Tag: ドクターピアニスト


  • 2019年日本での演奏のお知らせ

    ありがたいことに本当に沢山の方々のご協力とご支援を得て、お蔭様で私の日本での演奏活動も今年で19年目になります。今年の公開されている活動の詳細を、チラシと共に下にまとめました。今年も一人でも多くの皆さまと音楽の輪を広げていけることを楽しみに、帰国いたします。シェア、よろしくお願いいたします。 7月20日(土)1-5PM 公開レッスンとミニコンサート、東京。 7月31日(水)10時~12時。河合楽器前橋ショップ「ドクターピアニストのトークとお話し『ピアノに聴く水』音楽でもっと健康、もっと幸せ、もっと仲良く!」 8月4日(日)1時半開演;3時半終演。ピアノトーク「ピアノに聴く水」水上カルチャーセンター 8月5日(月)ピアノリサイタル@元野尻小学校跡、長野県木曽郡大桑村 8月10日(土)2回公演です。14時開演 & 18時開演。「ピアノに聴く水」8K スタインウェイ・サロン。月例プレミアムコンサート。横須賀。

  • 「水の上で歌う」歌詞の邦訳

    フランツ・シューベルト(1798-1828)の歌曲「水の上に歌う(1823)」の詩の邦訳です。詩人は Friedrich Leopold Graf zu Stolberg-Stolberg (1750-1819)。この邦訳は、Richard WigmoreとLynn Thompsonの英訳と、このブログの邦訳を参照しています。 Mitten im Schimmer der spiegelnden Wellen 鏡の様にきらめく波の合間をGleitet, wie Schwäne, der wankende Kahn; 白鳥の様にボートが滑っていく。Ach, auf der Freude sanft schimmernden Wellen ああ、やさしくきらめく波の喜びの合間をGleitet die Seele dahin wie der Kahn; ボートの様に魂も滑っていく。Denn von dem Himmel herab auf die Wellen そして天国から波へ下降してTanzet das Abendrot rund um den Kahn. 夕日が踊る、ボートの周りを。Über den Wipfeln des westlichen…

