音楽人生

ピアニストの朝

目覚めてから起き上がる前にまず色々考える。今日練習する曲の事。今日楽しみな事。昨日あったこと・交わした会話・美味しかったもの・感謝すること。そしていつもいつも、執筆の事は考えている。 起き上がる前にベッドの中でストレッチをする。上体を右に捻り、右ひざを曲げた状態で上体の左側に持ってくる。反対もやる。それから膝を回したり、自分の膝を赤ちゃんの様に抱えておでこに近づけたり、くねくねくねくね、布団の中でストレッチする。最近気温が低いので、布団の中がぬくくて、気持ちよい。 ベッドを去ったら、まず歯を磨いて、それからレモン水を作る。一個のレモンで1リットルほど作ってごくごく飲む。家の庭にはレモンがたわわになっていて、友人に配ってもまだ余って、どうしてよいか悩む。毎日一個は朝のレモン水で消費する。無農薬だし、皮の方が汁よりも栄養価が高い。と言うことで、レモン水を飲みながら、皮を刻んでお湯を注いでおく。 レモン水を飲んだら、運動着に着替えてジョギングに出かける。家から自分で何となく決めた2マイル(約3.21キロ)のコースは遠くにずっと山脈が見えていて、途中で公園やドッグパーク(犬と犬の飼い主専用。首輪を外して自由に走り回らせて良い砂場)があり、毎日変化に富んで面白い。山の色が毎日違う。くっきり青い山脈が見える時も、山頂が雲の帽子をかぶっている時も、なんだか木や草で緑色に見える時もある。公園もホームレスの人がジャングルジムのてっぺんで寝ていたり、ドッグパークの人が大げさに私に手を振ってくれたり、色々な事が在る。 帰ってきたら、体操をする。ストレッチやラジオ体操や、YouTubeと一緒にサーキットトレーニングなどをやる。その頃には汗だくになっている。どんなに寒い日でもちょっと動くだけで熱くなるなんて、身体ってすごい! 運動が終わったらシャワーを浴びずにはおられないくらい汗をかいている。シャワーを浴びたら、コーヒーを作って、ヨーグルト(フルーツと黒ゴマ黄な粉にそば粉やカカオやナッツを入れたもの)を食べる。最近洋梨が感動する美味しさ。汁が滴り、むさぼり食わないと汁がこぼれて勿体ない。熟した柿も脳を刺激する甘さ。どんなにグルメな食事も、熟れ熟れの果物には叶わないと思う。あまりの香りの高さ・美味さに、脳みそがぶっとんんで、我を忘れてしまう。食事が終わったらさっきお湯を注いでおいたレモンの皮のエキスを一日中お茶の様に飲む。レモンにはそれぞれ個性があって、レモン皮茶は爽やかでほとんど甘い時もあれば、苦い時もある。そういうのが一々、面白くて愉快。 レモン皮茶をすすり飲む頃には練習したくてうずうずしている。ゆっくりとウォームアップから始める。呼吸と姿勢が自然と整ってくる。全ての感覚に意識が澄み渡る。色々な事が自明となってくるような気がする。 最近、練習中に毎日思い出していることが在る。もう20年近く前の事だけれど、鮮明に思い出される。私はカウンセリングをかじったことがあって、その勉強会合宿での出来事だった。先生が生徒のカウンセリングを例として行うのを観察する、と言うフォーマットの時の事だ。生徒は少女の様に体が小さくてかわいらしい20代のソーシャルワーカーだった。彼女は、社会にも家族にも見捨てられた孤独な一人暮らしの老人の多さに困惑し、怒っていた。でも自分一人ではどうすることもできない。どんなに頑張っても追いつかないほどこういう老人が多い。彼女は泣き始めてしまった。カウンセラーはずっと聞いていたのだけれど、彼女がひとしきり泣き終わったところで、二人共立ち上がらせた。そして「それじゃあ、あなたはこれから私の体を思いっきり押してください」と言った。少女ソーシャルワーカーが「へ?」と言う顔になると「私を無関心な社会の体現だと思って、怒りを込めて私の体を腕で思いっきり押してみてください。」と言ったのだ。ソーシャルワーカーは「そうですか、それでは」と言う感じで、始めはしょうがなく、照れた感じで先生の肩を両腕で押し始めた。先生は体格の良い50代くらいの女性で、少女ソーシャルワーカーの2倍くらいの体重が在ったと思う。10秒くらい経った頃からソーシャルワーカーはだんだん気持ちが入って来て、顔を真っ赤にして「わ~~~~!!!」声を上げながら先生の体をぐいぐい押し始めた。