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戦争は反対だけれでも、でも戦友の絆の強さに憧れを抱く、と言う人は多いのでは? 音楽人生は挑戦が多い。だから、音楽仲間は一種の戦友である。 そして、外国生活もやはり同じく。 だから在外の日本人コミュニティーと言うのは素晴らしい結束だったりする。 両親が「ショートヒルズ会」なるものに週末参加したようである。 私たちがマンハッタン郊外はニュージャージー州のショートヒルズに住んだのは 90年代の話市である。 しかもショートヒルズは特に日本人がものすごく多いコミュニティーでは無かった。 一番多かった駐在組のほかにも、永住組も、国際結婚組もいたし。 でも、数が少なかったから余計、だったのかも。 週末にお互いの家に行き来してバーベキューなどのパーティーをしたり、 一緒に家族旅行に行ったりもした。 そして、帰国した元・ショートヒルズ在住の日本人たちは会を作って ゴルフやったり、お食事会やったり、楽しんでいるのである。 私も、NJ,NY,LA,そして今ヒューストンと色々と移り住んで、 それぞれの日本人会に色々関わらせていただいた。 しかし、ヒューストンの日本人会が特に素晴らしく、ありがたく思われるのは、 2010年に越してきてすぐの東日本大地震があったからかも。 ヒューストン日本人は本当に寄付金を集めるべく、頑張ったのである。 それが、私にとってはヒューストン日本人コミュニティーと協力・結託したきっかけだった。 ヒューストンの日本人コミュニティーは特に、 私たちのような芸術や、学問など、 一般的に資材に苦しむ分野の人々を特に積極的に応援してくれる。 良い仲間に巡り合えて、困難な時はサポートしあえて、 人生の節目は一緒に祝えて、 人生の苦しみも喜びも分かち合える。 家族が遠く海を隔てた人間にとっては、もう家族のようなものです。 引っ越しの時も手伝っていただきました。 ストーカー対処には、本当に勇気百倍の応援をいただきました。 眠れない夜の翌朝、電話で愚痴をこぼせして、心配していただいています。。 寂しいときは、一緒にご飯を食べていただいています。 そしてパーティーでは、大笑いしながらラインダンスしたり、 お酒を飲んでカラオケをして、お互いの熱唱をからかいあったり、上手くてびっくりしたり。 来週末は、美しいカントリークラブで 『ブランチ・ビュッフェとクラシックを楽しもう会』を開催していただきます。 詳しくはこちらで。 http://jagh.org/category/events/ 仲間がいるから、何があっても元気です。
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何をしてよいかわからない空白の時間に慣れからついしてしまう行動。 英語ではDefaultと言うのだが、日本語訳を今グーグルしても分からなかった。 この一時間(午前中、一日)が空いている。 何しよう―じゃ、練習しよう、とこうなるのである。 今まではこれで問題なかったのだが、 そろそろ論文に本腰を入れないと、と言うプレッシャーを感じながら、 これはもう脱出しないと、と思い始めている。 練習もしなきゃいけないのだ。 11月7日に始まるテキサス州の作曲家5人の曲を取り上げる独奏会の譜読みが まだまだ気を抜ける段階ではない。 と、言うかかなり拍車をかけないと。 でも、論文も、私の車が破損され、ストーカーが刑事問題にまで発展した 6月12日の夜から、ほとんど何も書いていない。 勿論、演奏旅行で2か月、 NY-スペイン―イタリアー日本ーハワイとずっと動き回っていたほか、 ストーカー対処で警察や検事や社会福祉の人々とのミーティングに1日取られたり、 ヒューストンに帰ってきてからすでに4回、 イベントに音楽を添えさせていただいたり、オケの鍵盤パートを担当したり、 その打ち合わせやリハーサルがあったり、 またストーカー関連の被害損失額を埋めるために教える時間を増やしたり、 言い訳はいくらでもできるのだけれど、 でも、最終的には書いたか、書かなかったの問題。 