  • 「音楽には社会資源としての大きなポテンシャルが在る!」これが、私の信念です。音楽をどう使えば、私たちの生活や社会をよりよくするために有効活用できるのか?私はこれからの音楽人生をこの課題の研究と考察をしたい。そして音楽の効用を演奏や講義や執筆活動を通じて、出来るだけ沢山の方にお届けできれば、と思っています。 その試みの一つとして始めた、「音楽の効用を職場で活用!」ワークショップ。( こちらでワークショップのプロトタイプの概要をお読みいただけます)。 この数か月で様々なクライエントにご提供させて頂き、参加された方々に大変喜んで頂けています。予想以上の反響に私も多いに勇気づけられ、この音楽ワークショップのポテンシャルを確信し、これからの意欲を燃やしています。さらに良いワークショップをお届けするべく、復習とこれからの更なるグレードアップ計画を公開するのが、今回のブログ内容です。 そもそもワークショップとは何なのでしょう。 伝統的な『授業』では、先生や専門家・権威と言った一人の人間が講義をし、残りの参加者はそれを静かに聞くと言った受動的な学び方が主流です。それに反してワークショップでは、参加者同士で意見交換したり、自分の体で体感したり、グループで共同に実験してみたりして、能動的に学びます。自分の体と言葉と五感を総動員することで、学習内容が体感や思い出に結びつき、より個人的な実感に基づいた学習になります。また共通の課題を受けて意見を交わし、力を合わせることで、参加者同士の交流と理解が深まります。 静かな聴衆に向かって、壇上から音楽を投げかける伝統のあるクラシック音楽の分野で教育を受けてきた私。その上、修士課程を勉強中から大学などの教育機関で、授業やレッスンを教えてきました。特に教え始めたころは、相手の興味の対象や、どの情報を必要としているのかも考慮する余裕も無く、(自分の持っている知識を全てシェアするのが義務)と、真面目に、一方的に、喋りまくっていたと思います。(意見を聞いても、皆シャイで手を挙げない)(参加型授業は先生の怠け)...生徒や非専門家に対する不信感や「教える」と言う行為への誤解は、実は私だけのものではなく、工業革命以降現在に至る教育現場に、歴史的にあるのではないでしょうか? ワークショップをデザイン中も、音楽家としての修行中に自分が体得して来たことをいかに効果的に皆さんの職場や日常に役立てることができるか、それを伝えることに集中していました。 しかし、このワークショップのファシリテーターとしての活動を始めて驚きました。 参加型にすればするほど私が提示するメッセージが波紋を広げ、参加者の中で生きて成長し続ける考えとなっていくのです。これは、ワークショップの最中の参加者の表情やボディーランゲージの変わり様、そして意見交換がどんどん活発になる様、笑い声の出る頻度の増加、さらにその笑い声がどんどん楽しそうになっていく感じなどで、痛いほど感じられます。 「聞く→聴く」「理解→体感→体験」と、能動性を段々強めていき、シャイな参加者でも違和感なく参加できるようにデザインしたこのワークショップですが、頂いた感想を見ると圧倒的に皆さんの印象に残っている部分は、一番能動的な「指揮でリーダーシップ考察!」の所です。最初のワークショップでこれに気づいて以来、どんどん能動的・体験型学習の要素を前倒しにしているのですが、参加者の方々は、臆すること無く、どんどん食らいついてきてくださっています。 頂いた感想からいくつか抜粋をご紹介します。(参加者の了承は頂いています。) 『 飲料事業の経営をしていると、五感の中の聴覚以外についてたくさん考えます。味、デザイン、香り、商品を持った感じなど。平田さんのワークショップを通じて、聴くという動作を、飲み物、そして人間が集まって活動する事業の中でどう設計していくのか、新しい視点をいただきました。受講した社員たちの眼差しも、平田さんのリーダーシップに触れて一層輝きを増し、またチームとしてお互い発信してぶつかりながらも協業し推進力を持って取り組む姿勢が見えました。是非定期的に実施していきたいと思います。』(株式会社チェリオコーポレーション専務取締役 ) 『指揮のワークショップは...音に対する感覚、リーダーシップに関する体感、実感ができて、頭の中だけの理解でなくて感覚を使うので良い。人前でやるので自信を持つ体感の練習になる。自分がしきる!と言う気構えの練習になる。感覚をオープンにする機会になった。こういうワークショップの短いバージョンもありますか?』(ございます!注:この時は5時間のワークショップをさせていただきました) 『指揮のワークショップから、指示(動作)が明確でないとみんなの心を一つにできない、ついてこれない事が分かりました。「音楽」と聞くと苦手意識が先行してしまい、これまでさけてきたけど、今回のワークショップをきっかけに自分の好きな音楽をみつけて探求していこうと思いました。』 『 音楽と脳、からだの関連を身をもって体験できた時間でした。自分が思っている以上に音楽とからだは連携していて、音学の素晴らしさを改めて感じました。』 このワークショップはそれぞれのグループのご要望にお応えして、常にニーズに合った形にしています。今までにファシリテートさせて頂いたワークショップのクライエントやトピックの例は以下です。 Webrain Think Tank LLC. 「音楽でリーダーシップ!」ワークショップ (参加者7人、2時間半)聴覚の再認識→声の抑揚への気づき→生態リズム//音楽のリズム→指揮でリーダーシップ考察 Terumo BCT, Inc. 本社 「『音楽は世界の共通語』を科学する」(参加者約45名、1時間)脳神経科学の側面から、なぜ私たちは音楽で一体感を得ることが出来るのかのデモンストレーションと、それをどのように職場で活用すればうまくコミュニケーションと連帯感を創り上げることが出来るのか、ワークショップ。 Terumo 「サウンドマーケティングと、サウンドロゴデザイン」(参加者8人、90分)なぜ音は感情に直結しているのか、どのような音がどのような感情を醸し出すのか、それを使って効果的にマーケティングするためにはどのような方法が在るのか。最後にサウンドロゴを試験的に作るワークショップ。 チェリオコーポレーション滋賀工場 「『第一部:音楽でより良いチーム、より良いチェリオ』『第二部:音のパワー&聴覚で市場開拓』『第三部:指揮でリーダーシップ体現』」(参加者:中堅以上22人、5時間)部下とのコミュニケーションの向上と、連帯感を醸し出す引率に注目しながら、音楽の効用について再考察。単純作業中の音楽での効率向上や、サウンドキューでのチーム認識など。 チェリオコーポレーション新人研修「音楽でより良いチーム、より良いチェリオ」(参加者15人、4時間)新入社員が、同期としての連帯感を高め、社員としての自覚を確立し、さらにこれからのキャリアに関する展望をより期待に満ちたものにするためのお手伝い。音楽や聴覚を考察しながら、「上がると言う現象」とは、そして「ストレス」とは何か、どう克服できるのか、など。

