先週一週間で…空気がきれいになった。ホームレスにお家が与えられた。家賃停滞者の立ち退き強制が禁止になった。株の動きが社会の状態のバロメーターじゃないと皆が気付いた。(中略)皆がスピードを緩めて、自分の体調とお互いへの繋がりを大事にし始めた。母なる大地が私たちにメッセージを伝えている。
「こういう異変と言うのは色々見直すきっかけなんだよ。自分にとってかけがえのない物はなんなのか。こんな時金持ちはやっと気が付くんだ。お金なんて持っていてもいざって時には何の役にも立たないってね。」黒人のおじさんの体中から共鳴して私に届く、その朗らかな声を聞きながら、この人はどういう人生を送ってきて、どうして退役軍人の寄付金を募る役回りになって、そしてどうして今私にこういうメッセージを届ける巡り合わせになったんだろう…とぼんやりと考える。この人も戦争経験のある退役軍人さんなんだろうか?この人はどんな苦労をしたんだろう?でも今は、なんだか私にとっての天使みたい。
ここ数日、朝から晩まで練習に没頭している。 兎に角何をするにもどうしたら一番練習の効率が上がるか、と言うことを最優先に考えている。スケジュールも運動も食べ物も睡眠も「どうやって自分をベストコンディションにして練習に臨むか」と言うことを念頭に決める。全てが単純明快・一目瞭然になる。 昨日は精一杯運動したので、今日は朝のジョギングをウォーキングに変える。いつもと同じコースなのだけれど、ペースが変わっただけで世界が変わる。今まで鳥の鳴き声が聞こえていなかった。こんなに多様な鳥が色々な鳴き声を出している。柑橘類のおいしそうな果物がたわわになっている木を見逃していた。いつも、通りすがる人には必ず挨拶をしていたけれど、今日はその人の顔や表情が声の調子が見えている。「Good morning!」 練習をしながらも全く同じことを考えている。テンポが違うと曲が変わる。指示の半分のテンポで初めて聞こえてくる和声進行や内声が在る。逆に速く弾いてみて初めて分かる構築もある。(勿体ない)と思う。私の演奏でこの曲を一回、普通のテンポでしか聞かないお客さんは、勿体ない!いっそ、一曲だけの演奏会と言うのはどうだろう?同じ曲を違うテンポや違う解釈で、何回も聴いていただくのである。実際シェーンベルグら新ウィーン楽派の演奏会では(一回の演奏で理解していただくのは無理)と言う前提のもと、演目はいつも2度繰り返して演奏された。この場合は何も変えずに同じ曲を同じように2回演奏するのだけれど。 (でも...)と、いつものジョギングコースを今日はてくてく歩きながら、考え続ける。(そういう沢山の曲の層とか可能性を全て含んだ演奏をするのが、演奏と言う芸術なのでは?そういう演奏が「美しい」のでは?『美』と言うのは、私たちの感性や物語では2次元的になってしまう真実の全ての側面を反映しうるものなのでは?) そして、こういう私の朝の哲学も、演奏に込めて発信したい。シェアしたい。このブログを書きながら朝食を食べてて出会った驚愕的に美味しいアヴォガドの味も。粒がプチプチはじけるようなグレープフルーツの愛おしさも。ウォーキングしながら感嘆して見とれた雪化粧をした近所の山脈も。 人生は豊かだ。可能性に満ちている。音楽人生万歳!
目覚めてから起き上がる前にまず色々考える。今日練習する曲の事。今日楽しみな事。昨日あったこと・交わした会話・美味しかったもの・感謝すること。そしていつもいつも、執筆の事は考えている。 起き上がる前にベッドの中でストレッチをする。上体を右に捻り、右ひざを曲げた状態で上体の左側に持ってくる。反対もやる。それから膝を回したり、自分の膝を赤ちゃんの様に抱えておでこに近づけたり、くねくねくねくね、布団の中でストレッチする。最近気温が低いので、布団の中がぬくくて、気持ちよい。 ベッドを去ったら、まず歯を磨いて、それからレモン水を作る。一個のレモンで1リットルほど作ってごくごく飲む。家の庭にはレモンがたわわになっていて、友人に配ってもまだ余って、どうしてよいか悩む。毎日一個は朝のレモン水で消費する。無農薬だし、皮の方が汁よりも栄養価が高い。と言うことで、レモン水を飲みながら、皮を刻んでお湯を注いでおく。 レモン水を飲んだら、運動着に着替えてジョギングに出かける。家から自分で何となく決めた2マイル(約3.21キロ)のコースは遠くにずっと山脈が見えていて、途中で公園やドッグパーク(犬と犬の飼い主専用。首輪を外して自由に走り回らせて良い砂場)があり、毎日変化に富んで面白い。山の色が毎日違う。くっきり青い山脈が見える時も、山頂が雲の帽子をかぶっている時も、なんだか木や草で緑色に見える時もある。公園もホームレスの人がジャングルジムのてっぺんで寝ていたり、ドッグパークの人が大げさに私に手を振ってくれたり、色々な事が在る。 帰ってきたら、体操をする。ストレッチやラジオ体操や、YouTubeと一緒にサーキットトレーニングなどをやる。その頃には汗だくになっている。どんなに寒い日でもちょっと動くだけで熱くなるなんて、身体ってすごい! 運動が終わったらシャワーを浴びずにはおられないくらい汗をかいている。