Category: 音楽人生


  • 2010年の9月から始まった博士課程一年目は、兎に角物凄く充実していた。 ロサンジェルスから、ヒューストンと言う新天地に移って、その土地や文化になじむ、と言うこと在ったし、 私にとっっては物凄く久しぶりの学位に向けてのカリキュラムに添った勉強・宿題・試験。 その間に、学校代表としてのワシントンD.C.の国会図書館でのリサーチと演奏のプロジェクトが在り、 それが終わったらすぐ東北の大震災があり、チャリティーコンサートの企画・演奏で忙しくなった。 そして学校が終わったら急ピッチで練習をして5月・6月の日本での演奏会。 このEast HamptonでのPianofestの参加を決めたのは、 決まったスケジュールの無い、あくまで本人本位の海岸近くの音楽祭と聞いて、 正直、有給休暇をするつもりだったからだ。 そしてここに来て、本当にちょうど良かった。 私にしては珍しく、正午近く寝坊してみたり、2時間もぐっすり午睡をしたり、 海岸で一時間海を横目に貝を拾いながら一人で散歩したり… でも、一人だったらそのうち寂しくなっていたと思うし、ピアノとの距離感もつかみにくかったと思うけど、 ここではいつでも、人と居たければ、喜んで一緒に遊んでくれるピアニストが12人も居るし、 音楽もピアノもいつでもそこにある。 Pianofestの始まる前、『ピアノはしばらく弾くまい』と決心していた私は真夜中に起きて驚愕した。 枕の上で狂おしく指を動かしている自分に、目が覚めたのである。 本当に「狂おしく」と言う感じだった。手が疼いて、いたたまれない気持ちだったのである。 一人と言うのは、特に私のような性格だと、極端に走りやすい。 その分、共同生活だと『今日は休む!』と頑なに決心していても 「ここの所、あなただったらどういう指使いで弾く?」 と声をかけられて、それがきっかけで気がつくと楽しく4手を弾いていたり、 夕食前の10分、なんとなくちょっとパッセージをさらったり… そして、昨日の夜の様にみんなで遊んで大声を立てて笑っている自分を発見したりする。 どんなに『休もう』と頑固に決心していても、一人だったらあんなに手放しに笑わないもんなあ。

  • ここでの生活はとても単純です。 要するに12人のピアニストの共同生活。 寝るのは近所の寝室に一部屋二人ずつ割り当てられてそれぞれそこで寝ますが それぞれ徒歩だと30分くらいかかるため中々「ちょっとお家に帰って…」という訳には行かないし、 練習も食事もインターネットも社交も全てメイン・ビルティングで行われるため、 起きて洗面とシャワーを済ませてからは眠るまで ずっとこの12人と一緒にメイン・ビルティングに居ることになります。 朝は8時半ごろ集合、適当にキッチンにあるもので各自自由に朝食を自分用に用意し、 食べ終わった順に練習室へと消えていきます。 「メイン・ビルディング」と言っても、これはかなり大きめではありますが、普通の住宅です。 その居間、キッチン、寝室、ありとあらゆる部屋に色々な大きさのピアノが全部で8台置かれています。 ピアノにあぶれたら、他の人とおしゃべりしてピアノが開くのを待ったり、読書やインターネットです。 外の日光浴をしたり、お散歩をしたり、町も徒歩約8分のところにあるので、 そこでコーヒーを飲んだり、ウィンドウ・ショッピングも出来ます。 ただし、ここはお金持ち用の避暑地なので、なにもかも、かなり高めです。 5時ごろになると、夕飯の支度が始まります。 キッチンの掃除や、洗い物、食事の支度など分担が細かく表に示されていて、 それにしたがってみんなおしゃべりしながらでも結構効率よく分担をこなしていきます。 7時が夕食の定刻で、その後は思い思いに一緒にテレビを見たり、ビールを飲んだり、 練習したり、電話で恋人とおしゃべりしたり、などなど。 そして10時ごろ、みんなの練習が終わったら、パーティーです。 今日は、みんなで夜の海岸に行く予定です。 私はみんなの準備が終わるのを待っている間にこのブログを書いています。 そうそう、今日はここの経費の寄付者の一人であるスペインの「プリンセス」が夕食に来ました。 スペインに皇室があることさえ知らなかった私はずっと冗談だと思っていて、 彼女が帰ってから彼女が本当に「プリンセス」であったことをみんなに言われました。 え!?

