練習=犬の訓練

最近、生徒に良く言っていることある。 「練習と言うのは、犬を訓練するように自分の体を訓練する、と言うような側面がある。自分(頭)では『こうあるべきだ』と分かっているんだけれど、自分の犬(体)がそれを毎回完璧にこなせるようになるためには、ご褒美や、褒め言葉や、色々な工夫、そして何回も繰り返しをすることが必要。」 こんな事も言っている。 「スポーツのためにはみんな、筋トレとか、ジョギングとか、それ自体は単純でつまらない事を黙々と甘受してやるのに、ピアノになると、まるで天からのインスピレーションで急に弾けるようになると思っているみたいに全然練習しないで、でも上達をしないことに文句を言う。おかしい。ピアノだって芸術面だけでなく、技術面もあって、それは肉体的と言う意味ではスポーツと何ら変わらないのに。」 その代り「啓蒙」とか、インスピレーションとか、そんな高尚じゃない所にも、ピアノの面白さと言うのはある。複雑なパッセージの正しい音がやっと取得出来た時の嬉しさ。難所がいつの間にか難しく感じなくなっている時の嬉しさ。自分の肉体を完璧にコントロールできる、と言う嬉しさ。成果が明らかな努力と言うのは、していて楽しい。 生徒を教える自分の言葉に諭される気持ちで、最近、真面目に練習している。楽しい。 上のヴィデオは2年前にプロコフィエフの協奏曲3番をNYで演奏した時、オケのプロモーション用にYouTubeに挙がったものです。最後に私がにかっと笑っているところが気に入っています。    

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演奏と録音の決定的な違い

3月末から私の7枚目となるアルバム「100年:ベートーヴェン初期作品2-1(1795)とブラームス晩年作品120(1894)」を私の心の友であり良きデュオ・パートナーのクラリネット奏者佐々木麻衣子さんと収録している。ベートーヴェンのピアノソナタ一番と、ブラームスのピアノとクラリネットのためのソナタ1番と2番。 自分のこれまでの6枚を含め、録音はもう二十年近くにわたり色々手がけて来たが、録音と言うのは本当に厳しい。素晴らしい試練と言えばポジティブだが、自己批判をしながら弾くと言うのは苦しい物である。 演奏中、3人の自分が居なければいけない、と言う事はピアノのレッスンなどで良く言われる。そこまでの自分の演奏を良く聴いて評価する自分、演奏に集中する自分、そして現時点以降の曲の展開を考える自分、である。録音の時にはこの最初の自分がとても大事になる。できるだけ効率よく、完璧に近い演奏を収録するためには、今進行中のテイクを続けるべきか、ここで中断して違うテイクを弾き直すべきか、常に判断しながら弾き進んでいる。 生演奏の場合、過去のミスは忘れるしかない。ミスをしたら大事なのはいかにそのミスの影響を最小限に食い止めるか、だけ。その為には演奏する自分と、現時点以降の音楽に集中する自分の方がよほど大事になる。音楽と言うのはコミュニケーションだ、と私は思っている。自分の気持ち、自分が美しいと思う物、そう言う物をシェアしたくて自然発祥すると言うのが音楽の理想的な在り方だと思う。だから生演奏では、お客さんのエネルギーと言うのが私の演奏を大きく左右する。お客さんがいっしょに乗ってくれるとワクワクする。ピーンと空気が緊張して無音の状態よりもさらなる静寂と言うのをお客さんと分かち合う、と言うのも物凄い一体感だ。この前(3月23日)にアジア・ソサイエティーで演奏した時は、リストのハンガリー狂詩曲で聴衆に参加を呼びかけたら、みんなノリノリになってくれた。   しかし録音の場合、このシェアする対象がとても抽象的なのだ。しかも色々な機械を通して変わった音を、全く違った環境で、今の私の演奏を聞く様々な人達、と言うのは想像し難い。 じゃあ、なぜ私は録音をするのか。私は2001年のラヴェル初期作品を皮切りに大体2年に一枚のペースでアルバム収録をして来た。これは自分に課した修行だ、と思っている。私の音楽人生を支援し、可能にしてくださっている沢山の方々や団体に感謝の表明と成長の報告、と言う意味もある。自分の成長の記録と言う意味もある。しかし、収録の作業と言うのは自己反省の、物凄い勉強なのである。練習中でも中々到達できない自己批判のレヴェルが、セッション中ずっと続くのである。これは非常に疲れるが、同時に自分が上達している実感も伴う。 そんな収録が続く中、明日は何度もすでにお世話になっているCrain Garden 演奏シリーズで正午にベートーヴェンのソナタとショパンの英雄ポロネーズ、リストのメフィストワルツを演奏させていただく。ご褒美みたい。とっても楽しみである。