シャワーを浴びたら、コーヒーを作って、ヨーグルト(フルーツと黒ゴマ黄な粉にそば粉やカカオやナッツを入れたもの)を食べる。最近洋梨が感動する美味しさ。汁が滴り、むさぼり食わないと汁がこぼれて勿体ない。熟した柿も脳を刺激する甘さ。どんなにグルメな食事も、熟れ熟れの果物には叶わないと思う。あまりの香りの高さ・美味さに、脳みそがぶっとんんで、我を忘れてしまう。食事が終わったらさっきお湯を注いでおいたレモンの皮のエキスを一日中お茶の様に飲む。レモンにはそれぞれ個性があって、レモン皮茶は爽やかでほとんど甘い時もあれば、苦い時もある。そういうのが一々、面白くて愉快。 レモン皮茶をすすり飲む頃には練習したくてうずうずしている。ゆっくりとウォームアップから始める。呼吸と姿勢が自然と整ってくる。全ての感覚に意識が澄み渡る。色々な事が自明となってくるような気がする。 最近、練習中に毎日思い出していることが在る。もう20年近く前の事だけれど、鮮明に思い出される。私はカウンセリングをかじったことがあって、その勉強会合宿での出来事だった。先生が生徒のカウンセリングを例として行うのを観察する、と言うフォーマットの時の事だ。生徒は少女の様に体が小さくてかわいらしい20代のソーシャルワーカーだった。彼女は、社会にも家族にも見捨てられた孤独な一人暮らしの老人の多さに困惑し、怒っていた。でも自分一人ではどうすることもできない。どんなに頑張っても追いつかないほどこういう老人が多い。彼女は泣き始めてしまった。カウンセラーはずっと聞いていたのだけれど、彼女がひとしきり泣き終わったところで、二人共立ち上がらせた。そして「それじゃあ、あなたはこれから私の体を思いっきり押してください」と言った。少女ソーシャルワーカーが「へ?」と言う顔になると「私を無関心な社会の体現だと思って、怒りを込めて私の体を腕で思いっきり押してみてください。」と言ったのだ。ソーシャルワーカーは「そうですか、それでは」と言う感じで、始めはしょうがなく、照れた感じで先生の肩を両腕で押し始めた。先生は体格の良い50代くらいの女性で、少女ソーシャルワーカーの2倍くらいの体重が在ったと思う。10秒くらい経った頃からソーシャルワーカーはだんだん気持ちが入って来て、顔を真っ赤にして「わ~~~~!!!」声を上げながら先生の体をぐいぐい押し始めた。先生がどんなに足を踏ん張っても踏ん張り切れない強さだった。先生が後ろに転がってしまうくらいソーシャルワーカーが押しまくるので、先生が「よし、よし、ちょっと方法を変えましょう。」と途中で止めた。「両腕で押すのはやめて、今度は右手の人差し指に怒りを全て込めて、私の左肩を指一本で押してください。」皆、ちょっと失笑と言うか(それで本当に発散できるかな~?)と言う雰囲気が漂った。でも少女ソーシャルワーカーはすぐさま人差し指で先生の左肩をグイ~と押し始めた。先生が「気持ちの全てを指に込めて!」と言ったら、ソーシャルワーカーは汗を一杯おでこに浮かべてと口を大きく『へ』の字にして、静かに涙をだらだら流し始めたのだ。今書いていて、私も涙が出てくる。 私も、最近毎日練習しながら、気持ちの全てをそれぞれの指先から鍵盤に伝えようと思って弾いている。言ってもどうしようも無いこと、他の人に分かってもらえない事、変えられない事が沢山ある。過去の傷。世界の不公平・不平等。皆、それぞれの立場で、やるせないことを沢山抱えて、生きている。何がどうやるせないかと言う物語の詳細ではなく、そのやるせなさにお互い共感することで、お互いを勇気づけ慰める—それが、音楽であり、文学だと思う。それが、人間性だ、と思う。
「外からの力が加わらない限り、静止状態の物は静止を続け、動いている物は動き続ける」…慣性の法則を学校で学ぶのは何年生なのでしょうか? 私は日本の教科書で日本語でこの概念を学び、妙に感心した記憶があるので、渡米した中二の一学期の前なのは確かです。 子供時代から本の虫だった私は、静止状態がデフォルト。引っ込み思案や病弱だったり、子供の一人遊びにはいささか治安が不安な香港で幼少時代を過ごしたり、更には日本に帰国した6歳半の時にはすでに一日2時間くらいピアノを練習していたり...様々な要素が私の静止状態に輪をかけたと思います。 ヒューストンで博士論文執筆とストーカーの刑事責任追及を同時進行でこなそうと悶々としていた時に、ジョギングを勧めてくれたのは野の君です。渋る私を「気分が晴れるから」と、海岸や公園に誘い出てくれました。ヒューストン時代の最後の一年半は毎朝2マイル(約3.22km)走るのが日課になっていました。家の近くのバイユー(ゆっくり流れる小川)に沿って、毎朝同じコースを走っていました。週末は3マイルとか5マイルとか走ったりもしてました。 最近の旅行続きが一段落した今、また朝の運動で一日に勢いをつけるべく、走り始めて今日で6日目。敢えて同じコースを2マイル走ります。同じ木が日に日に赤く色づいていきます。朝もやがかかった日もあります。息が上がり、足の筋が伸び、体幹や姿勢に意識が行きます。体中の血のめぐりがリズムに乗り、汗ばんできます。遠くの山に朝日が映えて、その日一日が楽しみになってきます。