本番前の後悔
先週末のすみだトリフォニーでの演奏会もおかげさまで盛況の内に終わり、 今週金曜日の美浜文化ホールでのリサイタル(18;30開演)を楽しみに、 今日は本番前について書き記そうと思います。 大島弓子さんは私が一番好きな漫画家の一人ですが、彼女が「漫画を書きながらいつも『これを最後の作品にしよう』と思う」と言う意味のことをあるとき書いていました。また、あるオペラ歌手は彼に関するドキュメンタリーで「本番前の楽屋では、いつも『逃げ出したい』と言う気持ちを必死でこらえている。舞台に上がって最初の音を発声すれば、後はもう純粋に楽しいのだが…」と言っていました。この言葉に何度も勇気を得たことから、私も自分の葛藤について書き記してみようと思いました。 楽屋裏で私は「何でこんなことやってるんだろう。苦しい。もうこれを最後の演奏にしたい」と思うことがあります。昔は緊張とか、舞台の恐怖から、切実にそう思いました。死刑になるより怖い―死刑は受身であれば良いのですが、本番は自分から舞台に歩いて行って聴衆に働きかけなければいけないのですから―と思ったこともあります。このごろの私の葛藤は少し違います。いろいろな努力、そして舞台経験を経て、私も大分「緊張」と言うものからは自由になってきました。この頃の私の葛藤はもう少しぼんやりとした、じわじわした重圧のような物です。勉強すればするほど、「凄い」とより深く納得していく音楽と言う物を演奏する責任。 でもドレスに着替え、係りの方に呼ばれて控え室から舞台袖に移動し、そして照明が熱く光っている舞台に歩いていって、最初の音を弾く、と言うプロセスを進んでいくどこかでその重圧が消え去り、第一音を発声するまでにはわくわくした気持ちになってきます。この重圧の昇華されて音響を楽しむ気持ちへの変化を信じているから、この控え室での重圧を耐え切れるのか、それとも控え室で一緒に居て、舞台袖まで一緒に歩いていくれる妹のおかげか、待ってくださる聴衆の方々のためか… とにかく、ここまで来れました。嬉しいです。5日の演奏会では本当に沢山の方々に喜んでいただけたようです。