Tag: 音楽家


  • 洒脱日記147:フェローシップに応募。

    フェローシップの審査を通れば、コーチやPRやネットワークやオンラインマーケティングのスタッフ...そういうものが全てパッケージになって手に入る。問題はこういうフェローシップの多くが何千人と言う応募者の中から20人とか、そういう非情な倍率な事。

  • 洒脱日記141:歴史と文化ー広島原爆記念日にちなんで。

    体制の検閲が入ろうが入るまいが、私たちの脳は世界をできるだけ簡略化する事で理解したつもりになって安心しようとする傾向があります。でもその時に、私たちの感情の揺れ動きや現実の複雑さやニュアンスを感覚的に捉えるのが、美術や文化なのではないでしょうか?私は音楽は人間性の底力だ、と信じています。

  • 洒脱日記135:準備中プロジェクトの数々。

    本番に向けての練習は張り切り、入り込みます。練習が乗っている時は(これぞ私の本領発揮!)という気がします。ただ、コロナ初期に本番が無く、自分の持つ経験・技術・専門的観点の価値の応用を模索して色々思案していた時の自由な思索も、これを機会に柔軟に続けていきたいと思っています。

  • コロナ日記76:よし、ヨーロッパに行くか…!?

    人生も音楽も暗中模索だったあの頃...でも、表現したい、上達したい、もがいている状態を打破して前進したい...そういう我武者羅な熱情だけは有り余っていました。動きに無駄が多い。わざわざ不必要に難しく弾いている。でもそれでも何とかしてしまうエネルギーが若さだったのでしょうか。

  • 「ピアノを弾く」vs.「音楽を奏でる」

    アメリカ西海岸で1984年から読まれている日本語新聞『日刊サン』に今年から掲載中のコラム「ピアノの道」。毎月第一・第三木曜日に発表されています。 5月14日(木)に発行された記事は「『ピアノを弾く』vs.『音楽を奏でる』」と題しました。今回は個人的な視点から書いた記事となっています。 “Social Sculpture(社会彫刻)“って、ご存知ですか?社会は一つの大きな芸術作品、その将来は世界の市民全員参加の共同制作、と考えるのです。我々の日常の営みや人生の選択は全てこの芸術作品を形作る表現です。ドイツ人芸術家、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)の概念です。 私がピアノを弾き始めたのは2歳半でした。でも音楽を奏で始めたのは実に最近の様な気もします。ボイスの概念を持って違いを説明すると、「ピアノを弾く」のは自分のためで、「音楽を奏でる」のは共鳴で世界を美化する理想を求めて、と言うことになるのかも知れません。 残りの記事はこちらから、そしてこの記事の英訳はこちらからお読みください。 残りの記事はこちらからお読みください。