日本に帰ってきました。 先の帰国は年末年始だったのですが、その後プライヴェートで色々ドラマがあり、 半年前ここに居て家族と同じ食卓に座り同じ様に談話していた自分が これから起こることにまだ何にも影響されていなかったことが信じられない。 実に不思議な気持ちです。 でも、life goes on, and the show must go on。 そして全ては芸の肥やしです。 人生観が変わった私の音楽観も、当たり前ですが大きく変わりました。 2001年に初めて日本での演奏活動をさせていただいたあの頃の自分と、 今ここで14年目の演奏活動を再開しようとしている自分が、 同じ人間、同じ音楽家、そして同じピアニストであることが信じられません。 そんな私を14年間、本当に最初の年から毎年、暖かく見守り続けてくれている 家族を始め、家族のようになって来た支援グループの皆さま、聴衆の皆さまに 今年もお聴きいただけることが、今の私の大きな支えです。 言葉に気持ちを託せると、私は余り思っていませんが、 音楽には今年こそ、託してみたい気持ちです。 台風が接近中ですが、一人でも多くの方にお聴き頂ければ幸いです。 「Chopin To Japan」今の私にしか弾けないショパンがある、と思って準備しています。 7月12日(土)みなとみらい小ホールにて13時半開演!
明日、7月6日(土)19時開演で、みなとみらいで私の今年のプログラム 「ピアノで奏でる東洋」を演奏いたします。 私がアメリカでずっと考え、歩んできた音楽人生の集大成とも言えるこのテーマで行う、 今年13年目の私の日本でのソロ・リサイタルは特に感慨深いものです。 みなとみらいの会場からの夜景は本当にきれいで、明日はお天気にも恵まれるはず。 できるだけ多くの方と、明日の音楽空間を共有したい、と思っています。 お時間があれば、是非いらしてみてください。
今年の夏の選曲を一生懸命行っています。 リサイタルのトップバッターはモーツァルトの「トルコ行進曲」が最終楽章のイ長調ソナタ11番、KV331。 一楽章と二楽章は以下にもクラシックと言った変奏曲とメニュエット。そこで「ピアノ独奏会に来たな~」と言う気持ちを確立して頂いて、有名な三楽章「トルコ行進曲」に突入。ここで「東洋との遭遇」になります。なぜこの曲が「トルコ」なのか、と言うのは一瞬のデモンストレーションで一目瞭然です。ここで「東洋」の大義、さらに私がこのリサイタルプログラムをデザインするに至った思考を説明します。西洋音楽を専門する日本人として、日本と西洋音楽の最初の接触以来の発展の歴史を勉強する意義を感じたこと、などです。 モーツァルトのソナタは意外に全楽章で24分ほどかかります。前半の残りは主に日本人作曲家の曲を弾いてみようとおもっっていますが、その前に私がこの学年度リサーチをした「天正遣欧少年使節(1582-90)」について少し話しをしようと思います。ポルトガルから来た宣教師に洗礼と教育(音楽を含む)を受け、ヨーロッパに送られて日本での宣教活動の報告と資金援助の要請をスペイン・ポルトガル・ローマの貴族や法王に行った、4人の十代の少年たちが、日本からヨーロッパに向けて正式に送られた最初の使節団です。彼等は無事日本に帰国し、豊臣秀吉の前で持ち帰ったチェンバロ、ハープ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを使って御前演奏をしました。その時の曲が何だったのかと言う記録は残っていないのですが、今ではジョスキン・デ・プレの「千の悲しみ(Mille regretz)」と言うシャンソンであったのではないかと言う音楽史家、皆川達夫氏の説が広く受け入れられています。この曲をルート用の変奏曲にしたものがあるので、まずそれを演奏しようと思います。 まず、山田耕作(1886-1965)のピアノ曲を二、三曲弾こうと思っています。