが一緒にスコアを見てくれた。 「楽譜を勉強する時は、手を動かすな。手の動きで解釈を決めるのでなく、解釈が手の動きを決めるべきだから。」 この頃指揮の練習を一杯していたので、「じゃあ、このテーマを歌ってみて」とか言われるとどうしても一緒に手が動いてしまう私を厳しく何度も戒めた。なるほど、良く分かる理論である。 そして私が「ここの所のフレージングは?」「リタルダンドはどの程度?」と細部について質問するたびに 「歌ってみなさい ―それで完璧だよ。」 と、何度も言われた。 確かに私は頭の中で色々考えてメトロノームに合わせて手を動かす、と言う練習法で「歌う」と言うプロセスをまるっきり忘れていた。どうして分かったんだろう。声に出して歌うと、息継ぎしなきゃいけないし、それは木管・金管奏者に直接関係あるだけでなく、弓の長さにも関係してくるので、声に出して歌うと色々な意味で音楽の勢い配分が良く分かる。それから、 「ヒンデミットと言うのは観念的な作曲家では無い。実に実際的な作曲家だ。楽譜に書いてある通りに弾けば、彼が欲していた音楽に自然になってくる。やたらとひねくりまわしたり、頭を悩ませる必要のない作曲家だ。素直に演奏しなさい」 とも言われた。 ①鏡の前での練習 ②手を動かさずに歌って頭の中で解釈を確立する練習 ③メトロノームに合わせて振る練習 ④リハーサルは全てヴィデオに撮ってしっかり復習。
指揮のレッスン復習、初リハーサルの予習 Read More »
効率よく一日をフルに有効利用出来た日は、気持ちが良い。 昨日はとても上手く行ったと思うので、書き出してこれからの参考にしたいと思う。 6時半 起床、ブログとメール、洗面、朝食(トースト、ハマス、アボガド、チーズ、野菜ジュース) 8時 登校、メトロノーム60に設定して①ゆっくりストレッチ、②指揮と③ピアノ、それぞれ準備練習。 朝一の練習はいつもバッハ。この頃はゴールドべルグ変奏曲。 ヒンデミット「白鳥を焼く男」ピアノ伴奏譜の練習と指揮の練習交互に。 12時 図書館に行く。調べ物。メール。 12時半。 持参したお握りに副菜を買い足し(インゲンと玉ねぎの炒め物ー2ドル)昼食。 1時 ピアノ教授法のクラス「練習法の伝授の仕方」 2時。ジムでひと汗かいて、シャワー。医療リサーチの為にボバ茶を売っていたので、おやつ(4ドル)。 3時 ちょっと練習。ゴールドべルグとヒンデミット 3時半。オケのリハーサル見学「ツァラツーストらはかく語りき」 4時半。「白鳥を焼く男」のヴィオラ独奏者、モリーと打ち合わせ 5時。夕食お握りとカロリーメート系の物。図書館。 6時。 練習。バーバー 7時。 録音。博士課程セミナーの模擬教授職応募の為の録音プロジェクト。 ベンの録音を担当し、自分もベンの作曲を録音する。 10時半帰宅。 昨日上手く言ったのは、まず朝の練習をストレッチから始めた事。一昨日のお医者さんの話に触発されてやってみた新しい試みなのだが、瞑想の効果が在り、特にメトロノームを聴きながら(ストレッチは20秒ずつやって初めて意味が在る、と読んだ事が在るので)、これからの練習の準備になり、その後の練習がはかどった。 それから炭水化物系をお弁当に持って行って、野菜を書い足してお昼にする、と言うのはヒット・アイディアだった。お家に帰ってご飯食べるとどうしても一時間以上取られてしまうし、お弁当はちゃんと作ると朝の一番頭が冴えている時に時間がもったいない。でもお握りとかサンドウィッチだけのお昼は栄養が心配だし、なんか物足りない。かと言って、学校で全て買うと高いし、まずいし、不健康。と、言う事でこれはとても上手く行った。 細かい時間でもあきらめずにちょっとずつ練習。私は午前中一杯とか、時には半日、一日丸々練習に没頭するのが好きなタイプなのだけれど、この頃思うのは10分でも練習すれば練習の前後は練習の予習と復習を頭がいやでもしているし、小さな時間の有効利用と言うのはとても大事。 午後の半ばに運動したのは良かった。さらにおやつを食べたのも。一日の最後まで集中が途切れること無く、楽しく頑張れた。 今日も頑張る!
