US-ジャパンリーダーシッププログラムのご縁でお会いすることの出来た退蔵院副住職でいらっしゃる松山大耕さんの記事です。音楽家として、皆さまの心により寄り添った活動をするにはどうすれば良いのか試行錯誤をしている自分にはとても考えさせられる記事でした。
17年間、皆さまのご支援の基、毎年定期的に日本で演奏活動を行い色々な出会いに恵まれて来ました。癌闘病を続けながら毎年「来年もマキチャンの演奏会を聴きに来れるように頑張ります」とおっしゃってくださって遂に亡くなった方もいらっしゃいます。家族の闘病を支えながら毎年演奏会に来てくださる事を家族の恒例行事にしてくださっていたご家族が、お亡くなりにご主人や奥様と「今日はデートです」と言ってお子様と一緒にいらしてくださったケースもいくつかありました。また私が帰国の度に練習をさせていただきに伺っていたお宅のご近所で介護で苦しんでいらっしゃる方が「マキチャンの練習が始まると(良く聞こえる)お庭に出て草むしりをしながら泣いた」と教えてくださった事もありました。ただ、この方々は、私が勝手にやっていた音楽活動にありがたくも癒しや家族の絆の象徴性の様なものを見つけてくださったのであって、もっと積極的に私から癒しを提供できる活動をするためにはどうすれば良いのか。それともそんな事を考えるのはおこがましくて、私は私の芸に徹すれば良いのか?
人生半ばに差し掛かり、博士課程取得など色々な節目を迎え、これから社会度の様に社会貢献をさせて頂こうか、色々考えています。カンボジアやアフリカに音楽教育に行くなどと言うお話しも在ります。それは私の見聞を広める事には違いない。そして貢献も少しは出来るでしょう。しかし本当に遠征しなければ私の音楽や音楽観・人生観は社会貢献出来ないのか?ニーズはもっと身近なところにも沢山あるような気がします。皆さまにお考えをお聞かせ願えれば幸いです。