先生がどんなに足を踏ん張っても踏ん張り切れない強さだった。先生が後ろに転がってしまうくらいソーシャルワーカーが押しまくるので、先生が「よし、よし、ちょっと方法を変えましょう。」と途中で止めた。「両腕で押すのはやめて、今度は右手の人差し指に怒りを全て込めて、私の左肩を指一本で押してください。」皆、ちょっと失笑と言うか(それで本当に発散できるかな~?)と言う雰囲気が漂った。でも少女ソーシャルワーカーはすぐさま人差し指で先生の左肩をグイ~と押し始めた。先生が「気持ちの全てを指に込めて!」と言ったら、ソーシャルワーカーは汗を一杯おでこに浮かべてと口を大きく『へ』の字にして、静かに涙をだらだら流し始めたのだ。今書いていて、私も涙が出てくる。 私も、最近毎日練習しながら、気持ちの全てをそれぞれの指先から鍵盤に伝えようと思って弾いている。言ってもどうしようも無いこと、他の人に分かってもらえない事、変えられない事が沢山ある。過去の傷。世界の不公平・不平等。皆、それぞれの立場で、やるせないことを沢山抱えて、生きている。何がどうやるせないかと言う物語の詳細ではなく、そのやるせなさにお互い共感することで、お互いを勇気づけ慰める—それが、音楽であり、文学だと思う。それが、人間性だ、と思う。

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ドクターピアニスト多数出没!

6月20日(木)ギリシャのスペツェス島。5日間の機械学習の学会の最後の晩に演奏させて頂きました。海辺から徒歩5分の素晴らしい環境で、同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下で生活して、自分たちの研究や将来への夢や野望を語り合った仲間たちの前での演奏。ピアノは理想的とは言い難いとても古いピアノ。調律師はスペツェス島には居らず、演奏会のために調律師の手配…と言う手配はされてはおらず、兎に角最善を尽くすのみ。でも、毎日一緒に海辺を散歩や海水浴をした後でしたので、ショパンの舟歌やリストのエステ荘の噴水は、格別に意味深く感じられ、本当に奏者も聴衆も会場全体が一体となって「ピアノに聴く水」を堪能できた、素敵な演奏会となりました。アンコールの後も、お客様がいつまでも名残惜しそうに質問やコメントを投げかけてくれ、時間がしばし経って荷物をまとめて会場を出ると、出しておいたCDが一枚残らず完売されていました。「もっと持ってきてくれても良かったのに…」と、数人からちょっぴり残念そうに言っていただけて嬉しかったです。(CDはオンラインでもご購入いただけますよ~。) 6月29日(土)実に36時間くらい前にヨーロッパからカリフォルニアに帰宅しばかりの本番。でも本番!となるとやっぱり音楽家は張り切ってしまうものなのですね。時差ぼけなんて何のその。「第二次世界大戦中日本で活躍したユダヤ人音楽家」のトピックでレクチャーコンサートをするのは実に6回目だったのですが、やはり「音楽は人類愛」と語っていると熱くなってしまいます。レオ・シロタやレオニード・クロイツァーや、逆境の中で音楽魂を燃やし続けた日本人やユダヤ人の音楽家の話しが、涙を持って迎えられたりすると本当に充実感を覚えます。今回も打てば響くような素晴らしい聴衆に恵まれました!感謝! 6月30日(日)ホームコンサートで「ピアノに聴く水」を通させて頂きました。実はこれまでの「ピアノに聴く水」の演奏はすべて、30分とか、45分とか、1時間の抜粋で、初めから終わりまで「ピアノに聴く水」を通させて頂いたのは初めて。マークの家にあるヤマハのC7のピアノは特に低音の響きが素晴らしく、楽しみにしていましたが…この日は結構苦闘しました。お客様には喜んでいただけ、ホストのマークと奥様のエスター、そして最近私のエージェントの候補となっているラリーなどは手放しで褒めてくれ、涙を流さんばかりでしたが、毎日私の練習の耳辺りにしている野の君は一言「なんか危うかったような…」マークが熱狂的に3つのカメラと二つのマイクを使って録音・録画してくれたので、じっくりと一人反省会を翌日しました。一言で言って、この日の私は聴けていなかった。これから弾こうとする音や音楽も頭の中で聴けていなかったし、その瞬間瞬間自分が出している音を冷静に判断して将来に役立てると言う聴き方も3曲目くらいから放棄してしまっていたし、余韻を楽しむ余裕も無くなっていた。