公開練習

練習を公開する、と言うこと。

学部生の頃、練習休みにふらふら歩いていたら、オーボエの先生の追悼式に迷い込んでしまった。その人の温かい人柄があふれるようなエピソードが昔の生徒や同僚によってシェアされた後、奥様がスピーチをなさった。 「とにかく一人でいることが嫌いな人でした。練習を聞くことを私に強制するんです。あんまり毎日付き合わされるのである日逃げ出そうとしたら、クローゼットに閉じ込めて外から鍵をかけ、その前で練習するんですよ!」 会場がどっと沸いた。奥様ご自身も笑っていられた。 100日練習ヴィデオ挑戦を始めてもう11日目。最近、録画の前後に良くその逸話を思い出す。 一人で何時間も練習していると、昼か夜か、どこの練習室か分からないような『入り込んだ』状態になってしまうことがある。実際私は一度、練習室でバッハの「半音階とフーガ」に完全に入り込んでしまい、最後の音を弾き終えてピアノから顔を上げたら、窓の外にエッフェル塔があって仰天したことがある。パリにいることをすっかり忘れていたのだ。まあ、時差とかいろいろな要素があったと思うし、こんな事はこんな私だって稀だけれど。あの時は本当にびっくりした。 「入り込む」のはまあ、気持ちが良い。でも効率の良い練習かと聞くと、良し悪し両方ある。集中はしている。でも音楽とか、弾くという行為に集中しているのであって、何をどのように良くしようというゴールには集中していない。本当に効率の良い練習をしようと思ったら、ある程度冷めて、ある程度計算をしながら弾かなければいけない。そのために第三者に聞いてもらう、見てもらう、と言うのはすごく効果的である。 「練習法を伝授できれば」などと言う、少しおごった気持ちで始めたこのプロジェクトだったが、今は自分が感謝の気持ちでいっぱいである。練習中の私の意識が明らかに向上しているのだ。収録中もそうじゃないときも、練習がより楽しく、効果的になっている。 英語ですが、ブラームスの作品79-1狂詩曲の練習風景です。

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一皮剝けた!開眼!

最近、なんだか人生の折り返し点に在ることを非常に意識します。 そのせいもあるのですが、意識的に色々試しています。 毎日12分瞑想すると、心身ともに色々効果があるということで、やっています。 それからかなり真剣なストレッチもやっています。 更に朝起き第一で何も考えずに物をとに角3ページ書く、と言う修行もやっています。これは「武士道(Way of the Samurai)」をもじった「芸術道(Way of the Artists)」と言う本で「Free morning writing」と称され、推奨されています。これをやることで雑念に片を付け、さらに寝起きでまだ意識下にアクセスのある状態で自分の深層心理を知り、自分の潜在能力を最大限に引き出す、と言う効果がある、とされています。兎に角書き続ける。手を休めない。自分の書いたことに対して価値判断をしない。途中で消したり、訂正や校正も、しない。結構時間がかかる(英語で書いた方がずっと早い)のですが、効果を感じます。 最後に、この間のブログで紹介した「100日練習公開チャレンジ!」もやっています。これはどちらかと言うと、アマチュアや若いピアニストの役に立てば、と言うサーヴィス精神で始めたのですが、思わぬ効果が出ています。自分の練習がより意識的になり、更に人に説明しながら練習することで今まで気が付かなかった自分の欠点などが明確に見えるようになってきたのです。 そして、今日は、開眼!してしまいました。 私は一生懸命やることを良いことだと思って、ずっと一生懸命生きてきました。そして弾くときも一生懸命弾いた。でも、一生懸命になることで実感できなくなること、聞こえなくなる音楽がある、と言うことに今日ハッと気が付いてしまった。一生懸命になると言うことは、一生懸命になる対象、そして一生懸命になっている自分だけに集中をする、と言うことです。でも本当はすべてがつながっている。例えば、特に難しい跳躍があったとして、その跳躍に物凄く集中してしまい、その前後の音楽がおろそかになることがある。弾くことに一生懸命になって聞けなくなっている音楽がある。一生懸命に生きることで、感じられなくなる美しさや、人の思いやりがある。 力を抜くことで開く可能性がある。気が付く美しさがある。できるようになることがある。 瞑想が良かったのか、はたまたストレッチか… このブログで今の私の驚愕がどれだけ伝わったかわかりませんが、私は今、開眼!したのです。ほとんど生まれ変わった気持ちです。これからの人生が楽しみです。 英語ですが…今日のヴィデオです。

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