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「気合を入れる」は「力む」とは違う。

今年の日本の演目テーマ『天上の音楽vs。地上の英雄』の後半で弾く曲はベートーヴェンのソナタ一番、ショパンの英雄ポロネーズ、リストのメフィスト・ワルツ一番など。この『地上の英雄』の初公開が13日(木)に迫っています。  『天上の音楽 v.s. 地上の英雄』PDF ダウンロード  Crain Garden Performance Seriesと言うお昼時一時間の演奏シリーズで『地上の英雄』デビュー! 同時進行で最新アルバム収録も着々と進んでいます。 これで7枚目となる私のアルバム。今回はわが心の友にして素晴らしいクラリネット奏者である佐々木麻衣子さんと組んで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ一番(1795)とブラームス晩年のクラリネットソナタ作品120(1894)を「100年:ベートーヴェンの初期とブラームスの晩年」と言うテーマで収録中です。 それなのに...左手首と腕に違和感を覚え始めたのが一か月くらい前。3月11日と23日の演奏会でリストのハンガリー狂詩曲を弾いた時も、弾ききれるか心配でした。幸いお客様にはお楽しみいただけたようですが、その後も原因不明の腕の重さ、体のだるさ…(心理的なもの?)(姿勢?)(練習法?)と色々考えてみましたが、でもまあ英雄ポロネーズもリストも左手のオクターブ連打が大音量で延々と続いたりしますから、しょうがないと言えばしょうがないのかも知れません。どうやったら脱力できるだろう、どのようにペース配分しよう、どこで体力温存しようと、練習中にも演奏中にも日常生活中にも、自分の体に気を使っていました。 が、今日打開!発見!解明! 難所のパッセージに来ると「頑張らなきゃ」と思います。「集中しなきゃ」「上手く弾かなきゃ」…そしてその時に力んでいるのです。気合を入れると言う事は神経を研ぎ澄ますと言う事で、筋肉をこわばらせることでは無い。実際にはかなり冷めた状態で、冷静に達観してこなした方がうまく行く。 この発見のお陰で今日の練習は短時間ですごく効率よく、チャレンジの打開法が次々と発見できました。これは、人生にも当てはまることだな~と思って忘れないようにブログに書き留めておきました。

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博士論文審査、通りました!