疲労・マークの家の残響の多さと音量、など言い訳はできるけれど、この日は課題を多く見出させて頂いた演奏経験でした。 7月2日(火)大事なお友達ご夫妻の人生の節目のパーティ―に立ち会わせて頂き、音楽をご提供させて頂きました。彼らの家のK. Kawaiは10日前に調律した調律師さんの腕もさることながら、元々のピアノも、ピアノとお部屋の相性も最高だったのだと思います。音楽愛好家が多いお客様の前で、奥様がお好きなゴールドベルグ変奏曲のアリアや、モンポ―の「一滴の水について」、シューベルトの即興曲や、ショパンのエチュードなど、小品をいくつか披露させて頂きました。あまりに美味しいおご馳走に合わせて少し日本酒とワインを頂いてしまっていたのですが、落ち着いて、余韻を楽しみながら弾くことが出来ました。日曜日の自身回復が少しできたかな? 7月3日(水)Music at Noonと言うパサデナの街に古くから続くコンサートシリーズで「ピアノに聴く水」の抜粋を演奏させて頂きました。演奏会場にお集まりくださった聴衆はざっと100人ほど。赤ちゃん。車いすに乗って看護婦さんの付き添いと来られているご老人。毎週来ていると言う近所の男性。夏休みなので子供を連れて来ているお母さんたち。この人たち全員に、まず私の合図で一緒に息をしてもらい、次に簡単な発声をしてもらい、会場に笑いと安心と一体感を醸し出してから、シューベルト、ショパン、リスト、と弾き進みました。会場はモダンな教会で、ステンドグラスが素敵なのですが、響きが5階建て分くらいある吹き抜けの天上に抜けてしまう感がややあり、残響が長めです。さらにピアノは普段は教会の礼拝中のポップス系の演奏に使われているピアノ。いかにもそういう音がします。ハンマーが固く、輪郭がはっきりしている代わりに軽くて深みが無い音で、陰影がつけにくいのです。だから私は兎に角「間」「ため」「タイミング」で勝負をすることに決めました。これがうまく行ったのだと思います。自分でも与えられた状況の中でベストを尽くせたと言う満足感がありましたし、確かにお客様と心を通わせることが出来た!と言う手ごたえがありました。CDも沢山売れましたし、何しろお客様からの質問やリクエストや反応が素晴らしかった。演奏終了後もお客様がずっと帰りたがらない様子が嬉しかったです。 7月3日の午後、演奏を終えて帰宅して来た私はそのままベッドに直行してしまいました。読書に耽り(練習しなきゃ…反省会をやらなきゃ…)と気持ちは焦るのですが、どうしても体が動かず(自分は何という怠けものなんだ…どうして意思がこんなに弱いんだ…)と自己嫌悪に陥っている中、野の君帰宅。「体が熱いよ!」とすぐ気が付いてくれました。そうと決まれば堂々とごろごろベッドでヴィデオを見て、感動して大量の涙と鼻水を流し、さっさと早寝をしてしまい、至福の時を過ごしました。でも、どうして私は疲れるとすぐ発熱をするのでしょう?そしてどうしていつも発熱を自分で気が付けないのでしょう?どうして発熱する前に、自分の体力管理をきちんとできないのでしょう?まだまだ課題は多いです。 7月4日の独立記念日は久しぶりにイベントの無い、中日。野の君がレバニラと餃子づくりを提唱してくれ、この二つを二人で楽しく料理してがっしり食べたら、自分でもあきれるほど元気になりました。 7月5日(金)の夜は近くのシニア・コミュニティーで「ピアノに聴く水」を通させて頂きました。この日のピアノはBaldwin。少し音が固く、完璧に調律されているとは言えないけれど、定期的にメンテが施されている家庭用としては上等くらいのピアノです。会場は少し余韻が足りない感がありますが、自分の音が良く聞こえる、通し稽古にはちょうど良い環境です。この日はなぜかお客様の食らいつき具合が半端ではなく、私もそれに乗ってとても気持ちよく弾くことが出来ました。この日のプログラムを紹介してくれたアリスが「Makikoは日本へのツアーの前の準備の一環として、今日私たちに演奏してくれるのです。だから応援しましょう!」と言ってくれたのが良かったのかも知れません。兎に角お客さんの反応が良かった。私も集中して音楽に入り込むことが出来ました。