「明日ブロンフマンがLAフィルとラフマニノフの3番を弾くの。チケットあるから一緒に行かない?売り切れのコンサートなんだけど、ブロンフマンがくれたのよ~!」
...そんなテキストメッセージが来たのが水曜日の昼近く。誘ってくれた友人の好意が嬉しい。考えてみたらもう2年以上オケの生音を聴いていない。オミクロンも随分落ち着いてきた。最近出不精気味になっていた自分に発破をかけて「よし、行こう!」
LAフィルが拠点を置くウォルト・ディズニー・コンサート・ホールは、異才の建築家フランク・ゲリーの代表作。今ではロサンジェルス・ダウンタウンのアーツ地区の顔の様な存在でもある。私は2006年から2010年まで、そのディズニーホールの通り向いに位置するコルバーン音楽学校の特待生として毎日このホールを窓から眺めて過ごしていました。
オミクロンで爆発的に増えた感染者数のせいで、一月中は主な小・中規模の舞台芸術イベントはかなりキャンセルになりました。感染が落ち着いてきた今現在でも、このディズニーホールに入る前に3回のワクチン接種済みである事を証明しなければ入れません。待つことを予期して、かなり早めに会場に着きましたが、それでも長蛇の列に並びました。
でも久しぶりにディズニーホールの中に入ると、その非日常的な空間に背筋が伸び、気持ちが高揚して来ます。人々のお洒落を見るのも嬉しい。オケ奏者たちが壇上でウォームアップをする音にもワクワクします。
前方に見える天上に突き上げている形の物は「フレンチ・フライ」というニックネームがついています。パイプオルガンのパイプを隠している飾り。
演目はオール・ロシアン。
ボロディンの「イーゴリ公」序曲。
ラフマニノフのピアノ協奏曲3番。
休憩
プロコフィエフ「ロミオとジュリエット組曲」
実はブロンフマンとは過去に何度かご縁があったのです。コルバーン在学中、公開レッスンでレッスンを付けて頂いた事もあります。びっくりしたのはその公開レッスンの半年後、タングルウッド音楽祭にフェローとして参加した際、レストランで偶然ばったり出会ったら、向こうが覚えていてくれたこと!その理由の一つには、長年LAフィルの常任指揮者を務め、作曲家でもあるエサ=ペッカ・サロネンの「ダイコトミー」と言うピアノ独奏曲を私がアルバム収録していたことがあると思います。ダイコトミーは本当に大曲で弾き終えると腕がもげるかと思うほどです。ブロンフマンはダイコトミーの初演をしただけでなく、ダイコトミーを更に発展させたエサ=ペッカ・サロネンのピアノ協奏曲の初演も手掛けています。
そのブロンフマン。タングルウッドで再会したのは2009年。その時は精気みなぎるという感じで、コンチェルトの最後の和音を「ぐおおお~~!!」と言う感じで弾いたら、その腕力でピアノの椅子が「ずっ」と勢いよく後方に滑り、会場から「おおおお~」と驚きのどよめきが上がったのが、印象に強く残っています。
しかし今回のブロンフマンは舞台に登場した瞬間「この人が本当にラフマニノフ3番を弾くのか?」と思いました。ラフマニノフ3番は30分以上かかる大曲と言うだけでなく、技術的に非常に困難です。音の数が多いだけでなく、非常な腕力・集中力・持久力を要求します。この曲を練習中に腱鞘炎や関節の故障を来すピアニストは多いです。若い人がコンクールに弾く曲で、高齢枠に入りかかったピアニストが容易に弾く曲ではありません。ブロンフマンは60年台・70年台にソビエト連邦で教育を受けたピアニストで、ラフマニノフやプロコフィエフなどの超絶技巧を要する曲を得意とします。でも、私にとっては久しぶりに見る壇上のブロンフマンは随分と印象が違っていたのです。
ラフマニノフ3番は、オケの単純なニ短調の伴奏の上にピアノが異様にシンプルなメロディーをオクターブで弾くことで始まります。ブロンフマンはこのメロディーを、指揮者のテンポよりもかなりゆっくり目に、優しく慈しむような弾き方をしました。ここからもう私は(お!)と思いました。ブロンフマン特有の攻撃性がない!
この演目は木・金・土・日と4回公演組まれていて、私が聴いたのは最初の晩の演奏でした。そのせいもあったかも知れませんが、ピアノと指揮者・オケとの間にいくつかの食い違いとか、誤解がありました。最初のメロディーを惜しみながら味わう様に弾いたブロンフマンが、その後取って代わったように困難なパッセージをサササ~と弾き飛ばすのに、オケがもたついて、一時は崩壊するのではとひやひやするほどだったのです。でも、ブロンフマンにとってラフマニノフは十八番です。まあ、オケを許して付けてあげていました。オケが段々ブロンフマンのペースを把握してきたところで、ブロンフマンは本当にサラサラと何気なくどんどん弾き進め始めました。なんにもこだわらない。溜めない。酔わない。ただ誠実に、吟味しつくされた音を次から次へと何も考えずに送り出し続ける、という感じです。心がこもっていない訳じゃない。むしろこれは究極な「心」なのかも。心を込めている事にこだわっていない、と言うか。
こういうのを「一皮剥けた」というのでしょうか。私にはブロンフマンが、ピアノの技術を超えたところで音楽創りをしている様に聞こえました。「弾く」という域を超え、奏法とか技術とか評価とか、そう言ったものに対するこだわりを超越した所で、生きとし生けるものを哀れむ一つの方法としてこのラフマニノフを弾いている、という感じがしたのです。
感動しました。私も、もっともっと弾いて、もっともっと生きて、今のブロンフマンが居る所まで行きたい!と思いました。
休憩中に、同じ会場にいた友達とチケットを交換して、今度は舞台の後ろの席からロミオとジュリエットを楽しみました。音が足の裏を伝わってびりびりと振動として感じられ、ピアノやハープや打楽器の細かいパーツが良く聴こえて、指揮者も良く見えて、これはこれで本当に楽しかった。固唾をのんで聴き入ってしまいました。
それにしても「売り切れ」の演奏会場なのに空席が目立つこと!友達と「なんでだろう...」と首をかしげて次の瞬間、顔を見合わせて「コロナだ!」と同時に叫びました。風邪の症状がある人が、陽性反応が出た人に接近した人が会場に来られないから空席が必然的に出てしまうんです。
演奏会が終わったのが22時半。普段早寝早起きの私には深夜です。でも帰ったら野の君が起きて待っていてくれて、興奮して演奏会の話しをしました。そして翌日の今日金曜日は、朝からず~っと熱を入れて練習してしまいました。
音楽人生万歳!音楽って本当に凄いんです!
お疲れ様です。
霧が晴れてそこに凄い実像が現れました。
真の音楽家は、飾らない自分を表現していました。
恐れ多くも、一段上に端座する貴人だということを知りました。
小川久男