文化革命の際にも、紙に書いた鍵盤で練習を続けたピアニストもいる。 紙も与えられない牢屋でトイレットペーパーに物書く人もいる。 要するにするか、しないかの問題だ。 と、言うことで宣言。 これからは練習にも、論文にも、タイマーとストップウォッチを導入。 1日3時間ずつを目標に、でも頭がお留守になり始めたらその時間は数えないで、 自分に厳しく、見張りを入れるためのタイマーとストップウォッチ。 両方とも、だらだら捗らない時間を削るための工夫です。 今日から開始。 確かにストップウォッチを付けるといつもより集中して、気合が入る。
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教えるのは、楽しみだ。 子供ってリアクションが本当に面白い。 4歳の時から教えているF君は、先週風邪でレッスンをお休みした。 治って出てきたと思ったら、今日はお兄ちゃんのA君が風邪でレッスンをお休みとか。 元気にレッスンを始めたのだけれど、途中からふにゃふにゃ泣き始めた。 もう6歳になったF君だけど、泣くのを見たのは初めてである。 「どうしたのかな~」 できるだけ、ゆったりと聞いてみた。 すると 「お家に帰りたい」 と言って泣いているのである。 良く聞いてみると、5日間学校をお休みして、今日初めて登校して、 風邪でお休みのお兄ちゃんが心配だし、なにしろママが恋しいのだそうだ。 しゃくりあげて泣いている。 う~ん、面白い。 いつも嘘をつく子がいる。 練習できなかった理由のウソ。 楽譜を忘れた理由のウソ。 まだ8歳だから、ちょっと尋問すれば嘘か本当かすぐわかる。 この子は実に楽譜を持ってくるのはレッスン4回に一回くらいの確率。 まあ、親にも問題があると思うけれど。 ところが、全く練習しないと思われるこの子が、 教えたことはすべて見事に覚えているのだ。 夏休み2か月を挟んでもなんのその。 リズムの数え方、音符の読み方、拍子のとり方。 するすると理解も記憶もずば抜けている。 どう言うことなんだ。 物凄い美人もいる。 まだ9歳だけれど、信じられない目の大きさ、まつげの長さ。 髪のカールも完璧。 何だかいつもぶかぶかの服をだらしなく着ているのだけれど、 それまで意図的にファッションとしてしているように見えてくる。 この子、自分がどれだけの美人か全く気が付いていない。 そして、ピアノの飲み込みを見ていると、かなり頭が良いのである。 内気で、社交的とはお世辞にも言えない。 いつも夢見がちで、自分の想像の世界で楽しんでいる感じ。 その容貌が、彼女の夢と野望の妨げにならないことをただ、ただ祈るのみである。 そうやって、木曜日は朝の8時から夜の6時までほぼぶっ続けで教える。 楽しいから、気にならない。 お家に帰っても元気いっぱいで(さあ、今から論文のリサーチでも)と思う勢い。 でも、一旦夕飯を準備して、パジャマに着替えて、コンピューターを開くともうだめ。 どっと出てきたリラックス感と言うか達成感と言うか、要するに疲労で、 もう放心状態である。 でも、「じゃあブログは書けるけれど、論文は書けないのですか」と言われると、 ちょっと言葉に詰まるのだけれど。。。 そう言えば、アマチュアピアニストコンクールの優勝者にはお医者さんとかがいるとか。 一日働いて、帰ってきて子供と夕食をとり、 子供が就寝した後3時間毎晩練習するのだそうだ。 おおおお。私も頑張らねば。