演奏中、二回地震があったのですが、むしろそういう予期せぬハプニングもこの演奏会場の結束を強める効果が在ったと思います。演奏終了後、車いすの方がわざわざ時間をかけて私の所に来てくれて「地震にも全く動じずに音楽に徹している姿に感動しました」と言ってくれたのには、こちらが感動しました。 7月6日(土)の午前11時から、家から一時間程運転したところにある会場で「メロディーは世界の共通語」と言うレクチャーコンサートをしました。お客さんは少なかったのですが、6月30日のホームコンサートで初対面だった聴衆の方々が何人かいらして下さったり、歩行困難(一メートル歩くのに歩行器具を使って2分くらいかかっていらっしゃいました。)の女性がおしゃれをして来てくださっていたり…そして皆さん、とても熱心に私のレクチャーに熱心にうなずいたり質問やコメントで応えてくださり、レクチャーの合間に小品を演奏する度に「ブラボー」とため息と拍手で感謝を表明してくださいました。 7月7日(日)の午後2時。今このブログを書いている7月6日からは明日にあたります。もう一度「第二次世界大戦中に日本で活躍したユダヤ人」のレクチャーをします。 (後日談:この日のお客様は今までにも増して超満員ー立ち見が出る上体で、質問やコメントも活発に出て、終了後はお客様の長蛇の列が辛抱強く30分以上もずっと私との会話を待ってくれ、日本出発前最後の会にして、非常に思い出深い特別な会となりました。) 明日が終わると、日本に出発するまでは演奏は一段落。日本に向けての準備と練習と、日本から帰って来てからの曲目(ヒンデミットのクラリネット・ヴァイオリン・チェロ・ピアノのための四重奏、ラヴェルのトリオ、ブラームスのピアノ五重奏、など)を集中して練習します!

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2週間のヨーロッパ旅行を振り返って。

4年ぶりにヨーロッパに行ってきました!日程はこんな感じ。 6月14日      アテネ入り6月15日~21日   ギリシャのスペツェス島で機械学習の学会        20日:学会主催「ピアノで聴く水」リサイタル6月21日~25日   ジュネーブ観光6月25日~27日   アテネ観光 刺激・出会い・美食・驚き・発見・再会・探検…余りに盛沢山で、どこから書き始めて良いか分からないくらいです。思い出に浸りながら書き始めに悩んでいると(う~ん、毎日日記をつけるべきであった…)とも思います。が、実は今回の旅行に於ける最大の発見の一つは余白の大切さ。私のアメリカの携帯は旅行中はWifiが在る所のみネットアクセス可能。電話としては全く機能しませんでした。特にスペツェス島ではWifiは場所が特定され、しかも遅かった。...でも、これが良かったのです。我を忘れて読書に没頭したのも、新聞紙の畳み方に格闘しながら隅から隅まで読んだのも、水の音に聞き入ったのも、そして電話に気を取られること無く色々想ったのも久しぶりだった。お蔭で私の覚醒や感受性の度合いが旅行中にアップしました。生き返ったような実感を持って旅を楽しめた。現代社会に於ける「不便」の贅沢。リミテーションが在って初めて可能になる事が在ると言う事実。何にせよ、インターネット恐るべし。これからは携帯・パソコンの使用時間の上限を毎日守ろう。固く決心して帰国して来ました。次の再発見は歩き回る事の楽しさ。学会終了後は毎日10キロ以上歩いていました。歩いて初めて気が付くことに沢山愛おしさを感じました。すれ違う人の人種・服装・表情が微妙に変わっていく様。投げかける挨拶が、帰って来るときの喜びと発見。街のディテールに対する自然の壮大さ。アメリカ、特に西海岸の車社会で歩くことの喜びを忘れていたな~、と痛感しました。 旅のハイライトを場所ごとにまとめます。 アテネ: 結果的にアテネでは3泊。しかも全て同じ区域で(Evangalismoと言うメトロの駅付近)、違う宿に泊まる事になりました。このそれぞれの宿の違いが面白かった。 宿その①:アメリカから飛んで最初の宿はAirbnbでアパートの貸し切り。最初の晩でちょっと奮発して一泊約60ドル。広々として、窓からウ~ン!と上体を乗り出すとアクロポリスが遠くに望め、天上が高く、(え、これが60ドル!?)と言うお得感満点のきれいな高級アパート。