  • 「音楽は以心伝心」

    アメリカ西海岸で1984年から読まれている日本語新聞『日刊サン』に今年から掲載中のコラム「ピアノの道」。毎月第一・第三木曜日に発表されています。 5月2日(木)に発行された記事は「音楽は以心伝心」と題しました。本当は「音楽はどこでもドア」とつけるつもりだったのですが、アメリカ滞在が長い読者の方にはドラえもんがピンと来ない方もいらっしゃるかと思って... “Without music, life would be a mistake(音楽無しの人生は誤りだ)”と言うニーチェの格言で書き始めています。 残りの記事はこちらから、そしてこの記事の英訳はこちらからお読みいただけます。是非、ご感想をお寄せください。

  • 書評:世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

    山口周著「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?—経営における『アート』と『サイエンス』」(2017) 光文社出版。 私自身が、音楽を使ったチームビルディングやリーダーシップのワークショップをデザインする段階で市場調査を行っています。その時から確かに、近年、企業がアートやアーティストに指針を求めている、と言うことは感じていました。この本が増刷を重ね(2019年一月の段階で16刷目)、数々の賞(HRアワード2018最優秀賞、ビジネス書大賞2018準大賞、など)を受賞していると言う現象そのものも、興味深い。これは私が打ち出した企業向け音楽ワークショップに対する反響にも反映されていると思います。 なぜ、今、経営にアートや美学が求められるのか?この本は80パーセントをこの問いの解析に費やし、残りの20パーセントで、ではエリートはどのように美意識を鍛えられるのか、と言う提言や例を挙げています。 まず、本書のタイトルにあるキーワードを著者がどのように定義しているか、まとめていきましょう。 『エリート』とは、大きな権力を持ち、他者の人生を左右する影響力を持っている人たち(P. 143)です。システムに最適化しているので、様々な便益を与えてくれているシステムを、その便益にかどわかされずに相対化して批判し、修正する力を持っています(P. 183-4)。しかし、達成動機(P. 140)が高いので、生産性や収益などの数字のみを追っていると、コンプライアンス違反などの犯罪のリスクがあります。『美意識』はエリートを犯罪から守り、さらにその影響力を有効活用して、理想的な社会への実現を向けて現状の改善を促す力があります(P. 237)。 『エリート』の影響力を企業などのシステム、さらに社会改善のために役立てるーこの大きな理想を実現するために必要となるのが「人生を評価する自分なりのモノサシ(P. 143) 」、『美意識』です。 本書で著者は「真・善・美」と言うフレーズをよく『美意識』の同義語として用いています。スタイル・エスプリ・教養とも呼べる、要するに「目の前でまかり通っている評価や判断基準を『相対化できる知性』」です。(P. 150-151) そして脳神経学者、アントニオ・ダマシオ博士の「ソマティック・マーカー仮説」を参照し、高度の意思決定の能力は、直観的・感性的なものであり、絵画や音楽を「美しいと感じる」のと同じようなものだ、とします。 副題にある、経営における『アート』と『サイエンス』とは何でしょう? 経営学者ヘンリー・ミンツバークによると、理想的な経営は『アート』と『サイエンス』と『クラフト』のバランスによって達成されます(P.52)。 『サイエンス』は「分析」「論理」「理性」などと言った「言葉にできるもの」です。(P. 14) MBAで学ぶのが『サイエンス』です。 『サイエンス』には3つ問題があります。最大の問題は、サイエンスだけに頼る経営は、人間味に欠けることです。次に、客観的な数字は誰が見ても同じです。MBAの増加で、同じデータ解析の技術が蔓延し、「正解」の希少価値が無くなります。極論で言えば、人工知能に情報解析を任せればよい、と言うことになります。同じ市場・現状を競争企業が一斉に同じ方法でサイエンスすると、どんぐりの背比べになり、コンプライアンス違反しか競争を勝ち抜く方法が無くなってしまう。