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私はTexas New Music Ensemble(テキサス現代曲アンサンブル)と言う 去年創立されたNPOの創始メンバーのピアノ担当である。 テキサス州に関係のある存命の作曲家の曲だけを取り上げるアンサンブル。 来る11月、このグループ主催のピアノ独奏会を演奏する。 ライス大学を始め、テキサスにある主要大学音楽部の教授の曲が多い。 テキサスと言うのは政治的に、一般的には右寄りで保守的とされる州である。 キリスト教信者の数が物凄く多いし、キリスト教ベースの保守的な考え方 (例えば女性問題、アボーションの問題、同性愛者結婚問題などに関して)を 強く主張したりもする。 そのせいだろうか。 現代曲も、一番実験的、アヴァンガードなものよりはずっと 調性がなんとなくあり、ジャズっぽかったり、テーマがはっきりしていたり、 聴きやすいものが多い。 (今日のブログのテーマからはちょっと離れるので蛇足かもしれないが、 そういう風に見るとアメリカ東海岸はヨーロッパより、西海岸は東洋よりで 美的感覚で現代曲が随分違う。) しかし、それでも現代音楽。 新しいこと、斬新なこと、新しい見解などを打ち出す野心をどこかに隠し持った曲が多い。 と、言うことは正規のクラシックのような 調性とか、メロディックなテーマとか、そう言うパターンが見つけにくい、のである。 こういう有名な実験がある。 チェスのチャンピオンたちにチェスボードを見せる。 駒がゲームの途中のように並べてある。 彼らはこれを一瞬見ただけで、記憶できる。 ところが、同じボードに駒を全くランドムに、ゲームではありえない配置をすると どんなチェスチャンピオンでも全く記憶できないのである。 意味あるものは理解ができるから、記憶できる、と言うことである。 現代曲の多くは、このランドムなチェスボードを記憶しようとするようなものだ。 非常に時間がかかる。 でも、段々、段々、自分なりの意味づけが出来てきました。 でたらめ言葉を台詞にもらっても、 大役者なら何等かの効果を上げるだろう。 私だってプロのピアニスト。 音楽を創ってみせるぞ。 どんな材料でも。 そういう意気込みで読んでいくと、 段々作曲家の意図した音楽も見えてくる。 面白くなってきました。
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今日のブログはReinhard Kopiez氏による「Suffering for her Art: The Chronic Pain Syndrom of Pianist Clara Wieck-Schumann」(2010)を参考に書いています。 クララ・シューマン(1819-1896)は3時間以上練習をしなかったらしい。 同世代の同じような超絶技巧の神童たち、例えばクレメンティやチェルニーは子供時代から8時間以上の練習が日課だったと言うのに、である。大人のカーくブレナーは12時間、ヘンゼルに至っては16時間の練習が日課だった言う記述もあるようだ。 しかし、クララは父親の指導のもと、練習時間と同じ時間が散歩やストレッチの運動に充てられ、 そしてオペラ鑑賞や観劇、演奏会鑑賞に積極的に連れていかれた。 (その代り学校は「時間の無駄」と言う理由で数年で辞めさせられている) それなのに1857年くらいから演奏が不可能になるくらいの苦痛に何度も見舞われ、 1873年の12月から1875年の3月までは演奏を全く休み治療に専念している。 なぜか。 色々考えられる。 1.使いすぎによるケガ、と言う説 夫ロバート・シューマンが自殺未遂の後精神病院に入れられた1854年からあと、 クララは7人の子供を養うために演奏活動を活発にした。 ブラームスの第一協奏曲など、クララにとっては全く新しい超絶技巧を沢山取り入れた曲を練習し始めた。 2.何等かの感染による炎症、と言う説。 3.精神的なもの 面白いのは、どんなに演奏会が増えても、クララは3時間以上は練習しなかったようだ。 教えや子供の世話、家計の管理など、できなかった、と言うのが現実かも知れない。 しかしそれでも物凄い数の、初演を含む演奏をこなし、 膨大なレパートリーを自分の物にしていた。 肉体的苦痛が演奏に伴うようになったあと彼女は 「練習はピアニッシモで」とか「今日はメゾフォルテで」と言った記述を沢山残している。 演奏時と同じように弾くことが『練習』ではない、と戒められる気持ちである。
