演奏会のご案内

本番前の後悔

先週末のすみだトリフォニーでの演奏会もおかげさまで盛況の内に終わり、 今週金曜日の美浜文化ホールでのリサイタル(18;30開演)を楽しみに、 今日は本番前について書き記そうと思います。 大島弓子さんは私が一番好きな漫画家の一人ですが、彼女が「漫画を書きながらいつも『これを最後の作品にしよう』と思う」と言う意味のことをあるとき書いていました。また、あるオペラ歌手は彼に関するドキュメンタリーで「本番前の楽屋では、いつも『逃げ出したい』と言う気持ちを必死でこらえている。舞台に上がって最初の音を発声すれば、後はもう純粋に楽しいのだが…」と言っていました。この言葉に何度も勇気を得たことから、私も自分の葛藤について書き記してみようと思いました。 楽屋裏で私は「何でこんなことやってるんだろう。苦しい。もうこれを最後の演奏にしたい」と思うことがあります。昔は緊張とか、舞台の恐怖から、切実にそう思いました。死刑になるより怖い―死刑は受身であれば良いのですが、本番は自分から舞台に歩いて行って聴衆に働きかけなければいけないのですから―と思ったこともあります。このごろの私の葛藤は少し違います。いろいろな努力、そして舞台経験を経て、私も大分「緊張」と言うものからは自由になってきました。この頃の私の葛藤はもう少しぼんやりとした、じわじわした重圧のような物です。勉強すればするほど、「凄い」とより深く納得していく音楽と言う物を演奏する責任。 でもドレスに着替え、係りの方に呼ばれて控え室から舞台袖に移動し、そして照明が熱く光っている舞台に歩いていって、最初の音を弾く、と言うプロセスを進んでいくどこかでその重圧が消え去り、第一音を発声するまでにはわくわくした気持ちになってきます。この重圧の昇華されて音響を楽しむ気持ちへの変化を信じているから、この控え室での重圧を耐え切れるのか、それとも控え室で一緒に居て、舞台袖まで一緒に歩いていくれる妹のおかげか、待ってくださる聴衆の方々のためか… とにかく、ここまで来れました。嬉しいです。5日の演奏会では本当に沢山の方々に喜んでいただけたようです。