さらに、現在はVUCA(Volatile, Uncertain, Complex, Ambiguous)で、不透明度の高い時代です。(P. 108-109) VUCAの時代の厳密な因果関係の整理は、要素の変化が絶え間ない世界では無意味なのです。(P. 110) 『クラフト』は「経験」や「伝統」で培われたノーハウです。ここでもVUCAが問題になります。イノベーションを受け入れにくいのです。(P. 53-54) 『アート』は 組織の創造性を後押しし、社会の展望を直観し、ステークホルダーをワクワクさせるようなヴィジョンを生み出します(P. 53) 。 しかし、『アート』にはアカウンタビリティがありません。説明がつかないことが多いのです。サイエンスやクラフトと議論をすると負けてしまいます。さらに、『アート』だけの経営はナルシシズム、「アートのためのアート」に走る危険性があります。そういう弱点のために今まで軽視されがちだったアート。それが現在見直されるべき理由は、アートは「熱いロマン(P. 61)」であり、「ワクワク」だからです。今日、世界中の市場が「自己実現的消費」に向かい、消費と言う行為が自己表現とみなされる中、ブランドに求められるのは、ストーリー性でありファッション(P. 100)、つまり『アート』の要素なのです。東芝はノートパソコンを世界で最初に開発した会社(P. 120)です。しかし、ノートパソコンのデザインと機能はパクられて市場は乗っ取られてしまいました。素晴らしいイノベーションこそ、すぐにリヴァースエンジニアリングでコピーされてしまいます。他者にコピーできないのが、世界観とストーリー性です。アップルが売っているのはイノベーションではなく、世界観とストーリー性、そしてアップル商品の消費者が誇れるイメージとファッションである、と言うのが著者の主張です。(P. 118) 戦後の日本企業では『サイエンス』と『クラフト』が重視され、『アート』は軽視・無視される傾向が強まって来ていました。それでもやって来れたのは戦後から90年代まで、日本は欧米のお尻をまっしぐらに追いかけていればよかったからです。「ヴィジョン」は無くても、「もっと安く、もっと早く」でぐんぐん成長して来ました(P. 90-91)。しかし今、そしてこれから、日本企業は何を指針に進化していけば良いのでしょうか?  この本で提示されているのは、ミンツバーク博士の『アート』が主導し、『サイエンス』と『クラフト』が脇を固める、と言う構図です。(P. 65) Planをアート型人材が描き、Doをクラフト型人材が行い、Checkをサイエンス型人材が行う、と言うモデル(P. 66) 。その為にエリートに『美意識」が必要になる。ブランドイメージやプロダクトデザインを、本物のアーティストに発注するとしても、社運を賭けるアーティストを誰にするのか決めるだけの『美意識』が無くてはいけません。 さて、ここまでは私は著者の論点や、挙げられている例の豊富さ、そしてまとめ方の説得力に小気味よさを感じながら読んでいました。しかし、最終章「どう美意識を鍛えるか」と言う所で、疑問を感じてしまったのです。下心を持って哲学を学んだり、絵画鑑賞をしたり、文学に触れたりして、本当に『美意識』は培えるのか?著者が挙げる「美意識を鍛える手段」の中に音楽を含む舞台芸術が全く無かったから不信感が芽生えたのでは、と言われれば、正直そう言う所もあるかも知れませんが、それだけではありません。 まず、『美意識』は説明ができないもの、サイエンス型人材やクラフト型人材、そして『エリート』ではない凡人には分かり得ないもの、としてしまうと、『美意識』を持ったとされる人の独裁を許容してしまう恐れがある。『美意識』を培うものが特権階級にしかアクセスが無い教育(オックスフォードやケンブリッジなどの教育が挙げられています)や、教養だ、としてしまうと、なおさらです。いくらCheckをサイエンス型人材にやらせても、サイエンスを解釈するのが人間である以上、データを独裁美意識に有利に使う危険性は多いにあると思います。 私は、本物の『真・善・美』や『熱いロマン』や『ワクワク』、つまり著者が言う所の『美意識』は、伝染する、ものだと思っています。それこそダマシオ博士が打ち出す「ソマティック・マーカー」で、教育レヴェルや立場に関係なく、お腹に共鳴するものです。