音楽人生

お城での一週間を終え、現実に戻る前の回想

私が一週間過ごしたお城の外装・内装、 そして40エーカー(東京ドーム3.5個分)の敷地内に点在する プール、劇場、野外劇場、4面テニスコート、バレースタジオ、アートスタジオ、など その豊かさが、下のリンクでご覧いただけます。 https://www.google.com/search?q=belvoir+terrace&biw=1280&bih=598&source=lnms&tbm=isch&sa=X&sqi=2&ved=0ahUKEwi8_t3Vyt_OAhUFOCYKHepEBDgQ_AUIBygC   夏の8週間、女の子用のキャンプとして開放されるこの豪邸は、 女の子のキャンプが終わってから一週間はアマチュア用の室内楽音楽祭に変身。 私はここで一週間、講師としてアンサンブルのコーチングや演奏などをしたのです。 http://www.artsahimsa.org/events/fest/index.htm   その別世界の様な環境よりさらに感銘を受けたことをいくつか、 今日は回想させてください。   まず、参加者全員の音楽を愛する気持ち。 全員楽器奏者で、レヴェルは全くまちまち。 中にはセミプロ級の人も居ます。 例えば鈴木メソードに感銘を受け、 研究歯科医として活躍していたキャリアを30台半ばで辞めて ヴィオラの教師として何十年も地域貢献をした女性も生徒として参加して7年目。 ピアノは幼少から弾いていたものの、40代半ばで室内楽の面白さに目覚め、 離婚の危機に瀕するまでにも寸暇を惜しんでのめり込んだと言う 初見ばりばりで音楽性も豊かなセミプロ級の腕を持つ女性も居ます。 その一方では数えることも音程を取ることにも一々苦労している、 でも目をキラキラさせて一生懸命頑張る人達も堂々と演奏を披露します。 最後の2日間は午後と夜に発表会があります。 参加演奏は義務では無いのですが、弾きたい人が多すぎて演奏会は3時間を超すことも。 よたよたと今にも止まってしまいそうな演奏には会場が一体となって (頑張れ!)(もう少しで終わりにたどり着く!)と手に汗を握ります。 何故か、全然飽きません。   なぜ飽きないのか。 なぜこれらの音楽会が私にこんなにも新鮮だったのか。   この音楽祭に着いた翌々日、 一晩抜け出して聞きに行ったタングルウッド音楽祭での演奏会が対照的に思い出されます。 世界終焉をテーマにしたメシアンの「時の終わりのための四重奏」を完璧に、 でも無表情に弾きこなしたボストン交響楽団の奏者たち。 燃え尽き症候群は、オーケストラ奏者の間で蔓延する問題の一つです。   もう一つ、このマラソンアマチュア演奏会で思った事。 18・19世紀のサロン演奏では、いわゆるアマチュアがプロに混ざって演奏や共演しました。 音楽を愛でると言う典雅な時間。 それは時空を超越するものなのだ、と実感しました。 多分意図的に、この豪邸では無線インターネットが使える場所が限られていた。 居間では使えるのですが、ここでメールチェックなどをしていると 色々な方との社交を無視して作業に集中することはほぼ不可能。 と、言う事でブログ更新もままならず、メール返信も遅れたのですが、 でもそのためにこの「音楽を愛でる」と言う典雅な姿勢が取り戻せた様な気持ちもします。   最後に。 この音楽祭に参加していたアマチュアの音楽愛好家たちは実に面白い方々が多かった。 特に私が触発されたのは、アカデミアで活躍する女性たち。 芸術に関する法律を専門に教えているヴァイオリン奏者。 貧困層に手軽に歯科衛生を保ってもらえるために活躍する歯科医。 […]