  論文審査の討議と言う物が一般公開されている、と言う事は私は論文執筆の最初から知っていました。「あなたの論文は面白い!私が指導します。そして審査の討議には出席します。」と始めに図書館の論文指導統括を担当するエリザベスが言ってくれたのは、2014年の秋だった。そして2年半前の約束通り、竜巻警報も出る大雨の中、長靴を履いて、素敵な手書きのカードとお守りの首飾りを持って来てくれました。     論文を審査会の教授群に提出する際「論文審査発表」と言う物を学校に提出します。これを受けてライス大学は大学中とインターネットを通じて「何科の誰それの論文「(題名)」の審査がいつ、どこで公開で行われます。」と発表されます。 ところが…!今までライス大学の音楽科の論文審査は全てオフィスの会議室で行われていたようなのです。それだけでもう一般の人は来にくい。さらに私が「友人が数人来たいと言ってくれていますし、論文に関係あるピアノでのデモンストレーションで行いたいので、教室で審査をさせて頂く事は可能でしょうか?」と言ったところ、驚くべき抵抗に会ったのです。「不可能です。諦めてください。」「前例がありません。ピアノのデモンストレーションは自分の演奏をヴィデオをで撮ってプロジェクターで映写してください。」など。反論を許さない、威圧的な返答でした。ところがここで、私の論文指導教授が奮闘してくれました。「私の専門は中世ですが、大学と言うシステムがそもそも最初に設立されたころ、こういう論文審査は執筆者の発表の場でもあり、大学関係者全員が執筆者に質問をし、活発な議論の場となったようです。本来、論文審査と言うのはこういう場であるべきではないでしょうか?私が責任を持ちます。教室でやらせてあげて下さい。」ここからまた色々な論争があり、やっと妥協されたのが、教室の中に机を並べ、審査委員会と私が真ん中に座り、聴講者は教室の端っこでおとなしく目立たないように座る、と言う事でした。 当日は、最初に書いた様に竜巻警報も出る大雨で、「絶対に行く!」と言った人の多くが足止めを食らってしまったのですが、それでも野の君や私のデュオパートナーで心の友の佐々木麻衣子さん、エリザベスと引用のチェックを細かくしてくれた音楽図書館委員のメアリーなどが出席してくれました。 審査は私のプレゼンテーションから始まります。153頁でも簡略し過ぎたと思えるような複雑な内容なのし、それを15分のプレゼンにまとめるのはもうジョークと言うか、罪悪感と言うか。割愛に次ぐ割愛。でも「審査委員会は全員、きちんと読んできたばかりだから」と言う指導教授の激励を受けて、何とか12枚のスライドにまとめました。 プレゼンの後に審査会からの質問やコメントがあります。皆まず、褒め言葉から始めてくれました。「前例がない研究なのに、良くここまで色々情報を集め、まとめました。素晴らしい。」とか「Beautifulな仕事」とか色々言ってくれて嬉しかったです。 次に質問です。 「この内容を踏まえた今、あなたのこれからの演奏様式はどのように変わるのですか?」「クラシック音楽の教育はどのように成長するべきだと思いますか?」「記譜法と言うのは演奏にある限界を設定したと思いますか?」「録音産業と言うのが演奏様式にもたらした影響と言うのは暗譜と同じくらい多大ではありませんか?」 しかし私はプレゼンで全ての脳パワーを使い切ってしまった様にぼーっとしてしまい、さらに教授たちは質問の理由や背景など長々と説明するので(今の2分ほどのスピーチのどこが、どういう内容の質問なんだ。。。?)と私の頭ははてなマークでいっぱいで、なんとなくそれに関係のあるような論文の内容をお話ししたりして、(これでよいのかな?)という感じでした。それなのに質問が止むこと無くどんどん次から次へと発せられ、さらに聴講の人にも質問が振られ、聴講の人も一杯質問してくれて、私は脳みそがぐるぐるしてしまいました。 その後に、今度は最終論文出版前の最後の校正についてのコメントを頂きます。 「イラストに付けてある説明書きをもう少し丁寧にしないと良く分かりません。」「付録としてあなたが言及する出来事の年表があると、読者として大変助かります。」「目を閉じると聴覚が増す、と言うのは間違えではありませんが、あなたの引用している研究発表のデータとは必ずしも一致するとは言えない。この引用は適当では無いでしょう。」「ここはコピペの失敗だと思いますが、句読点が正しくありません。」 そして最後に「それでは合格の是非を審査委員で協議しますので、一度退室をお願いします。」と言われ、ぞろぞろと聴講の人達と一緒に部屋を出ます。「論文審査」と言うのははっきり言って大抵の場合合格する、どちらかと言うと通過儀礼と言う常識があるので、気楽な物で、聴講に来てくれた人は皆「おめでとう」と言って記念写真を撮ったりして、楽しく嬉しく別れます。が、何分も待たされている内に「何をそんなに協議することがあるんだろう…」と不安にもなってきます。 でも、ドアが開いて「おめでとう!」と握手を求められて、とっても嬉しい気分になります。 そして論文審査委員の教授たちと記念写真を撮って終わり!皆喜んでくれていますが、私の顔が嬉しくてくしゃくしゃなので、私はこの写真が好きです。野の君が撮ってくれました。 夜は美味しい赤ワインと洋ナシの甘酢煮添えフォアグラと自家製パスタにロブスターがゴロゴロ乗っている奴、とフィレミニョン(超レア)を食べました!  