騒音レヴェルが割に高いアテネでも防音完璧。ベッドルーム、居間、広いキッチン、そしてバス・トイレ。寝具も気持ちよく、快眠。 宿その②:ジュネーブから帰ってきての一泊は1/3の値段相応。借りたベッドルームはソファとベッドが片面づつ接触している狭さ。ベッドは傾いていて、洗面所は顔を洗おうとすると目前の鏡に頭がごっちんこする至近距離。熱いアテネの夏でもクーラー無し。申し訳にある扇風機は動いたり動かなかったり。そして動いている時は「ガーガー、カタカタカタカタ」と常に自己主張。半分地下の部屋で、ベッド横の窓は交通量の多い道に隣接。バイクや車が通る度に突っ込んでこられるような臨場感。同じアパートにもう二つあるベッドルームはそれぞれ貸し出されていて満室。そして洗面所にも寝室にも台所にも、色々な用具が雑多に(これ以上在り得ない)と言うくらい山盛りに積まれています。今までの宿泊客が残していった全てを捨てずに積んだ?と言う感じ。一応掃除はしてあるけれど、とても歴史が在る感じの建物で、しみ・黒ずみはもうどう掃除しても清潔感は醸し出せない。 宿その③:最後の宿は離陸時の事故に飛行不可になった飛行機会社が250人+の乗客全員のための宿を取った4.5星のホテル。二つ目の宿から徒歩3分の距離が信じられない別世界。ロビーにはシャンデリア。屋上にはアクロポリスが臨めるプール。サウナもジムも、夕食と朝食のビュッフェも、すべて込み。個室のシャワーは超広く、寝室は完全防音。全てが完璧。これ以上ないくらいの快眠。 この宿の質の違いはアテネの貧富の差・観光地としての建前と現実のギャップを垣間見せてくれたような気もします。兵役を終えたばかりの20代の男性と話す機会が在ったのですが、彼によると現在のギリシャの失業率は29パーセント。数年前にニュースになった経済破綻から回復しているとは言い難い状況です。でも、観光が一大産業のこの国では、そういう事実は前出しにしたくない。 アテネでのハイライトは二つ。一つ目は最初の晩に食べた日本食屋の「Gaku」。Syntagmaと言う地区にあるお洒落なレストランは実は私の旧友のお店。学部時代の先輩、バッハに思い入れる凄腕ギター奏者、「ごー君」と言う呼び名で親しまれていた長野剛さんとは実に20年ぶりの再会でした。全てアテネの魚尾市場で調達された新鮮なお魚をふんだんにあしらった冷やし中華風ラーメンも、お任せでごー君自ら握って下さったお寿司も、デザートの抹茶入りクレムブリュレも最高!舌鼓を打ちながら、お互いの音楽への熱い思いやこれからの希望や野心について語り合い、素晴らしく盛り上がった一晩でした。 もう一つ美味しかったのは、魚市場で頂いた焼き魚と焼きタコ。ギリシャでは七輪を使って海鮮を焼き、レモン汁をたっぷりかけて頂く、日本人には超嬉しい食習慣が!この日頂いたシーバスはあまりのおいしさに、周りの目をはばからず目玉から骨までしゃぶってしまう美味しさ!お昼時を過ぎた空席が目立つ飾らない店内で提供されていた、演歌や盆踊りと聞き間違うライブ音楽も、素晴らしい香辛料でした。 スペツェス島: スペツェス島でのハイライトは学会で出会った科学者たちの素晴らしい研究(特に国際貿易関係を物理の原理で解析するEconophysics(経済物理)の家富洋先生や、X線を使って中世以前の古文書を読み解いたり石に埋まった化石を研究するUwe Bergmannなど。)そして「科学者」に対する私の偏見を覆す、彼らの多趣味で社交的で陽気さ。さらに社会意識の高さ。そんな彼らと交わした科学に於ける女性進出問題や、音楽・政治・経済・人生観・歴史などに関する意見交換。そして渾身込めて演奏した「ピアノに聴く水」が、一曲毎に全員満面の笑顔と、惜しみない拍手のクレッシェンドで迎えられた時の喜び。CDが売り切れてしまいました。 スペツェス島は村上春樹が「遠い太鼓」と言うヨーロッパ滞在記に「ノルウェイの森」を執筆中に滞在した場所の一つとしてかなりのページ数を費やしている小さな島です。アテネからフェリーで2時間半ほどで、学会があったのは海岸沿いにある元寄宿学校。私は学会の研究発表を聴講したり、演奏会に向けて少し練習したり、島の海岸沿いを歩いてみたり、海水浴をしたりして、ゆったりした時間を過ごしました。