伝染が部署関係なく全ての社員に蔓延して、株主や消費者にも感染する時、その会社のサービスやプロダクトやイメージはいろいろな意味で成功しているのだ、と思います。成功と言うのは儲けだけでない、実感できる意義、幸福感、誇り、などです。そして、それがそのまま『美意識』、ストーリーと世界観では無いでしょうか? そもそも「絶対的な美」と言うのが在りえない以上、一部エリートが持つ「より優れた美的感覚」と言うのは無いのでしょうか?『美意識』と言うのは『蔓延力』、共感を促す力、集団意識へのアクセスではないでしょうか? もう一つこの本に問題を感じるところは「欧米に比べて日本は(日本企業は)劣っている・改革が必要である。」と言う論調です。日本の文化や国民性や現状を論じる時、ルース・ベネディクトの「菊と刀」(1946)を始め、主に欧米人の評価を持って語っています。「偏差値は高いが美意識は低い」と言う論点を強調するために引き合いに出されるオウム真理教に関しては宮内勝典氏の「善悪の彼岸」を参照されていますが、これだって(なぜ日本考察の例がオウム?)と言う感じです。さらに、「日本人は空気に流されやすい。過去の過ちに対する過剰反応が日本企業をサイエンス過多の経営に走らせる」と言う時に引き合いに出されるのは終戦直前の戦艦大和です(P.94-98)。 本当に日本は欧米に劣り、改革が必要なのでしょうか?日本はその非常にユニークな歴史・条件・国民性のため、欧米がお手本にならない、と言うことはあり得るでしょうか?私は歴史上、様々な困難に打ち勝って豊かな文化と歴史を築き上げた日本人について学ぶ度に、その創意工夫や、根強さ、そしてこだわりと言ったものに、触発されます。日本の企業経営やCEOは、確かにグローバル化を目指す中で、他国に学ばなければいけない点はあるでしょう。しかし、論点として、「日本は間違っている、あるいは劣っている」ので改革を目指せと主張するのと「日本のこんな良い点をこういう風に開発・進化させれば、日本のすばらしさはもっとグローバルに広がる」と言う風に主張を展開するのでは、後者の方がより効果的だと思います。(マツダや、無印良品、ユニクロなども、成功例として出てきます。が、GoogleやAppleなどの欧米社と比べて、扱いやページ数が違うのです。) 『美意識』に必要なのは、教養よりも、自信と誇りだと、私は音楽家としての経験を持って言います。もちろん、この自信と誇りは知識と経験に基づいていますが、いくら知識と経験を積んでも、自信と誇りが無ければ『美意識』は打ち出せません。そして残念ながら、日本には自信と誇りの邪魔をするコンプレックスがあります。このコンプレックスには、白人優勢の世界の中で有色人種だと言う事実、さらに極貧の農作国家であった歴史、そして黒船や敗戦のトラウマ、その上ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの後遺症、など、色々な要因があると思います。日本企業が「サイエンス」と「クラフト」に肩入れしてしまうのは、「美意識」をないがしろにしているからではなく、「美意識」をはっきりと打ち出す自信と誇りを抑圧させる背景があるからではないでしょうか。ここを直視しないで、『美意識』が無いのでルノワールやカラバッジオを鑑賞しろ、プラトンやドストエフスキーを読め、と言われても...「はい、そうですか」と従う人はほとんどいないと思いますし、(なぜヨーロッパの絵画?)(なぜギリシャ哲学?)(なぜロシア文学?)となります。日本人のコンプレックスにさらに追い打ちをかけているだけではありませんか?「日本はフランスと並んで、おそらく世界最高水準の競争力(美意識)を持っている(P.112)」と、山口さん、書いてるじゃない?(最初のチーフ・クリエイティブ・オフィサーとして千利休を挙げられています(P. 72~)し、美意識を鍛えるために詩を読む、と言う所には谷川俊太郎さんの「朝のリレー」が出てきます(P. 244)。が、例外的です。) この本で、私は沢山のアイディアや視点に開眼しました。この本を丸ごと批判するつもりはありません。が、美意識を鍛えるためのあるシステムを提示されたので、著者が警告を発している「システムを無批判に受け入れる」と言う悪を冒さぬため、日本人としての誇りを高く持つ在米30年目の日本人、そして一人のアーティストとして、最後に評論いたしました。