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ムソルグスキーの「展覧会の絵」生と死

今度の日曜日、錦糸町のすみだトリフォニー小ホールで行う私のピアノ・リサイタル「音で描く絵」の後半は、ムソルグスキーの『展覧会の絵』- 34分弾きっぱなしの大曲である。この曲はむしろラヴェルのオーケストラ用の編曲の方が有名かも知れない。でも、私にはラヴェルのオーケストラ編曲では出せない、ムソルグスキー・オリジナルのメッセージ性と言うのがあると信じて、今年のプログラムで弾くことにした。 ムソルグスキーがこの曲を書いた背景には、友人ヴィクトル・ハートマンの死がある。ムソルグスキーは文化人として詩人や文人、画家、哲学家、政治運動家などと多く交流があった。この中に居たのがヴィクトル・ハートマンである。才能を認められ、政府奨学生としてヨーロッパ中を旅行した建築家であるが、39歳と言う若さで病死している。この死を悼んで彼の残したスケッチや建築デザイン400点を展示した展覧会が彼の死の半年後(1874年2月)にサンクトペテルスブルグで開かれた。友人の死に心を痛め、(体調不全に気づいてあげられなかった)と罪悪感まで感じていたムソルグスキーはこの展覧会に触発され、何かに付かれた様にわずか6週間でこの曲を書き上げた。 この曲は10枚の絵に触発されて書かれた小品と、その合間をムソルグスキー自身が歩き回る『プロムナード』と題された間奏曲から成っている。 第1プロムナード 小人(妖怪グノーム) 第2プロムナード 古城 第3プロムナード テュイルリーの庭 – 遊びの後の子供たちの口げんか ビドロ(ポーランドの牛車) 第4プロムナード 卵の殻を付けた雛の踊り サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ 第5プロムナード リモージュの市場 カタコンベ – ローマ時代の墓 死せる言葉による死者への呼びかけ(第6プロムナード) 鶏の足の上に建つ小屋 – バーバ・ヤーガ キエフの大門 この曲に置ける挑戦はそれぞれのプロムナードを弾き分けること、10枚の絵に基づいた曲にそれぞれの世界を持たせ、その世界を最初の一音で明確に提示すること、そして曲と曲のつなぎのタイミングである。 例えば、最初のプロムナードを私はこんな風に考えている。 ムソルグスキーはアル中で自身がこの曲の書かれた6年後、42歳になって1週間で命を落とす運命にある。それに、アル中のせいか、かなり太っていた。こんな彼が厳寒のサンクトペテルスブルグの2月にヴィクトル・ハートマンの展覧会に出かけていくのは、辛かったのではないだろうか。それにハートマンの死後、6ヶ月経っている。いくら打ちのめされえた友人の死とは言え、ある程度悲嘆も冷め、会場に到着してすぐはムソルグスキーは外の厳寒、道中の息切れ、そして日常の雑用に、最初のプロムナードのムソルグスキーの気は結構散っていると思う。その反面、軍人として士官学校での教育を受けているムソルグスキーである。それにある程度知られた「作曲家」としての面目もある。気が散っては居ても、堂々とした、しかし太っているからゆっくりとした歩きで、知人に会えば丁寧に挨拶するだろう。そんなプロムナード。 この第一プロムナードをある程度冷めて演奏したいのには、次の『妖怪グノーム』とのコントラストを付けたいから、と言うこともある。プロムナードは堂々と、あくまで音量を意識してコントロールしていると言うことには気づかれないように、しかし『妖怪グノーム』の絵の前に来て、突然の爆音で聴衆をびっくりさせる。ムソルグスキーがその絵にびっくりしたように。これは結構大変なのである。プロムナードは大きな和音、大して『妖怪グノーム』は低音オクターブである。『妖怪グノーム』を「突然の爆音」と言う印象を与えるためには、最初のプロムナードをかなり慎重に弾かなければいけない。最初のチャレンジ! 『妖怪グノーム』は面白い。フェルマータ(この音は好きなだけ伸ばしてよいですよ、と言うサイン)がかなり多い。これを利用して、いつも期待を裏切るタイミングで『びっくり』の瞬間を多く作る。そして最後にトリルの効果で日本の肝試しのような「ヒュ~、ドロドロドロ」と言う効果音が入る。本当に『ゲゲゲの鬼太郎』みたいな曲。でも、お客さんには怖がってもらいたい。 その後の第二プロムナードは、ムソルグスキーの「ああ、びっくりした」と言う気持ちと「ハートマンはやっぱり才能があったなあ」と言うしみじみの気分。 『古城』は古城の前に書かれた吟醸詩人の歌が時空を超えて聞こえてきているような曲である。 その次のプロムナードはハートマンを誇りに思うムソルグスキーの堂々歩き。ハートマンの作品に触発されて、嬉しいムソルグスキー。 『テュイルリーの庭、遊びのあとの子供たちの口げんか』。テュイルリーはパリの公園。 『ビドロ』はポーランドの牛車。社会主義的な運動に熱心だったムソルグスキーが労働者階級の苦しみをこの曲で表している、と言う解釈もあるようだ。確かに荷物の重い、苦しそうなマーチ。そして怒っているかのような、フォルテッシモが5分近く続く。 第四プロムナード。こんなに才能のあったハートマンがこんなに若くして死んだことへの心からの悲しみ。でも、次の絵が目の端に飛び込んでくる。 『卵の殻を付けたひなの踊り』 上とのコントラストを付ける、金持ちのユダヤ人と貧乏なユダヤ人の肖像画を基にした『サミュエル・ゴールデンベルグとシュムイレ』。シュムイレの懇願するような連続音と、ゴールデンベルグの威嚇するようなえらそうな調子のコントラスト。 第五プロムナードは調性においても、構成においても第一プロムナードにとても似ているが、私はここが一番のコントラストの付け所だと思っている。ここでのムソルグスキーは本当に堂々と、死んだ友の残した作品を誇りに思い、心から触発されて、もうこの曲の構成を練り始めて、生き生きと歩いている。 『リモージュの市場』。フランスの市場の喧騒。 上とのコントラストが著しい、『カタコンベ―ローマ時代の納骨堂』。死と言うもの、時間と言うものについて考えることを強要する長い音の連続。音響とピアノを共鳴させきって、耳を澄まして、「音」と言う現象に表現そ託す。 『死者の言葉で死者に呼びかける(第6プロメナード)』一番悲しいプロメナード。 『ババ・ヤーガ(ロシアの魔女)』とにかくリズム! 『キエフの大門』ババ・ヤーガをもを制止して、キエフの大門がそそり立つ。これで終わるのは、ヴィクトル・ハートマンが「死」をも超越して、その作品によって「不死」を勝ち取ったような感じ。