山田耕作一般的には「赤とんぼ」など日本語の抑揚を活かした、親しみ深いメロディーで多く知られていますが、ベルリンで留学中にはマックス・ブルックなどと勉強し、日本人としては初めて交響曲やオペラを作曲し、海外で演奏され、評価を受けた最初の日本人作曲家です。彼のピアノ曲はかなりの量になります。私はピアノ全曲集を最初から最後まで何回か読み通して見ました。「スクリャービンに捧ぐ」と題された二曲の曲集はいい曲ですが、すでにYoutubeでいくつかビデオが発表されており、出来ればまだあまり知られていない曲を紹介してあげたい。http://www.youtube.com/watch?v=iwB4rt7cItc でも、あまり難解なものや、単純すぎる物、彼のベストでは無いものを選曲してしまって、彼について間違った印象を残してしまってはいけない! 選曲にこんなに責任を感じ、悩むのは久しぶりです。自分の美的センスが問われる作業です。 他に、やはり武満徹(1930-96)はどうしても入れるべきでしょう。 時間的には、あともう一人くらい選べるのですが、これが又難しい。 色々考えています。 滝廉太郎(1879-1903)の「メニュエット」と「憾」と言うそれぞれ2分30秒くらいのピアノ曲があります。彼は結核で亡くなっており、病気を広げないために未発表の作品は全て焼却処分になったそうですが、メニュエットは初期作品、「うらみ」は遺作だったのと、彼自身は途中で断念した留学先で知り合った日本人女性のために書いた曲であったため、彼女の元に郵送されて、残ったようです。従って、この曲を弾くか、滝廉太郎は断念するか、と言う選択になります。私は「メニュエット」方が好きです。 滝廉太郎は音楽での日本国費留学生第2号で、第一号は幸田延と言う女性です。彼女は残念ながらピアノ独奏曲を残していませんが、ヴァイオリンソナタなど、多数作曲もこなしました。彼女が作曲した横浜平沼高校の校歌は聴いたらびっくりしますよ。(幸田延は山田耕作も、滝廉太郎も教授しています) 後半は、「東洋」に触発されて書かれた曲たちです。 トップバッターはラモー(1683-1764)のオペラ・バレー「インドの優雅の国々(Le Indes Galantes)(1735)」からの抜粋を作曲家自身がハープシコードのために編曲した曲集からさらに抜粋します。このオペラ・バレーのあらすじは、『破壊的な戦争では無く、愛を!』と言うメッセージの元に愛の妖精たちがそれぞれトルコ、ペルー、ペルシャ、そして「未開の土地」に行き、恋人たちの縁を結ぶ、と言う筋です。このあらすじは色々、意味深です。まず、ヨーロッパから見た「東洋」の大義。それから器楽曲(歌とは違って言葉を要しない)の国境・文化・言語を越えた共通性の大義。実際、最初は歌の伴奏として発展した器楽曲が独立したジャンルを確立する過程にはそう言う思想がありました。 それから、沢山の小品を弾きます。(順番はまだ未定) バルトークの「アレグロ・バルバロ」。バルバロというと、北アフリカのイスラム系の人種(ムーア人)が住む地域になります。英語で「Barbaric」と言うと「野蛮な」と言う意味になりますが、語源はこの地名なんですね。シェークスピアの「オテロ」の主人公はバルバロ出身のムーア人ですし、ストラビンスキーのぺトルーシュカにもムーア人が出てきますよね。でも、このバルバロも「東洋」に入っちゃうんです。ちなみに大きな意味ではユダヤ人も、ジプシーも「東洋人」です。 それからスペイン出身の作曲家、アルベニスの「Orientale」、ラヴェルの『マ・メール・モア』より「パゴダ(多重の塔)の女王レドロネット」、ブゾー二の「テューランドットの居間(曲集『エレジー』より)など。 そして最後はやはり東洋音楽を西洋音楽にとり入れることを一番積極的に開拓したドビュッシーの『映像』二巻目。 どうでしょう?曲目のご指摘などございましたら、どしどしお願いします!
