音楽とはPRODUCT(製品)ではなく、PROCESS(過程)でありPRACTICE(行為・修練)です。AIが提示するのは魂のない偽物…実体のない影です。
作曲家エルンスト・トッホのお孫さんに近所をドライブしてシェーンベルグやトッホやその他沢山の物書きや映画監督などのお家を見せて頂きました。
バッハは弾き手の都合をこれっぽちも考えていない。どちらかと言うと合唱とかそう言う感じで考えている気がします。声部ごとに考えている。鍵盤奏法的には不都合や、不可能が生じる。でも、奏者の都合に捕らわれていたら書けなかった音楽が出来ている。
今年の夏は日本に帰る前にマドリッドとイタリアに行く。 それも在って、今年の夏の日本でのリサイタルは『南欧の愛と幻想』と題し、 スペインとイタリアに関する曲を幾つか弾く。 イタリアは面白い国だ。 豊かな文化に恵まれ、実に音楽的な言語を持つ国なのだけれど、 イタリア出身の作曲家の大物はオペラに集中している。 (ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニ、ベリーニ…) 現代曲にはダラピッコラとかべリオとかも居るけれど、 そして19世紀にはブゾーニも居るけれど 現代曲は私の日本でのリサイタルにはいささかそぐわないし、 ブゾーニはイタリア人と言うより国際人。 取りあえずスカルラッティのソナタを3曲ほど組んで、 あとはバッハ作曲『イタリア協奏曲』?リストの『巡礼の年』? ああ、そういえば! レスピーギが居ました!! スペインは19世紀からピアノ曲の作曲家が結構いる。 アルベニス、グラナドス、ファリャ… 面白いのは、一般的に『情熱的』とされるこれらの国のピアノ曲は 超絶技巧を要するものが多いのだけれど、私が思う『情熱的』とは少し違う、と言うこと。 私が思う『情熱』はドイツ的な、概念や哲学の観念に基づいた、 熟考された、一見わからないレヴェルの複雑さを含んだものだ。 まあ、要するに、ベートーヴェン、です。 そしてロシア的な『情熱』と言うのもピアニストには良く知られている。 ラフマニノフ、スクリャービン、メトネル… でも、南欧の『情熱』と言うのは、 クラシックで良く知られているドイツ的・ロシア的情熱とはかなり違う。 遊びがいつまでもある。 どこか、余裕がある。 「失恋して悲しい~!!!!」と叫んでいても、 自分がかっこよく見えるアングルをすごく意識しているような愛嬌がある。 この余裕は気候が温暖だから? 分からないけど、おもしろい。 とってもチャーミング。 楽しんで練習している。