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お城に住んでます。三日目

タングルウッド音楽祭が開催されるBirkshireにあるお城、Belvoire Terrace. ここで開催されるArtsAhimsaに演奏と室内楽のコーチングをしに来ています。 着いた日には、口があんぐり…お城~なのです。 このホームページで写真が見れますが…来てみないと分からない。 http://www.belvoirterrace.com/history.php まずそのメイン・ビルディングがまさにお城。 女の子が良く「お城」の絵を描く時に必ずある屋根のギザギザがある! そして中はステイン・グラスや、壁のいたるところに木の掘り込みのデザインや、 パイプオルガンや、大理石の暖炉や、ティファニー?と思うようなランプシェードや… そして40エーカー(東京ドーム3.5個分)ある敷地内には アート用のアトリエ、ダンス・スタジオ、グリーンハウス、など計18の建物。 そのほぼ全ての部屋にピアノが居れてあります。 ここで行われているのはアマチュア音楽家のための音楽祭。 レヴェルはピンからキリ。 子供の頃は音楽家を目指して勉強したと言う、初見もばりばりのツワモノから 65歳になってずっとやりたかったチェロのレッスンを始めたと言う81歳の女性まで。 講師として来ている人は「生徒」として来ている人の数とほぼ同じですが、 そのレヴェルもピンキリ。 学部を終えたばかりと言う初々しいヴィオラ奏者も居れば、 かなり名前のある音楽学校の教授も、すでに引退しているオケ奏者も居ます。 ここで「プロとアマとの音楽共演」と言うのがこの音楽祭の謳い文句。 何故かアマチュアの人には医者、弁護士、大学教授と言ったいわゆるエリートが多く、 思いがけなく私の博士論文のトピックに興味を持ってもらって論議になったりもします。 音程がおぼつかないチェリストはでも、メンデルスゾーンの三重奏を感激しながら私と弾いて 「I feel like I died and went to heaven」と涙を浮かべながら言ってくれました。 日本では「天国に上った心地」と言いますが、 英語では「死んで天国に行った気持ち」となります。 これは81歳の方に美しい青い目でじっと見つめられて言われると、 何と返したら良いか分からなくなります。 音楽とは何か、富とは何か、考えさせられます。 お城を持っていても、夏の数か月しか使えない。 なぜなら、厳しい冬の光熱費が膨大な経費となるからです。 しかし、夏の数か月のために建物のメンテ、広大な庭の手入れ、 そして税金の支払い…光熱費が無くても膨大な経費になります。 これを効率よく使いこなすにはどうすれば良いのか? そう思って考えはじめると、使いこなされていない財産と言うのは世界にいくらでもある。 片方では家を追われ、難民やホームレスとしてコンクリで眠る家族がいるのに、 もう片方では一年に数か月しか使われない豪邸がある。 そしてこの近所はこういう別荘として使われている豪邸が非常に多く、 この様に音楽祭や何等かのコミュニティー開放をしているところは非常に少ない。 こういう何十エーカーの土地に家族だけ住む人々も居る。 その寂しさ、虚しさ。 私だったら、悲しくなってしまう。 今夜は演奏会があります。 私はガーシュウィンの前奏曲を弾きます。 他にはピアノトリオ、メンデルスゾーンの8重奏、モーツァルトのクラリネット五重奏など。

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至福のバランス

今週月曜日から三日間、缶詰で論文を書いていた。 朝、同居人と走る。 最近は暑すぎて汗がすごいので、 冷房の効いたジムでハムスターの様に機械の上を文献を読みながら歩く。 眠さが消えて、脳が活性化して来て、文献がぐんぐん頭の中に入ってくる。 (今日もやるぞ!)と思う。 その後は一日、論文に向かう。 ピアノも台所もある家で没頭できるのは最高。 読んだことを反芻しながら、鶏がらスープをコトコト煮だし、 おでん(スイカの皮入り!最高)とスイカの皮の漬物を作った。 論文を書き進めながら、煮詰まるとピアノに向かって譜読み。 今やっているのは、この曲、ベートーヴェンの「エロイカ変奏曲」。 グレン・グールド、天才! 今日の締め切りに合わせて3日頑張って、そろぞろ頭がぐるぐるして来た。 今日は2つレッスンを教えて、2つ論文のためのミーティングがあって、 その後夜は麻衣子さんとブラームスのクラリネットソナタを収録! 至福の毎日。 音楽人生万歳!