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博士論文提出、完了!

脱力… 寝不足のせい? 昨日の夜11時半、締め切りの30分前に論文審査員の教授たちに私の博士論文「To See Music in Your Mind’s Eye: The Genesis of Memorization as a Piano Performance Practice」を提出しました。そんなにぎりぎりになったのは、コンピューターでのフォーマットが思ったよりもずっと大変だったからですが、結構必死で時計を横目で見ながらの戦い…そして間に合った~。 脱力のもう一つの原因は病み上がりです。 チャリティー演奏会にご来場くださった方は絶対信じてはくださらないと思いますが、実は私は熱を押して演奏していたのです。演奏会では、みんなにハンガリー狂詩曲で掛け声を要請し、掛け声のお手本を弾き始める前に示してみんなの「掛け声の練習」の音頭を取ったり、弾きながら自分で自分に掛け声をかけて笑いを取ったり、大はしゃぎをしましたが、実は先週の大半を寝て過ごしていたのです。私は元々熱に強いと言うか、鈍感と言うか、それに何をしても元気に見えるらしいのです。10歳の時一か月ほど入院していたのですが、トイレに行くのに病院の廊下をスキップして行って看護婦さんに「あなたはきっと誤診ね。。。」と苦笑された位なのです。そして病気で居るのが嫌いでもない。熱があって夢見心地な状態なのは、結構好きです。でもエネルギーはすぐ切れてしまっていた。それはちょっともどかしかった。そして今はだいぶん良くなったけれど、まだ回復中で、やっぱり腕が重い… しかし多分、脱力の一番の原因は感情的なモノです。 論文が終わった。「終わった~」と言うホッとした気持ちと「終わってしまった…」と言う名残惜しい気持ちが入り混じって実に複雑。論文は本当に大変だった。特にリサーチの最初にはどんなに探しても暗譜に関する言及が見つからず、本当に暗中模索状態で、終わるかどうか自信が持てない状態がずっと続きました。でも色々な文献を漁ると言う作業は刺激的でいつも楽しかったし、やっと自分の論点の方向性が定まってからは本当に夢の様に楽しかった。チョコをぼりぼり食べながら、没頭しました。 そして論文を提出した今、論文執筆中の2年半の間に起こった色々な事が本当に走馬燈の様に思い出されます。実に色々あった。自分が人生でこんな経験をすることになるなんて予想もしていなかった色々な事を沢山、沢山経験しました。物凄く良い事も、物凄く悪い事も両極端にあった。そして何より盛りだくさんだった。私の人生でとても大事だった人達が相次いで亡くなったりしました。でもその人達との思い出にとても感謝できる。そして色々辛い時に本当に親身にサポートしてくれる友人やコミュニティーのありがたみを、辛い時間が思い知らせてくれました。今私は「物凄く悪い事があったから、物凄く良い所にたどり着けた」と思えることを本当にラッキーに幸せに感じ、感謝しています。 少しの時間、脱力状態で居る事を、自分に許そうと思って居ます。 ミント・ティーにはちみつとミルクを一杯入れて、ゆっくり飲みながら書きました。

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