先週末のすみだトリフォニーでの演奏会もおかげさまで盛況の内に終わり、 今週金曜日の美浜文化ホールでのリサイタル(18;30開演)を楽しみに、 今日は本番前について書き記そうと思います。 大島弓子さんは私が一番好きな漫画家の一人ですが、彼女が「漫画を書きながらいつも『これを最後の作品にしよう』と思う」と言う意味のことをあるとき書いていました。また、あるオペラ歌手は彼に関するドキュメンタリーで「本番前の楽屋では、いつも『逃げ出したい』と言う気持ちを必死でこらえている。舞台に上がって最初の音を発声すれば、後はもう純粋に楽しいのだが…」と言っていました。この言葉に何度も勇気を得たことから、私も自分の葛藤について書き記してみようと思いました。 楽屋裏で私は「何でこんなことやってるんだろう。苦しい。もうこれを最後の演奏にしたい」と思うことがあります。昔は緊張とか、舞台の恐怖から、切実にそう思いました。死刑になるより怖い―死刑は受身であれば良いのですが、本番は自分から舞台に歩いて行って聴衆に働きかけなければいけないのですから―と思ったこともあります。このごろの私の葛藤は少し違います。いろいろな努力、そして舞台経験を経て、私も大分「緊張」と言うものからは自由になってきました。この頃の私の葛藤はもう少しぼんやりとした、じわじわした重圧のような物です。勉強すればするほど、「凄い」とより深く納得していく音楽と言う物を演奏する責任。 でもドレスに着替え、係りの方に呼ばれて控え室から舞台袖に移動し、そして照明が熱く光っている舞台に歩いていって、最初の音を弾く、と言うプロセスを進んでいくどこかでその重圧が消え去り、第一音を発声するまでにはわくわくした気持ちになってきます。この重圧の昇華されて音響を楽しむ気持ちへの変化を信じているから、この控え室での重圧を耐え切れるのか、それとも控え室で一緒に居て、舞台袖まで一緒に歩いていくれる妹のおかげか、待ってくださる聴衆の方々のためか… とにかく、ここまで来れました。嬉しいです。5日の演奏会では本当に沢山の方々に喜んでいただけたようです。
今度の日曜日、錦糸町のすみだトリフォニー小ホールで行う私のピアノ・リサイタル「音で描く絵」の後半は、ムソルグスキーの『展覧会の絵』- 34分弾きっぱなしの大曲である。この曲はむしろラヴェルのオーケストラ用の編曲の方が有名かも知れない。でも、私にはラヴェルのオーケストラ編曲では出せない、ムソルグスキー・オリジナルのメッセージ性と言うのがあると信じて、今年のプログラムで弾くことにした。 ムソルグスキーがこの曲を書いた背景には、友人ヴィクトル・ハートマンの死がある。ムソルグスキーは文化人として詩人や文人、画家、哲学家、政治運動家などと多く交流があった。この中に居たのがヴィクトル・ハートマンである。才能を認められ、政府奨学生としてヨーロッパ中を旅行した建築家であるが、39歳と言う若さで病死している。この死を悼んで彼の残したスケッチや建築デザイン400点を展示した展覧会が彼の死の半年後(1874年2月)にサンクトペテルスブルグで開かれた。友人の死に心を痛め、(体調不全に気づいてあげられなかった)と罪悪感まで感じていたムソルグスキーはこの展覧会に触発され、何かに付かれた様にわずか6週間でこの曲を書き上げた。 この曲は10枚の絵に触発されて書かれた小品と、その合間をムソルグスキー自身が歩き回る『プロムナード』と題された間奏曲から成っている。 第1プロムナード 小人(妖怪グノーム) 第2プロムナード 古城 第3プロムナード テュイルリーの庭 – 遊びの後の子供たちの口げんか ビドロ(ポーランドの牛車) 第4プロムナード 卵の殻を付けた雛の踊り サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ 第5プロムナード リモージュの市場 カタコンベ – ローマ時代の墓 死せる言葉による死者への呼びかけ(第6プロムナード) 鶏の足の上に建つ小屋 – バーバ・ヤーガ キエフの大門 この曲に置ける挑戦はそれぞれのプロムナードを弾き分けること、10枚の絵に基づいた曲にそれぞれの世界を持たせ、その世界を最初の一音で明確に提示すること、そして曲と曲のつなぎのタイミングである。 