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本番続き

今日の夜は千葉の稲毛でJazz Spot 「Candy]でのリサイタルです。 おとといも千葉でやりました。 本番当日はドレス、売るためのCD、化粧品一式、髪飾りやアクセサリー、楽譜、などなど、 全部合わせると小さなスーツケース、プラス、ショルダーバッグになります。 それらを担いでえっちらおっちら。 片道2時間、通常開演2時間前には到着して、ご挨拶、ピアノの試し弾きと会場のサウンドチェック、 開場後は着替え、化粧直し、そしてひたすら、待つ、待つ、待つ… やはり本番は一日がかりです。 でもそれぞれの会場でかけがえの無い出会い、そして交流があります。 音楽を通じて、時空を共有する。 そう言う場を提供できる幸せをありがたい、と思いつつ今日も千葉まで行ってきます。

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今年のプログラム

今年はドビュッシーの生誕150周年に当たります。 ドビュッシーと言うのは西洋音楽の歴史の中で大きな進展に貢献した作曲家の一人です。 19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて、とても不思議なことに世界のいろいろな場所で 全く交流の無い作曲家がほぼ同時に調性(いわば音楽に置ける文法)からの離脱、 と言う事を検討し始めました。 アメリカ人音楽評論家であるアレックス・ロスの 「20世紀を語る音楽(原題The Rest is Noise)」の受け売りになりますが、 ドイツではワーグナーがそれまでの調性の極端、そして限界への挑戦を始め、 それを引き継いだストラウス、そしてショーンベルグがついに調性を全く超越した 「無調性音楽」を提唱します。 ロシアを始めとする北欧、東欧ではドイツを中心に発展してきた調整を無視し、 自分の国民性アイデンティティーと言うものに注目して、それまでの調整、そしてリズムと言うものから 離れ始め、民族音楽やその土地固有の美的感覚に基づいて新しい音楽の模索を始めます。 その頃のフランスでは、象徴派、印象派などの模索により、 人工的なルールに反発して、理屈を超え、感性によって受け止めた自然に基づいた美術と言うものが 考えられ始めます。 今回のプログラムは「視覚を刺激する音楽」と言う模索をしたドビュッシーの 特にその特徴が強い作品-例えば有名なところでは「月の光」「亜麻色の髪の少女」「沈める寺」ー を前半に並べ、 後半にはそのドビュッシーがインスピレーションの一人として挙げたロシア人作曲家ムソルグスキーの 曲集の中の曲一つ一つが実在する絵に基づいている「展覧会の絵」。 練習しながら、文献を読みながら、私自身も毎日発見の多い、我ながら中々面白い企画です。 8月5日(日)13時半開演。すみだトリフォニー小ホールにて。(最寄り駅、錦糸町駅) 8月10日(金)18時半開演。美浜文化ホール (最寄り駅、京葉線、検見川浜駅) ぜひ、お友達をお誘いになってご出席くださいませ。

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次の演奏会

さて、私の次の演奏会は横須賀ゆかりのピアニストが集まった「すかピア」。 今週21日(土)2時開場、2時半開縁、横須賀ベイサイドポケットにて。 ソロ・ピアノに始まり、一台のピアノにおける連弾、6手、8手、 そして2台のピアノでの最高7人のピアニストによる大合奏! 詳しくはHPにて! http://www.sukapia.com/ 大変なのはリハーサルです。 2台の同等に弾けるピアノがある場所、と言うのは中々無い物です。 いろいろな音楽学校などがご協力くださり、がんばっていますが、 時間に制限があり、中々2時半から9時までのプログラムを全部リハーサルするのは大変! と言う事で小出しに今週は火曜日、水曜日、木曜日、と毎日リハーサル! がんばります。 韓国に行く前、7月7日に王子ホールでブルガリア人のチェリスト、ラチェザールと出演したコンサートのヴィデオです。http://www.youtube.com/watch?v=HiHxY6SNa7o

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