昨日のマインド・ボディーのクラスにはお医者さんが来てくれた。 彼女はPAMA(Performing Arts Mdeicine Association)と言うのに登録していて、毎月第一木曜日10~2時まで(受付)のperforming artists(演技芸術家―音楽家、ダンサー、役者、など)専用の無料のクリニックを開いている。こう言う無料クリニックとか、performing artists専門のお医者さんと言うのはどんどん増えていて、今ではアメリカ主要都市にはこういうクリニックが絶対あるそう。 なぜperforming aritsts専用のクリニックが必要かと言う理由はいくつかある。 #1 こう言う人はお金も保険も無い事が多い。 #2 こう言う人特有の怪我、問題がある。例えば腱鞘炎とか、ジストニアとか、ダンサーや役者の場合、摂食障害とか。そういう専門知識を持っている医者が一般的に少ない。 #3 医者の中には医者になるまで楽器を本格的に勉強していた、とかアーティスト系が多く、医者になってもそう言う世界と何らかの形でつながっていたい、と願う人が多い。 この人はカイロプラクティスも東洋医学も勉強した、何だか凄い人なのだが、ジョークを交えながら説明してくれた一番大事な事二つ。 #1 音楽家と言うのはsmall muscle athletes (小さな筋肉の運動選手)であると言う事。 #2 オリンピック運動選手が一番気を使う事を、音楽家ももっと気をつけるべきだと言う事。それは①栄養摂取と、②自分の競技に直接関係無い筋肉のトレーニング。 ①に関して、まずとても科学的な説明が在った。細胞レヴェルで、以下に酸素と栄養が身体の中に伝達され、それが以下に健康な反射神経、脳みその働き、そして筋肉の働きに必要不可欠か、と言う事。それからいかに演奏と言うものがカロリー消費が激しいもので、定期的な健康な食事摂取がより良い演奏の為に大事か、と言う事。 ②に関しては、筋肉と言うのは収縮だけしかし無い物だ、と言う事。そしてある一定の筋肉を使い続けていると、次第にその筋肉は収縮しっぱなしで固くなってしまう、と言う事。筋肉を伸ばす事が出来るのは他の筋肉を使ってそこを収縮させる事だけによって。だから上半身だけしか使わない人でも、下半身も鍛えなければいけないし、前半身も同じだし、etc. 夜はpiano pedagogy(ピアノ教授法)のクラスの為に、大学より若い生徒(小、中、高校生)の公開レッスンを見学しに行きました。とても熱心な先生だったけれど、年齢相応の話し方をするのは難しいな、と思いました。
来る11月9日に指揮をするヒンデミット作曲「白鳥を焼く男」を猛勉強中。自身も超絶技巧のヴィオラ奏者だったヒンデミットが書いた三つ目のヴィオラ協奏曲である。 一曲指揮するのに、こんなに時間かけて勉強してるなんて、本業の指揮者は一体どうやって2時間のプログラムの曲目の勉強を毎週こなすんだろう、とちょっと自分が歯がゆい気もするが、こうやって一生懸命勉強するのは中々楽しいものである。 この曲は歴史的背景も中々面白い。 1935年に書かれているのだが、これはヒンデミットがナチスに糾弾され(知らなかったのだが、ナチスもスターリンと同じ様に『音楽は不協和音を少なく、一般人に心地よい様に ―前衛的なものは取り締まる』と言うスタンスを取っていた模様)、ドイツでの演奏会がどんどん減らされてやむなく外国に演奏の場を求め始めている時に当たる。1936年にヒンデミットの曲はドイツでは演奏禁止になり、彼は最終的にアメリカに移住するのだが、この曲はその前の話。 35年にJoseph Goebbelsと言うナチスの一員が公共で行ったスピーチの中でヒンデミットを糾弾している物が今私の手元に在る。「ヒンデミットはドイツ人であるが、だからなおさらユダヤ人のエリートがいかにドイツ国民の思想をむしばんでいるか、と言う証拠になると言えよう」。さらに、ヒンデミットの妻はユダヤ人だったという事情もヒンデミットの立場を難しくしただろう。 「白鳥を焼く男」と言うのは何だかショッキングなタイトルだが、由来はヒンデミットがこの曲に取り入れた四つのドイツの中世時代の歌のタイトルである。一楽章には「山と深い谷の合間に」、二楽章には「緑に育て、菩提樹の木」とそれからフーガの主題として「垣根に座ったかっこう鳥」、そして三楽章にタイトルトなる「白鳥を焼く男」と言う歌を使っているのだ。ヒンデミットが選んだこの4つの歌の歌詞にこの時のヒンデミットの心情を反映して読み込む人は多い。例えば、「緑に育て、菩提樹の木」と言うのは別れなければいけない恋人の歌だが、その歌詞に在る「もう耐えられない」と言う所のメロディーと、「悲嘆にくれる日」と言う所だけが、楽章の最後にヴィオラのソロで思わせぶりに出てくる。それから一楽章の「山と深い谷の合間に」は恋人を後に残して、山と深い谷間の合間にある「自由の道」を歩いて行く、と言う歌である。この恋人を「祖国」と読むのだ。 さらに、ヒンデミットが残した短い「前書き」も意味深である。「中世時代に沢山いた旅周りの音楽家が、異国から来て幸せにたむろす町の人々の前で演奏する。彼の出身地の歌は悲しい物も在れば、楽しい物もある。彼は技の限りを尽くして、このメロディーに装飾をして演奏して聴かせる」と言う前書きである。 勉強し過ぎると頭がくるくるしてくる。私はどうも根詰め過ぎな様な気がする。もっと色々なものを一定の時間ずつやれば、気分転換になって効率が良い様な気もするのが、一つの事を始めるとどんどん掘り下げたくなってしまう。そして最後にぐったりくたびれて、一つのプロジェクトは必要以上に仕上げても、他のプロジェクトが手つかず、と言う状態になってしまうのだ。それに一つのプロジェクトに集中し過ぎると、細部にとらわれ過ぎて全体像が見えなくなってしまったりする。 反省、反省。