  • 「わーーーーー!」と叫び続けている様な、 わくわくして楽しい活動を次から次へと飛び石しているような そういう時間の中で突然ポッと出来る、 待ち時間。 日本からNJの高校時代のホームステイ先、私のアメリカン・ファミリーのお家に帰ってきて 2日半、前後不覚に眠り続けたあと、NYで一泊二日した。 しばらくぶりの、懐かしい友達ばかり、立て続けに6人と、 公園をお散歩したり、芝生でごろごろしたり、お茶したり、食べ放題で無茶食いしたりしながら、 近況報告やこの頃の疑問や日本の現状や音楽やそれぞれの専門キャリアについて 思いっきりおしゃべりした。 その後NJに帰り、私のアメリカン・ファミリーとゆっくりお食事をした後は これから一ヶ月、今日から始まる音楽祭のための荷造り。 汗をかきながら一生懸命間に合わせた。 そしてNYにスーツケース2つとラップトップケースを担いで乗り込み、 音楽祭のあるイースト・ハンプトンにに向かう電車が出るまで突然2時間の空白。 お茶を買って、スタバでブログを書く。 ミント・ティーがおいしい。 これから行く音楽祭は「ピアノフェスト」と言ってNY州の半島、 ロング・アイランドのイースト・ハンプトンと言う町にある。 イースト・ハンプトンは海岸沿いのとても美しい別荘地で マンハッタンに住む上流階級の人たちが避暑地として使うことで有名。 この音楽祭は学費も滞在費も食費も全て出してくれ、その上に少しお小遣いをくれる。 クローデ・フランクやジェローム・ローエンソールなど、過去のゲスト教授のリストも貫禄あり。 公開レッスンや練習のほかに一ヶ月の間で6回ほどの演奏会に出演する。 私の友達で過去に参加した人たちは、何よりも一回12人と言う小規模な音楽祭での 友情の発展が楽しかった様で、 私は今年がんばった自分へのご褒美のつもりで海辺でゆったりしてこようと思っている。 音楽祭のリンクはこちら。 http://www.pianofest.com/Welcome.html

  • 6月4日夜遅く、千葉県稲毛市に在るJazz Spot 「Candy」での演奏と打ち上げが終了してから9日に成田を出発するまでは本当に目まぐるしい日々が続いた。6月7日に震災から3ヶ月経った仙台市、国際貿易港・仙台港から南に名取市、岩沼市、亘理町、山本町、県境を越えた福島県新地町の平野部などを訪れたのを始め、これからの日本での演奏活動のためのミーティングや視察、会合や、日本でしか会えない友達と会ったり、演奏会に行ったり。。。朝早く、夜遅く、そして不慣れな日本の電車を乗り継いで東京中を駆け巡った。 そのせいか。NYに9日の4時半についてから、後先なく眠り込んでいる。9日は8時半就寝、翌朝4時半まで眠りこけて3時間必要なメールなどをしていたが、早朝7時半から午後12時半までまた泥の様に眠り、昼食をはさんでまた3時から7時まで午睡、そして10時にはもうきちんと眠っているのである。10日もほぼ同じく。それでも、少しテレビを見たり新聞を読んだりする気になっただけ、回復して来ているのかも。 私は本当はとても健康な睡眠者なのである。朝、外が明るくなると、元気はつらつパッと目が覚めてしまう。何時に就寝しても同じなのだ。さすがに夜がすごく遅かった次の日は午睡をするが、それも20分程度でパッと目が覚め、その後は元気いっぱいですっきりしている。時々寝坊できる友達がうらやましくなるほど、健康優良なのである。 だから、今回はこういうのを楽しんでみよう。眠れるだけ眠ってやろう、とベッドで多くの時間を過ごしている。そして今、朝の8時ちょうど。さて、もう一度ベッドに戻ろうか…?

  • 昨日は日帰りで東北の被災地の一部を見て回りました。 現地で「がんばろう、岩沼!」と言う民間ボランティア・センターで積極的に活動をしていらっしゃる、大友健さんに車で案内をして頂きました。何キロにもわたってなぎ倒されている海辺の松林、ぐにゃりとねじ折れている電柱柱、ぐしゃぐしゃになった車、塩水に浸されてもうダメになってしまった農地、津波に半分持っていかれたお家の残りの半分はかつての平和な家族の生活を思わせる座布団や人形、炊飯器などをそこらじゅうに撒き散らして、静にたたずんでいます。かつてはお家が密集していた、と大友さんが説明してくださるのですが、それが想像できないほど、その半分のお家は、「点在」と言う感じで、似た様な数少ない残ったお家と、平地の中にさびしく残っています。車の窓から見るそういう惨状も物凄いものでしたが、大友さんが少しずつお話くださる震災からこちらの話の数々も心に残りました。 明日アメリカに発ちます。ご報告が遅くなりますが、明日の飛行機内、そしてアメリカに帰ってからもう少しきちんと写真と一緒に記事を書きます。 大友さんが、昨日一日の訪問について、ブログを書いてくださいました。 http://blogs.yahoo.co.jp/kenootomoken/27932760.html