明鏡㉚:視野があっても声が無い悪夢

今朝見た夢の話しです。

私は普段から好ましく思っている友達数人と同じ部屋に居ます。宗教家、企業経営者、軍人、政治家...みんな活躍する分野はバラバラですが、前向きに社会貢献をするべく真剣に生きている尊敬する友人たちです。私はその中でも脳神経科学を使って瞑想の効用を勉強しているお坊さんに訴えかけています。

「音楽は私に熟考する機会と、その熟考によって得る洞察をもたらしてくれる。でもその音楽が、私から声を奪っている。私は言いたいことが溜まりに溜まって爆発しそうなのに、それを言う声が無い。」

私はこのジレンマが喉の奥の塊として感じられ、物理的に苦しく、みんなの前で恥ずかしいのに吐き出すように手放しで慟哭してしまいます。泣き始めたら嗚咽が止まらず、もうどうしようもできません。

...目が覚めてすぐ、なんでこんな夢を見たのか思い当たりました。

才能のあるピアニストちゃんの親御さんに進路相談を受ける事になったのです。まだ小学生ー成績も優秀だけれでも本人はピアノの道に進むと一点張り。途方に暮れた親御さんが送って下さった録画を拝見して、確かにうまい。

ピアノが上手くなるためには、集中力・執着心・根気・センス・客観性・我慢強さ・情熱・繊細さ・意思の強さ・考察力が無ければいけません。この子にはそれがある。でも、こういう性質は他の分野でも多いに有用な性質です。しかしピアニストになる為には、他の興味や経験や勉強をかなりの部分放棄して、成長期のほとんどをピアノに専念する事が要されます。更に悪い事があります。

「ピアニストになるという事は、社会的に『声なき人』になるという事なんだよ。」

私は昨日、野の君にそう言って説明したのです。私は天才的なピアニストを何人か知っています。この人たちは飛び級に次ぐ飛び級で18歳で修士号を持っていたりします。分析力・記憶力・言語能力...そういう事に関して本当に類を見ない能力を発揮します。それなのにピアニストになるという事は、発言権を失うという事です。まず、経済力が無い。お金が無いこと自体が発言権の喪失に繋がります。更に社会的地位や知名度が無い。ピアノがどんなに天才的にうまくても、容姿や人種や性別やその他の沢山の理不尽な理由で有名スターにならない人がほとんどです。私の今言及している天才ピアニストには「スター」は一人もいません。皆、一般的に知名度の高い有名スターよりも色々な意味で上手ですが、お金の為に初心者を教えたり、色々な苦労をしています。そして特殊分野で才能を発揮する人は多くの場合「世間知らず」「常識が無い『あーちすと』」「一般人では無い人」「箱入り育ち」という風に見られて、良くすれば「別格」、悪くすれば「ピアノ馬鹿」として、何を言ってもまともに受け取ってもらえなくなります。

(勿体ない)と思う人材が、私の音楽仲間に沢山、沢山います。でも何十年もその為に非常な修行を潜り抜けてきて勝ち取った自分の音楽性やピアノの技術を諦めて、別の道に移行するのは並大抵な事ではありません。

(私たちは現代のカストラートなのかもしれない...)

コロナ禍で一番苦しい時、私はこの考えに何週間もさいなまれました。カストラートというのは、その美声を保つために去勢されるボーイソプラノの事です。去勢されると声変わりをしないのですが、肺活量は普通の成人男性と同じなので、女性のソプラノとは全く違うパワーを持つそうです。貧しくて、子だくさんの時代。最盛期の1720年~30年代には毎年約4,000人の男の子がカストラートとなるべく去勢されたと推定されています。フェリネッリの様に非常な富と名声を得たカストラートも歴史的にいるにはいます。でもフェリネッリでさえも、その去勢された体が故の社会的差別に苦しんだようです。それに大抵のカストラートは勿論成功しないのです。

ピアニストは避妊手術こそされないけれど、多くは子供を産まず・産めず、結婚すら難しかったりします。演奏旅行が多く、経済的に弱小で、しかし供給と需要が大きく崩れた市場で、音楽にかける熱意も加わり、どんな低賃金でも物凄い時間を費やして熱狂的に準備する。こんな条件の相手と喜んで結婚してくれる非音楽家は多くはありません。例え結婚したとしても、幸せな結婚は難しいのが現状です。

結婚に関しては私は本当に信じられないほど幸運でした。そしてコロナ禍の終わりが見え始めて、信じられないほど素晴らしい録音プロジェクトへのお声もかかり、これからの演奏の機会もどんどん入ってきている今だからこそ、書ける内容のブログです。そして今朝の夢も、今だから自分に観る余裕が在ったのだと思います。コロナ禍の拷問の様な自問自答を消化・昇華するという意味でも、あの夢は見る必要が在ったのだと思います。

でも、小学生のピアニストちゃんには何と言ってあげたら良いのか...

私が音楽の治癒効果を謳うのは、そういう素晴らしい能力を持った音楽家たちの社会再起を試みたいからでもあります。皆、高い能力を持っているだけでない、心が綺麗な人達です。労を厭わず、人を思いやれる人達です。この人たちがヒーラーとして活躍できたら、社会にとってどんなに素晴らしい潤滑油なることでしょう!どうして一般的に音楽家は宗教家よりも社会的信頼が無いのか。お坊さんが「脳神経科学」というと雑誌の特集になるのに、どうしてピアニストが言っても見向きもされないのか。

私は『声』が欲しいです。私は特権的な教育を受けて音楽の道を歩んできて、世界を旅し、普通ではできない見聞を広め、そして沢山の考察を重ねる時間を頂きました。そこから得たもので社会還元がしたい。役に立てると思う。

どうすれば良いのか... 良い考えが在ったら教えて下さい。

2 thoughts on “明鏡㉚:視野があっても声が無い悪夢”

  1. 小川 久男

    お疲れ様です。

    平和の今だからこそのピアニストです。
    作曲家の想念を自己の才能に託して再現してください。
    その音色で、たった一人の人間が無間地獄から救済されるかも知れません。
    それが、ピアニストの使命なのです。
    行きつ戻りつ、自問を重ね、自らが設計した計画のとおり
    いまを生きてください。

    小川久男

    1. 私は非常時こそ音楽家が本領を発揮できるように世界の認識を変えていくために活動しています。
      このブログもそういうつもりで書いています。
      いつもお読みくださり、ありがとうございます。
      真希子

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