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休養中ですが、刺激が多く段々ムズムズ…

4月ごろから本当に毎週末本番がありました。 毎週末本番があると言う事は、 週日には個人練習とリハーサルがある、と言う事です。 その上に教え、論文のリサーチと執筆とミーティング。 さらに演奏に必要な旅行とその準備。 今年は日本の帰国前後も、すごく強行軍だった。 日本に行く二日前にルイジアナ州まで車で片道2時間半の遠征演奏に日帰りで行って 日本に着いた翌日から二晩続けて夜遅くまで飲み会に参加し、四晩目から演奏。 時差ぼけを感じている余裕も無い感じのぎっしりでした。 本当に楽しく、ありがたく、過ごしていたのですが、 日本からヒューストンに帰って来てバタンキュー状態。 普段は朝型の私が昨日はやっとベッドから這い出してきたのが11時。 11時半に約束していた昼食のために、あわてて身支度をしました。 昨日は本当に食っちゃ寝日だったな~。 でも、とても充実した食っちゃ寝日でした。 昼食は、カンボジアで地雷撤去の仕事に携わっていたと言う女性のお話しを聞きました。 彼女がかかわっていたNGOのサイトはこちら: http://cmc-net.jp/html/rinen.html カンボジアでは例えばかつて多くいた少年兵は野宿をする際、 自分の一夜の寝床の周りに地雷を埋めて自分の安全確保をしたそうです。 年若い少年兵が自分で地雷を設置し、朝目覚めと共に撤去できるほど 地雷と言うのは手ごろで撤去も比較的単純だそうですが、 でも取り残しも数多く、 今でもせっかくマイホームを買ったら裏庭に地雷が…などと言う 深刻な状況も多々あるそうです。 そして、地雷撤去その物は簡単でも地雷の種類が何十種類とあり、 それぞれが撤去方法が違う、なども問題の複雑化をしているようです。 私は今、自分のスキルセットを活かして国際親善の様な事に関われないかと思っているので、 実際にこういう仕事に携わっていた人のお話しを聞くのは非常に刺激的でした。 夕食は、ヒューストン総領事公邸で開かれた 歌のリサイタルとそのレセプションでした。 木下美穂子さんはヒューストン在住で、国際的に活躍されているソプラノ歌手です。 ピアノ伴奏を務められた戸田輝彦さんは、 ヒューストン・グランド・オペラを始め ヒューストン界隈で指揮や合唱指導、オペラ伴奏などでご活躍なさっている方です。 至近距離で聞くオペラと言うのは、音波が肌で感じられる迫力があります。 良く知っているアリアを沢山取り上げてくださったリサイタルで、 最後はノルマのアリアで総領事ご夫妻、日本人会会長を始め、 聴衆全員が笑顔で総立ちの、素晴らしい会となりました。 オペラと言うのは、音楽と言う媒体の中では器楽演奏とはかなり違う物です。 極端に言えば、クラシックピアノとクラシックバレー位違う芸術分野。 でも同じヒューストン在住の日本人と言うご縁で オペラの木下さんともヒューストンバレーでご活躍なさる皆さまとも 親しく交流ができる。 そして言葉を交わしながらその訓練の賜物に触れ、 そこで培った芸術観や人生観のアイディアを交わし合う機会がある。 そして同じ在外日本人のよしみで、 外交に関わる方々や各業界で重役を務める方々と親しく知り合う機会を得、 こういう方々のご支援を受けさせていただく。 特別に恵まれているな~、と思い、 それを活かせる活動をしたい!しよう!と思います。 しかし私は頑張るのが好きな頑張り屋さん。 火曜日の夜にヒューストンに帰って来てから今日で5日目ですが、 そろそろこういうのんびり生活も満喫しきって まっしぐらに頑張りたい意欲が、こうしてブログを書いていてもどんどん募ってきます。

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音楽の記憶

時々、他の方々の音楽とか、演奏とかを記憶する能力に驚愕することがあります。 今年日本で演奏したラフマニノフ2曲は 2007年にリリースした私の3枚目のアルバム『Etudes, Seriously』に収録されています。 収録の直後、2007年の日本でのリサイタルで私はこの2曲を演奏していました。 「その時と演奏と比べて今回は...」と言った人があったのです! 9年前の演奏を思い出して、今回聞いた演奏と比べることが出来る!すごい! ちなみにこの方曰く、 「今回の『悲愴』は今までのベートーヴェンの中で一番良かった、 一番良く分からなかったのは『告別』。」だったそうです。 私は言われるまで自分が日本で『告別』を弾いていたことすら忘れていたし、 今ここに書くために自分が何年前に「告別」を演奏していたのか、グーグルしました。 (2009年でした。) 音楽と言うのははかない、時と共に消えてしまう時間の芸術です。 それが、人の記憶の中にとどめられている、と言うのは畏れ多い。 私は自分に起こった出来事とか、映画や小説のあらすじなどは、 人が驚愕するほど覚えていることがありますが、 事実や数字や地理、固有名詞、そして音楽に対する記憶ははっきり言って悪いです。 だから10年前の演奏を記憶して、現在の演奏と比べると言う事がどう言う事なのか、 想像も出来ない。 しかし毎年恒例で16年間続けていると、 毎年私の演奏会にいらしてくださる事をある節目として ご自分の人生に照らし合わせて記憶したり、楽しみにしてくださっている方々も いらしてくださっているようです。 有難い事です。 癌闘病を何年もされていたNさんは、毎年演奏後に 「来年も聞きに来れるように、一年間頑張ります」と私にご挨拶して下さいました。 ある年、もう入院されていたNさんは私に 「一時退院を演奏会の日に合わせて、友達に付き添ってもらって行きます」 と、絵葉書を下さっていたのですが、病状が急転し、叶わなくなりました。 演奏会後、病院にお見舞いに訪ねた私は、 Nさんと初めてゆっくりと会話をする機会を持ち、驚愕しました。 Nさんは、それまで来てくださっていた私の10数年分の演奏演目とドレスを 全て記憶してくださっていたのです。 もう一人、癌闘病中に私の演奏会にご家族でいらしてくださった方もいらっしゃいました。 私の演奏会がAさんがこの世で聞かれた最後の演奏会になってしまわれたのですが、 Aさん亡き後、Aさんの奥様とお子様が毎年演奏会にいらしてくださいます。 こういう方々の記憶は、私のインスピレーションとなって 私の演奏に織り込まれています。 私の音楽は私一人の物では無い、と言うのはこういう意味もあります。

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