シンポジウム主催者の企画は驚くほど文化的要素が多く、ソクラテスが最後に死刑判決を受ける裁判の再現劇を見たり、ギリシャのライブバンドで皆で手をつないで踊ったりもしました。寄宿舎では、毎食必ずグリークサラダ。これが美味しい!そして、スピナッチパイ、ムサカ、海鮮たっぷりのリゾット・パイエア風煮込みなど、伝統的なギリシャ料理もこの寄宿舎のカフェテリアで満喫することが出来ました。 ジュネーブ: ジュネーブは国連やWHO(世界保健機関)など国際政府機関が多く、日米リーダーシッププログラム関連の友達がいたこともあって、今回学会の後に寄る事に決めました。アテネからの飛行機が遅れたのにも関わらず、CDC(Center for Disease Control:アメリカ疾病管理予防機関)でHIVと結核撲滅の活動をするジュネーブに出張中の友達が待っていてくれました。翌朝アメリカに戻る彼女と少しでも多く時間を過ごしたくて、荷物を宿に預けて早々に彼女と2時間程ジュネーブ湖の周りを散歩しながら色々語り合いました。麻薬中毒者たちが注射針を共有してしまうことでHIVの感染が広まる。それを防ぐために、古い注射針を無条件で新しい針に変えてあげる施設を設立する。アフリカの奥地で性教育を施す。水商売の人たちに性病に関するワークショップを開く。そういう活動をずっとキャリアにしている彼女は、でも信じられないほど朗らかで、無邪気で、かわいらしくて、天使のような人です。彼女の博愛主義には本当に触発され、自分ももっともっとやりたい!と思います。 翌日はフランクフルトからジュネーブまで6時間車を転がして会いに来てくれた私の20年来の友達夫婦と、CERN(欧州原子核研究機構)に見学に行きました。「科学を通じた国際協力で世界平和を!」と第二次世界大戦直後に立ち上げられたCERNの背景。原子の研究の副産物としてCERNから出てきたものの中にはWorld Wide Web,そしてタッチスクリーンなど、現代の私たちの生活に密接しているものも。そして勿論ノーベル賞受賞のその壮大なビジョンとミクロの研究にも感銘を受けましたが、PRにどれだけ力を入れているかと言うことにすごく感心しました。半端でない。研究者たち自らが毎日ツアーを行う(ただし選抜。私たちはラッキーでしたが、応募は手間がかかるしややこしい)。展示場ではライトショーや3D 映画や、言語や質問が選べるインターアクティブなディスプレーなど、ディズニーランド顔負けの最新テクノロジーが駆使された楽しく、かつ情報満載の内容。ジュネーブに行く機会があったら是非行ってみてください。(ただし音楽は良くなかった。シンセサイザーの音楽は適当な繰り返しが多く、耳に付き、確かに近代的な雰囲気は醸し出しているけれど、私に言わせると展示になんの価値も不随しなかった。) そしてCERNの後は、ジュネーブの街を挙げての音楽祭!運命としか言いようのない幸運でたまたま我々のジュネーブ滞在の週末がこの音楽祭にぶつかったんです。色々な教会や広場や公園で、オーケストラから合唱団から室内楽やエレキ・ギターなど、色々なジャンルの音楽を楽しみながら散策。ジュネーブに住んで9年になる私の友達がびっくりするほど、教会では立ち見が出る鈴なりの観客。公園も押すな押すなの混雑で、ジュネーブの人たちが夏の週末の音楽祭を楽しんでいました。 翌日は、そのジュネーブ在住の友達が案内してくれて、フランスへの国境を越え、中世の街並みがそっくりそのまま残るYvoireへ。夢を見ているような素敵な別世界でした。ゆっくりと街を歩き、レマン湖を望む景色良いレストランで素敵な海鮮ランチを頂きながら友人とゆっくりと、これまでの人生で得た教訓や、それをこれからのライフウォークにどう活かして行けるのか、など大学生の様に語り合う時間が持てました。お互い丁度人生の折り返しにあって、これからできること・したいことを考えている時なのかもしれません。こういう話し合いが本当に大切に思えます。出張の合間をぬって贅沢な時間を作ってくれたWEF(世界経済フォーラム)で大活躍中の友人に感謝です。 夕方は10キロ近く歩いてローヌ川とアルブ川の合流点を見に行きました。青く澄んだローヌ川の水と、白く濁ったアルブ川の水が渦を巻いて混じり合うさまは結構迫力があり、多いに満足しました。その後ジュネーブ湖沿いの出店で食べたチキンサンドと、ソーセージとラクレットも美味しかった。 