例えば、最初のプロムナードを私はこんな風に考えている。 ムソルグスキーはアル中で自身がこの曲の書かれた6年後、42歳になって1週間で命を落とす運命にある。それに、アル中のせいか、かなり太っていた。こんな彼が厳寒のサンクトペテルスブルグの2月にヴィクトル・ハートマンの展覧会に出かけていくのは、辛かったのではないだろうか。それにハートマンの死後、6ヶ月経っている。いくら打ちのめされえた友人の死とは言え、ある程度悲嘆も冷め、会場に到着してすぐはムソルグスキーは外の厳寒、道中の息切れ、そして日常の雑用に、最初のプロムナードのムソルグスキーの気は結構散っていると思う。その反面、軍人として士官学校での教育を受けているムソルグスキーである。それにある程度知られた「作曲家」としての面目もある。気が散っては居ても、堂々とした、しかし太っているからゆっくりとした歩きで、知人に会えば丁寧に挨拶するだろう。そんなプロムナード。 この第一プロムナードをある程度冷めて演奏したいのには、次の『妖怪グノーム』とのコントラストを付けたいから、と言うこともある。プロムナードは堂々と、あくまで音量を意識してコントロールしていると言うことには気づかれないように、しかし『妖怪グノーム』の絵の前に来て、突然の爆音で聴衆をびっくりさせる。ムソルグスキーがその絵にびっくりしたように。これは結構大変なのである。プロムナードは大きな和音、大して『妖怪グノーム』は低音オクターブである。『妖怪グノーム』を「突然の爆音」と言う印象を与えるためには、最初のプロムナードをかなり慎重に弾かなければいけない。最初のチャレンジ! 『妖怪グノーム』は面白い。フェルマータ(この音は好きなだけ伸ばしてよいですよ、と言うサイン)がかなり多い。これを利用して、いつも期待を裏切るタイミングで『びっくり』の瞬間を多く作る。そして最後にトリルの効果で日本の肝試しのような「ヒュ~、ドロドロドロ」と言う効果音が入る。本当に『ゲゲゲの鬼太郎』みたいな曲。でも、お客さんには怖がってもらいたい。 その後の第二プロムナードは、ムソルグスキーの「ああ、びっくりした」と言う気持ちと「ハートマンはやっぱり才能があったなあ」と言うしみじみの気分。 『古城』は古城の前に書かれた吟醸詩人の歌が時空を超えて聞こえてきているような曲である。 その次のプロムナードはハートマンを誇りに思うムソルグスキーの堂々歩き。ハートマンの作品に触発されて、嬉しいムソルグスキー。 『テュイルリーの庭、遊びのあとの子供たちの口げんか』。テュイルリーはパリの公園。 『ビドロ』はポーランドの牛車。社会主義的な運動に熱心だったムソルグスキーが労働者階級の苦しみをこの曲で表している、と言う解釈もあるようだ。確かに荷物の重い、苦しそうなマーチ。そして怒っているかのような、フォルテッシモが5分近く続く。 第四プロムナード。こんなに才能のあったハートマンがこんなに若くして死んだことへの心からの悲しみ。でも、次の絵が目の端に飛び込んでくる。 『卵の殻を付けたひなの踊り』 上とのコントラストを付ける、金持ちのユダヤ人と貧乏なユダヤ人の肖像画を基にした『サミュエル・ゴールデンベルグとシュムイレ』。シュムイレの懇願するような連続音と、ゴールデンベルグの威嚇するようなえらそうな調子のコントラスト。 第五プロムナードは調性においても、構成においても第一プロムナードにとても似ているが、私はここが一番のコントラストの付け所だと思っている。ここでのムソルグスキーは本当に堂々と、死んだ友の残した作品を誇りに思い、心から触発されて、もうこの曲の構成を練り始めて、生き生きと歩いている。 『リモージュの市場』。フランスの市場の喧騒。 上とのコントラストが著しい、『カタコンベ―ローマ時代の納骨堂』。死と言うもの、時間と言うものについて考えることを強要する長い音の連続。音響とピアノを共鳴させきって、耳を澄まして、「音」と言う現象に表現そ託す。 『死者の言葉で死者に呼びかける(第6プロメナード)』一番悲しいプロメナード。 『ババ・ヤーガ(ロシアの魔女)』とにかくリズム! 『キエフの大門』ババ・ヤーガをもを制止して、キエフの大門がそそり立つ。これで終わるのは、ヴィクトル・ハートマンが「死」をも超越して、その作品によって「不死」を勝ち取ったような感じ。