ジュネーブ最終日も盛沢山!まず現地の友達が勧めてくれたフォーシーズンズホテルのホットチョコを飲みに行きました。抹茶のお濃い茶の様な濃厚さ…と言ったらちょっと大げさかもしれませんが、これはすごい!ゆっくり味わっていると、お腹いっぱいになります。 ジュネーブの旧市街のウォーキングツアー。ジュネーブの起源と歴史、そして現在が良く分かります。それから国連のツアー。国連のキャンパスは広大で、その歴史も沢山ある国連の機関も、ツアーのお陰で色々垣間見れて良かったのですが、一番すごかったはツアーの後。もともと国連職員のために企画されていた「極貧シミュレーション」と言うプログラム。参加人数が足りなくて、急遽一般ツアー参加者にお呼びがかかったのです。たまたま時間に余裕があったので何のプログラムかも良く分からず参加を決めたのですが、これが強烈だった。Crossroads Foundationと言うNPOがやっていて、国連の役人や安倍総理の奥様も参加されたことがある、10年来のプログラムだそうです。 極貧状態にある人々(一日に稼ぐお金が220円以下)が世界に11億人います。その人たちの生活を一時間半体験してみましょう、と言うものです。参加者はまず班に分けられます。それぞれの班はシミュレーション中の「家族」です。私たちがお金を稼ぐ手段は一つ:お店で客が買った品物を入れる紙袋を作る事です。糊は小麦粉を溶いた水。紙は新聞紙です。家族で兎に角できるだけ早く紙袋をできるだけ沢山作成し、店に売りに行き、そのお金で家賃と食費を賄わなくてはいけません。でもお店は気まぐれで、紙袋を買ってくれないときもあるし、条件を付けてくるときもあります(マッサージ、ハグ、お世辞、など)。家主は容赦なく家賃を引き上げ、払えないと持ち物を取り上げたり、交換条件を出して来たりします。NPOやNGOが救助品や教育プログラム(起業や健康法など)や子供の養育補助を持ち出して来たりしますが、彼らが持ちかけてくる救済の内容に耳を傾けている時間や余裕がありません。そして時々無慈悲に係の人が「あなたは病気になりました。これから5分働けません」「あなたは交通事故にあいました。2分お休み」と告げに来て、家族がどんどん働けなくなります。悪条件の中、紙袋を作ろうを一生懸命やりますが、家主は怒鳴り散らすし、係の人が洗面器や太鼓をどんどんと叩いて「急げ、急げ、間に合わないぞ~」「次の家賃が払えなかったらホームレスだぞ!」「早く、早く!」とプレッシャーとストレスをかけてきます。でも糊は水っぽくて新聞紙がすぐ破れ、粗悪品は全部店先で破られてしまいます。これをただ一時間延々と続けるのです。 始めはゲーム感覚の負けず嫌いで、闘争心丸出しで紙袋作成にかかった私ですが、この一時間半を経て、糊でべとべとになった手と、破られた新聞紙が散乱する部屋を出てから一週間経った今でも、強烈にこの時の印象が体感として残っています。そして実際に紙袋を作りながらなんとか生き残ろうとして一生を終える人たちがこの世の中に多く存在している、と言うことが実感として感じられるのです。 この思いがけず強烈な国連訪問を終えてすぐあと、今度は日米リーダーシッププログラム繋がりのWHO(世界保健機構)とOHCHR(国連高等人権弁務官事務所)で働く二人のエネルギッシュな女性たちと大量のフォンデュを頂きながら科学・性差別問題・人権問題などについて多いに熱く何時間も語り合いました。気が付いたら日がとっぷり暮れていました。ジュネーブの日の入りは9:30だと言うのに、帰宅時は真っ暗。時間をすっかり忘れる熱い時間でした。 人生観が変わったような、思い出に残る、刺激の多い旅行になりました。

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ヒューストンに来ています。

多分私が移住したことを知らなかった同業者が数週間前にコンクール審査員の仕事を依頼して来てくれて、久しぶりのヒューストン帰省!お世話になった知人や長年の友人が懐かしく、卒業して一年が過ぎたライス大学関係者に近況報告もしたく、好機!と二つ返事で引き受けました。 現在の本拠地での大事な予定を変えずにヒューストンに滞在できるぎりぎり、11月8日真夜中到着から13日の午後出発まで。「来たらいつでも泊まって!」と言ってくれる友人の予定だけ確認して、まず飛行機のチケットを押さえます。それから知人に色々連絡を取ったら打てば響くようにみんな予定を付けてくれ、なんと内輪の小さな演奏会まで土曜日と月曜日の夜に入ってきました。本当にありがたい! 水曜日の真夜中に嫌な顔一つせずに空港まで迎えに来てくれた友達と再会を喜び合い、その夜はベッドに直行してバタンキュー。木曜日は一日ライス大学で論文指導をしてくださった教授たちに本の執筆や出版への作戦、これからのキャリアについての相談や近況報告をします。途中、ストーカー退治に多大なご協力をしてくださったスタッフや、後輩ともちょっとずつ挨拶できて、大満足。夜は友人と外食。 そして金曜日は最近なかったゆったりとした日。流行っている風邪で予定が二つキャンセルになり、残るは練習のみ!練習を終えて、夕日がどんどん淡くなるゴールデンアワーに公園を一時間強お散歩します。(「命の洗濯」ってこういうことを言うのか~)となんだか納得した気持ち。雲が流れるのを見ながら、色々な考えを頭の中に漂わせて、でも管理は放棄。リラックスです。                   土曜日の夜は友人宅でのホームコンサート。         日曜日の朝は思い出のカフェでクロワッサンとラテ。仕事をしながらの一人時間で、コンクールの長丁場への気合を蓄えます。 ラテと甘いカボチャのクロワッサンで元気を付けた後、2時から9時までコンクールの審査!皆頑張った!私もみんなに読んでもらうコメントを書くのに手が痛くなったけど頑張って書き続けました!月曜日の音楽とイタリア料理の会も和気あいあい。 その後二日は出発ぎりぎりまで色々なお友達や同僚、先輩やお世話になっている方々とのミーティングを詰め込んで、そして飛行場に直行! 飛行場でこうしてブログを書きながら、一週間の想いが洪水になって襲ってきます。 世界のどこに居ても、お友達はお友達。心の中ではいつも一緒です。    

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皆さまの心に寄り添った音楽活動とは?

US-ジャパンリーダーシッププログラムのご縁でお会いすることの出来た退蔵院副住職でいらっしゃる松山大耕さんの記事です。音楽家として、皆さまの心により寄り添った活動をするにはどうすれば良いのか試行錯誤をしている自分にはとても考えさせられる記事でした。 17年間、皆さまのご支援の基、毎年定期的に日本で演奏活動を行い色々な出会いに恵まれて来ました。癌闘病を続けながら毎年「来年もマキチャンの演奏会を聴きに来れるように頑張ります」とおっしゃってくださって遂に亡くなった方もいらっしゃいます。家族の闘病を支えながら毎年演奏会に来てくださる事を家族の恒例行事にしてくださっていたご家族が、お亡くなりにご主人や奥様と「今日はデートです」と言ってお子様と一緒にいらしてくださったケースもいくつかありました。また私が帰国の度に練習をさせていただきに伺っていたお宅のご近所で介護で苦しんでいらっしゃる方が「マキチャンの練習が始まると(良く聞こえる)お庭に出て草むしりをしながら泣いた」と教えてくださった事もありました。ただ、この方々は、私が勝手にやっていた音楽活動にありがたくも癒しや家族の絆の象徴性の様なものを見つけてくださったのであって、もっと積極的に私から癒しを提供できる活動をするためにはどうすれば良いのか。それともそんな事を考えるのはおこがましくて、私は私の芸に徹すれば良いのか? 人生半ばに差し掛かり、博士課程取得など色々な節目を迎え、これから社会度の様に社会貢献をさせて頂こうか、色々考えています。カンボジアやアフリカに音楽教育に行くなどと言うお話しも在ります。それは私の見聞を広める事には違いない。そして貢献も少しは出来るでしょう。しかし本当に遠征しなければ私の音楽や音楽観・人生観は社会貢献出来ないのか?ニーズはもっと身近なところにも沢山あるような気がします。皆さまにお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

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